渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

含みの表現 ~東本昌平作品~

2023年12月26日 | open



なぜ東本昌平作品には1960年代
末期の学生運動のシーンがやたら
めったらと多く出て来るのか。
それは、作者が深い部分で知って
いるからだ。
二輪乗りと学生運動参加者は同じ
種族である、と。
危険に怯え、迷える羊になりたい
ならば、二輪に乗って走り出した
りはしない。
乗り越える「何か」を持っていな
い者は、二輪などには乗れない。
「危ない」からだ。
飼い猫のように家で炬燵で丸く
なっていればいい。
だが、人は、たとえ今夜は果てし
もなく冷たい雨が降っていても
外に出て旅を続ける。
オートバイ乗りと自ら身体を張っ
て生きた学生運動参加者たちは
「僕たちの失敗を恐れぬ永遠の
旅人」であったのだ。

だが、時代は流れ、最近では道草
という草ばかりを食う牙を抜かれ
た草食動物さえも二輪に乗るよう
になった。
単なる移動手段としてのみ。
東本作品での1960年代末期の学生
運動シーンの多発表現は、あれは
懐古主義としての表現ではなく、
本物の魂に基づいて生きた人々へ
のレクイエムなのだ。


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