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仏教の肉食について~肉食を肯定する原始仏教と肉食を否定する大乗仏教~

仏教の肉食

 仏教ではよく肉食妻帯の僧などと云って仏教僧の肉食を揶揄するが、それは大乗仏典の一部の経典で云われていることであり、原始仏典においては肉食は過去仏である迦葉仏によって問題なしと説かれている。

原始仏教の肉食

 原始仏典の『スッタニパータ』中に収められている「なまぐさの経」では以下のようにして肉食は肯定されている、

二四二  (カッサパ仏陀は言う)「生きものを殺し、打ち、切り、縛ること、盗むこと、うそをつくこと、欺くこと、だますこと、学者ぶること、ひとの妻とねんごろになること、こういうのがなまぐさである。肉食のことをいうのではない。(四)

二四三 欲望をほしいままにし、美味をむさぼり、生活きよからず、虚無主義者で、頑迷な人々が世の中にいる。こういうのがなまぐさである。肉食のことをいうのではない。(五)

二四四 粗暴で、残忍、蔭口をたたき、友を裏切り、無慈悲で、高慢、けちで誰にもものを与えない人々がいる。こういうのがなまぐさである。肉食のことをいうのではない。(六)

二四五 怒り、高ぶり、強情、反抗、ごまかし、嫉妬、ほらふき、高慢ちき、不良の仲間になる。こういうのがなまぐさである。肉食のことをいうのではない。(七)

二四六 性質が悪く、債務をかかえ、告げ口をし、偽証し、いつわる人々、悪事をはたらく最下等の人々が世の中にいる。こういうのがなまぐさである。肉食のことをいうのではない。(八)

二四七 生きものを殺してはばからず、ひとのものを奪って、損傷を与えるに急な人々、性質が悪く、残忍で、粗暴で、無礼な人々が世の中にいる。こういうのがなまぐさである。肉食のことをいうのではない。(九)

二四八 かの(生きものたち)に対して、貧欲で、敵対し、害を加えて、いつも汲々としている人々は、死んでのち、暗黒世界に生まれ、まっ逆さまに地獄に落ちて行く。こういうのがなまぐさである。肉食のことをいうのではない。(一〇)

二四九 魚や肉を食わないことも、裸体になることも、剃髪も、結髪も、塵まみれも、鹿皮の粗衣も、火神を祭る供養も、または世間にあるように不死を求める多くの苦行も、ヴェーダの聖典も、供犠も、祭祀も、季節季節の勤行も、疑惑をまだ超越していない人を清浄にすることはできない。(一一)

二五〇 感官を守り、感覚のはたらきを抑制して行動せよ。法を確立し、すなおで柔和であることを喜びとし、執着なく、あらゆる苦悩を絶滅した賢者は何を見ても聞いてもけがれることはない」(一二)

渡辺照宏〔訳〕「スッタニパータ」『ワイド版世界の大思想 第3期〈2〉仏典』

 以上のように「なまぐさ」というのは肉食ではなくして、慈悲心のない様や嘘偽りの行為をいうのであって、問題とはされていない。
 問題なのは、仏を始めとした三宝への疑惑があり、煩悩を制御していないことこそが問題であるという。
 
 ただ一点ここで考えなければならないのは、肉食肯定の文言は釈迦牟尼仏ではなく過去仏である迦葉仏の教えであるということである。
 過去仏と現在仏の間でも戒律の方法が違うようであり、注意する必要がある。
 真宗の曽我量深師が云われる、

「仏さまによって、戒律というのは、ちがっている。釈尊には釈尊の戒律がありますが、過去の仏さまには、それぞれちがった戒律があるにちがいないと思うのであります。」

曽我量深『法蔵菩薩』

 量深師の説を取れば、迦葉仏は肉食を肯定的に捉えるが、釈迦牟尼仏は肯定的に考えていないとも考えられる。
 その場合が大乗仏典に窺うことのできる以下の教えである。

大乗仏教の肉食

 続いて大乗仏教では、菩薩戒において肉食は罪とされる。
 『梵網菩薩戒経』では以下のように説かれる、

若仏子、故に肉を食うとは、一切の肉は食うことを得ず。大慈悲の性の種子を断たば、一切の衆生見ても捨てて去らん。この故に、一切の菩薩は、一切の衆生の肉を食うことを得ず。肉を食わば無量の罪を得るに、もし故に食わば、軽垢罪を犯す。

鳩摩羅什三蔵〔訳〕『梵網菩薩戒経』

 しかしながら上記のように菩薩戒では、最も重い罪とされる十重禁戒ではなく、四十八軽戒に入っているところに着目すべきである。もちろん、罪であることには変わりないので、経文にある通り「故(ことさら)に食わば」と云っているから、できる限り慎むべきであるのは言うまでもない。

 これらの経文から仏教では肉食に対して3つのタイプがあり、

①原始仏教→肉食無罪
②大乗仏教→肉食軽罪

というようになる。

 仏教には様々な流れがあり、特に巷でいうところの本来の仏教をならば、肉食は全く問題ないにも関わらず批判が起こるのなぜなのか、大乗仏教徒であれば肉食を軽罪として批判する。

 しかしながら、大抵の場合、批判する側は本来の仏教などと云って、原始仏教の立場をもって批判するのであるが、上記の『スッタニパータ』を読めば解る通り、原始仏教は肉食には肯定的であり、批判することは仏説に反するのである。
 どうしてこうなるのかと言えば、多くは聖教をしっかりと読まず、イメージを先行させているだけである。

 ちなみに飲酒に関しては原始仏教と大乗仏教はまた反対の考え方であり、原始仏教では基本の五戒に入っているが、大乗仏教では飲酒は肉食同様に軽罪であり、酒を売るほうが十重禁戒の重罪に入るというなんとも整理するのが難しい。
 また初めに少し記述した肉食とセットでとわれる妻帯に関しては、原始仏教も大乗仏教も共に否定的である。これは原始仏典『犀の角』や大乗仏典『郁伽長者所問経』などを参照していただきたい。

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仏教徒/私的仏教ノート・メモ/仏教学部卒
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