小林十之助

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近代文学2.0をやっています。近代文学1.0は終焉したそうですから仕方ありません。トンデモ説ではない漱石論を書いています。近著『あなたの漱石読解間違っていますよ』『人類史上初夏目漱石の『こころ』を正しく読む』『夏目漱石は何故死んだのか』アマゾンで探してください。

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谷越えて咲くわけもなき山桔梗 芥川龍之介の俳句をどう読むか187

谷幾つ越え来て此処に火取虫 [大正九年八月八日 岡栄一郎宛]  それでもやはり火取虫とは一人虫つまり交合の相手のいない芥川龍之介自身のことのようである。  これはとりもなおさず、そうまでしなければ、つまり谷幾つ越え来なければ、芥川の周りには女が群がっていたということなのであろう。  人遠し明る間早き山桔梗 [大正九年八月八日 下島勲宛]  山桔梗は田山花袋の好きな花だ。人里離れた山の中でも花は咲く。いや、人里離れた山の中でこそ咲くのだろう。   都会では古い民家が

    • 明け易き相見る鯉の行き来かな 芥川龍之介の俳句をどう読むか186

      明易き水に大魚の行き来かな  大正九年七月二十二日、下島勲宛の書簡に添えられた句だ。即興とある。    この句もまた無言の鑑賞という謎の儀式でただ晒されているようである。誰も意味を説明しない。言葉に意味があると思っている地球人は私一人だけなのであろうか。  他に誰かいませんか?  なんというか、『アイ・アム・レジェンド』のロバート・ネビルの心境だ。みんなゾンビなんじゃないかと本気で疑いたくなる。  これは単に「相手の考えていることが解らない」という問題ではなく、皆自

      • アコルスやわれは青菜と洗い飯 芥川龍之介の俳句をどう読むか185

        石菖やわれは茶漬を商はん  大正九年七月八日、和気律次郎宛の書簡に添えられた句だ。類似の句として、 石菖やわれは古銭を商はん  というものがあったような気がするけれど、ネットにはその痕跡がないので勘違いなのであろうか。  石菖やわれは古銭を商はん [大正九年六月三日 水守亀之助宛]  あるな。なんだ結局自分のnoteが情報源か。  ところでさて、 石菖やわれは茶漬を商はん  この句に関しても鑑賞やら解釈というものが見当たらない。つまり何故茶漬けを売らねばなら

        • 幽石の水辺に三竿や竹の春 芥川龍之介の俳句をどう読むか184

           赤風盧、この言葉の意味は解らない。従って 短夜や稿料盗む計  洩れて危うし✖✖の首 川風や菖蒲の仮名はしやうぶ也  などゝほゝゑむ小島先生 あら可笑し白檀匀ふ枕紙  寝顔見たきは赤風盧の恋 禁公表 落想警抜可秘々々       牙旗生 [大正九年四月十三日 佐佐木茂策宛]  あら可笑し白檀匀ふ枕紙  寝顔見たきは赤風盧の恋  この付け句の意味はさっぱり解らない。たださっぱりわからないとだけ記録しておく。禁公表の句なので解らなくてもいいだろうとは思う。 幽石を

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          マイナンバーカード改善案①

          1 券面のマイナンバーの背後に目隠しの影を入れるのをやめる  住民票なので複写すると黒くなるような網掛けがマイナンバーの券面のマイナンバーのところにもあります。黒い数字の背後が黒いのです。実際にロボアドバイザーの口座開設で何度もエラーになったのですが、目視ではマイナンバーが読めるのに、画像にしてみると案外読めないということがあります。  これはもうマイナンバーカードの謎のフィルムカバーにもみられる謎の設計思想なのですが、マイナンバーを提示したいのに読み取りづらいというのは

          マイナンバーカード改善案①

          「やり直しの近代文学」

           前書き それ本気で言ってます? よく調べましたか? 1 「一郎の三択」は存在しない  「一郎の三択」は小宮豊隆、江藤淳、柄谷行人となし崩しに継承された  存在するのは一択 マルクス思想に利用された「明治のインテリ批判」   2 『行人』は分裂したか   縦糸はお貞の結婚 アンチトリックスター三沢 役に立たないお使い   余ったネジ 梅は無意味 重箱の出どころ テレパシー 3 健三は捨て子か  干支と九星のパズル 案外おばあさん 「三」の付く名前 それでも母はいる 

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          「やり直しの近代文学」

          「やり直しの近代文学」まえがき

          「やり直しの近代文学」まえがき それ本気で言ってます? よく調べました?  江藤淳が間違っていることに気が付いたのはそんなに昔のことではない。そもそも間違っているかどうかというようなことなど考えず、ただ面白く読み流していたということか。しかし漱石没後百年を記念したムック本が次々刊行されていた時期にふと、「おや、この人は夏目漱石が読めていない。この人もだ」と気が付き、手に入る限りの夏目漱石論を図書館で取り寄せて片っ端から疑いの目で、間違っているかどうか確認してみた。  結果

          「やり直しの近代文学」まえがき

          我が庵は秋立つ雨も馳走なり 芥川龍之介の俳句をどう読むか183

          草庵や秋立つ雨の聞き心   大正九年四月九日、滝井孝作宛の書簡に添えられた句だ。さてこの句は「聞き心」の解釈で鑑賞が分かれるところであろう。  以前、住み心は住み心地であろうと書いたような記憶がある。  では「聞き心」は「聞き心地」かと云えば、これは少々ややこしくて、 ①仏教用語にして「信心」と同じ説 ②仏教用語「聞きよう」という意味。(さらにこの聞きようの構えがあり。)  実はこの二つの説明は同じことを言っているようで、信仰に向かう態度として「聞く」という行為が

          我が庵は秋立つ雨も馳走なり 芥川龍之介の俳句をどう読むか183

          どないやねん

           まずこれやけど、連続で何回もスキ付ける奴は、記事を一切読んどらんちゅうことやな。  で、デジタル庁、暇か?  日本ファクトチェックセンター、岩波書店の註釈でもチェックしたれよ。  猪瀬さんなんか質問あったら訊いてね。  それからこれや。八万回記事が読まれた割には、本が売れんで。  ますこれ買うてくれへんかな。大体あれやで、みなさんデパ地下の総菜売り場にご飯持って行って試食します?  もう、味は解っとるはずやで。  ならなんで買わんねんな。  そんなに金がない

          どないやねん

          「やり直しの近代文学」 目次案 イメージ

            前書き それ本気で言ってます? よく調べましたか? 1 「一郎の三択」は存在しない  「一郎の三択」は小宮豊隆、江藤淳、柄谷行人となし崩しに継承された  存在するのは一択 マルクス思想に利用された「明治のインテリ批判」   2   『行人』は分裂したか   縦糸はお貞の結婚 アンチトリックスター三沢 役に立たないお使い   余ったネジ 梅は無意味 重箱の出どころ テレパシー 3   健三は捨て子か  干支と九星のパズル 案外おばあさん 「三」の付く名前 それでも

          「やり直しの近代文学」 目次案 イメージ

          麻高し人無き路のアンタレス 芥川龍之介の俳句をどう読むか182

          星赤し人無き路の麻の丈  大正九年三月二十七日、小穴隆一宛の書簡に添えられた句だ。これが後に、 風吹くや人無き路の麻の丈  と改められたことになっているようだが、今回は 星赤し人無き路の麻の丈  として鑑賞していくことにする。室生犀星は実に素直に、見たままの句と見ている。  しかし星は月と違ってそう滅多に赤く変わるものではない。星の色の違いは表面温度の違いによるもので、赤い星は赤いとたいてい決まっている。  赤い星はさそり座のアンタレスでなければ火星であろう。

          麻高し人無き路のアンタレス 芥川龍之介の俳句をどう読むか182

          進み来てわけそぼつかやすまい艸 芥川龍之介の俳句をどう読むか181

            いきなり余談。この本面白い。  吹かるゝや塚の上なるつぼ菫  これもまた大正九年三月二十六日、小島政二郎宛の書簡に添えられた句だ。  まず気になる言葉は「つぼ菫」だ。  また『草枕』に因縁づけてきた。これでいて漱石に言及しないで、すべてを読み手に委ねるのだから、芥川龍之介は庄司薫について言及しない村上春樹くらいひねくれている。  壺菫の花弁は白いらしい。  なるほどかなり目立たない花だ。これが壺菫だよと教えられても、「へー」としか言えない。その「へー」はあくま

          進み来てわけそぼつかやすまい艸 芥川龍之介の俳句をどう読むか181

          つくつくし古草如はもてはなる 芥川龍之介の俳句をどう読むか180

          古草にうす日たゆたふ土筆かな  大正九年三月二十六日、小島政二郎宛の書簡に添えられた句だ。  一読よくわからない句だ。古草にうす日たゆたふ、まではなんとなくわかる感じがしていたところ、土筆かな、で急に分からなくなる。土筆にうす日がたゆたふ、ではいけないのかと思う。そしてきゃりーぱみゅぱみゅときゃりーたゆたふという双子の姉妹がいたらきゃりーたゆたふの方がお姉さんだろうなと考えてしまう。 古草に陽炎を踏む山路哉       太魯 古草に新草まじり生ふる野にせせらぐ水や隠ろ

          つくつくし古草如はもてはなる 芥川龍之介の俳句をどう読むか180

          民草の世離る郷や桃の花 芥川龍之介の俳句をどう読むか179

          川上や桃煙り居る草の村  大正九年三月二十六日、小島政二郎宛の書簡に添えられた句だ。ついでにこの前の句について、  とある。さすがに「三月や」はストレートすぎると熱が冷めたか。大胆でそれはそれで悪くはないと私は思うが、もう少し繊細なところが本来の芥川の目指すところか。 川上や桃煙り居る草の村  この句に関しては、  とある。註解者は「桃源の詩」とは陶淵明の「桃花源記」としている。しかしこれは「記」であり「詩」ではない。  日本語訳は以下のPDFが読みやすい。 h

          民草の世離る郷や桃の花 芥川龍之介の俳句をどう読むか179

          ほととぎす大竹藪の春曇り 芥川龍之介の俳句をどう読むか178

          三月や大竹原の風曇り   大正九年三月二十二日、小島政二郎宛の書簡に添えられた句だ。「三月や」の句としては、 三月や茜さしたる萱の山  の方が有名なようだ。  さて芥川は「僕も三月の竹の句を作つた」としてこれを「竹の句」と自認しているが、何でもかんでも自認で片づけられるものではない。そもそも「大竹原」には季節はない。ただ芭蕉のこの句は少し意識しただろうか。  雉の聲大竹原を鳴り渡る     漱石  ※「嵯峨日記」四月~五月に書かれている。  芭蕉は落柿舎には四月

          ほととぎす大竹藪の春曇り 芥川龍之介の俳句をどう読むか178

          こひ文に春風吹いてしにかへる 芥川龍之介の俳句をどう読むか177

          速達の恋一蘇活春風裡   これも大正九年三月ニ十二日、佐佐木茂索に宛てられた書簡に添えられた句だ。  そしてこの句も全地球人から無視されている句の一つだ。そんなに無視しなくてもいいじゃない、と思うが何なのだろう。  速達とはすなわち速達郵便、速達の恋とは速達郵便で出された恋文によって生じる恋の意か。一蘇活春風裡とはいかにも唐めいているが、特に由来因縁はなかろう。速達郵便で恋文が届いた、そけだけで春風のうちに生き返ったような心地がする、という程度の句意であろう。  破調

          こひ文に春風吹いてしにかへる 芥川龍之介の俳句をどう読むか177

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