三浦俊彦が公にしている差別文章について

三浦俊彦は、2019年5月14日付で、ウェブ上に或る文章を発表したのだが(記事のurlは、https://tocana.jp/2019/05/post_95219_entry.html)、私はそれを「差別的」だと判断したので、5月19日の日曜日に「東京大学大学院人文社会系研究科大学院係」へ次のメールを送った。

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東京大学文学部大学院係さま、
私は京都大学などで論理学を教えている山口尚という者です。
文学部の三浦俊彦教授が差別記事(下記urlなど)を公にしておりますので、しかるべき措置をお願いします。
https://tocana.jp/2019/05/post_95219_entry.html?fbclid=IwAR0kBNV2nLgDTBL8TIl2BSVk6cm4YQQ0sOPT65-_u7sWap0u0YWoeZTw28E
一般に、〈他者を蔑むべき正当な根拠でない何かしらの動機のもとで他者を蔑む〉という行為にはときに快楽が伴いますが、十分な道徳的能力を具えた「大人」はこうした行為への欲求を適切に抑えることができます。他方で、リンク先の記事は、三浦教授がそうした道徳的能力を有していないことを示しています。これは、後で述べるように、彼が教壇に立つ資格をもたないことを意味します。
三浦教授の上記の記事は決して理論的な論考ではありません。むしろ事態は以下のように理解されるべきです。すなわち、他者を不当に蔑んで・優越感を得て・快楽にひたるということへの欲求を抑えきれない三浦教授は、同時に《あからさまな差別的言説は自分の身を危うくする》ということを知っているので、「理屈っぽい形式」で偽装した仕方で自らの欲する言説を公にしている、と。事情はこうでしょうから、三浦教授の記事の問題点は〈間違った理屈を提示している〉という点にはありません。そうではなくて、ひとをひととして尊重することを行なわず、自らの歪んだ欲求を満たすことを選んでいる、という点にこの記事の問題はあります。どのような論理を装ったとしても、その根底にある道徳的邪悪さは変わらない、ということです。
加えて、三浦教授がリンク先の文章で行なっていることは、「政治活動」の一種でもありません。むしろ問題はそれ以前にあり、道徳的次元の事柄です。要点を繰り返せば、三浦教授は、自己の差別的な欲求を抑えきれずに、他者を根拠なく蔑むことにコミットしています。以上を理由に、私は三浦教授を、強く道徳的に非難します。
一般に、〈十分な道徳的能力を具えていること〉は、教壇に立つための不可欠の条件だと言えます。今回の件で判明したことは、教育者の資質を欠く者が東大の教育に携わっている、という事実です。それゆえ、現状においては、三浦教授が教育活動を行なうことには無視できない問題があります。私は、若いひとびとのためにも、三浦教授の教育活動の至急中止を求めます。差別者が学生に何かを教える、という状況は不条理です。
三浦教授の教育活動を辞めさせることが能わない場合は、少なくとも上記の記事(およびそれに類する記事すべて)の削除を命じること、および今後差別活動を行なわぬことを求めます。よろしくお願いします。
京都大学非常勤講師 山口尚

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週末になっても返信がなかったので、5月24日金曜日に追加で次のメールを送った。

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東京大学文学部大学院係さま、
先日(5/19)に、下に引用したメールを送った山口尚という、京都大学などで論理学や哲学を教えている者です。
三浦教授の記事は差別に該当し、無視できない道徳的問題がありますので、先立つメールで書いたようなしかるべき措置を求めます。
ところで前回のメールおよび今回のメールはご確認されていますか。この点、ご返信頂きたいです。
前回のメールに対しては、受け取りのご返信がありませんでした。もし今回のメールにご返信頂けないならば、私の方は「届いていないものだ」と判断します。そのうえで、目下の問題は看過できないものですので、別の方法で大学院係さまに要望を届けることを試みます。当方SNSをやっており、そこに東京大学の知り合いが何人かおりますので、そこでどなたかに本件を大学院係へ繋いで頂くことをお願いしようと思います。
では、失礼します。
京都大学非常勤講師 山口尚

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するとその日に次のメールが返ってきた。

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山口尚 様
東京大学大学院人文社会系研究科大学院係です。
下記メールを拝受いたしました。
また、先日のメールも拝受しております。
御連絡が遅くなり申し訳ございませんでした。
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東京大学大学院人文社会系研究科大学院係

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これに対して私は「お忙しい中恐縮ですが、適切なご精査・ご判断、よろしくお願いします」と返信したが、それ以来何ひとつ音沙汰がない。そして三浦俊彦の記事はいまだにウェブに残っている。

後日「哲学研究者有志による三浦俊彦氏のウェブ記事に関する声明」があったので、私もそこに署名させて頂いた。東京大学は何をやっているのか。教壇に立つ資格が無い者を「教壇に立つ資格がない」と判断する能力を欠いているのだろうか。

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