第3話 温かく、暖かい
「
「へえ。バイクがあればもっと速いな」
「免許をお持ちで?」
「うん。原付から大型まで。車の免許も一応あるけどね。オートマだけど」
「平成時代ならまだしも、芽黎においてはオートマが一般でござるよ」
西暦二〇八九年——とはいえ、さまざまな事情(太陽フレアによる電子機器の一斉使用不能、AI技術の危険性、特に裡辺では妖怪が一般的であることも含め)から、世界的にその科学技術は平成末期のそれで止まっている。
医療技術の場面では一時的に超法規的な措置も用いられるが、原則は平成末期のそれだ。
それでも自動車はマニュアル車よりオートマ車が一般的であったし、免許もマニュアルで持っているものはあまり多くない。
朔奈は高校を出る際に、仕事場に行くだけに使うんだからとオートマで免許を取っていた。とはいっても、車に乗った期間はそう長くない。作家になってからはバイクに興味を持ったからだ。
バイク自体持っているが、現在運んでいる最中である。家に届くのは、朔奈が入居するよりも後になっていた。
「それにしてもタオルでよかったかな。ありがちすぎたかもって思うんだけど……って、ごめん。四季島さん自身に言うの感じ悪いよね」
「いえいえ。でも、ネギとかじゃなくて助かったでありますよ」
「アレルギーだもんね」
「そうでござる。というか獣妖怪は、類人猿系統みたいな、広い範囲の雑食性でもない限りネギは御法度ですな」
「チョコもだめなの?」
「ジャコウネコなのでカフェイン自体大丈夫でありますが、気をつけた方はいいですな」
そういえばコピ・ルワクと呼ばれる、ジャコウネココーヒーなんかは文字通りジャコウネコが一度食べた(丸呑みした)コーヒー豆から作るものだ。犬や猫よりは耐性はあるだろう。
そもそも人間が畏れ知らずなくらいなんでも食べるだけで、普通は食性が偏るものである。
「ここが商店街でありますよ。スーパーと違って店ごとに買い物せねばなりませぬが、交渉次第でいくらでも安くできるであります」
「この村にはネオンみたいな大きなスーパーはないの?」
「ないでござる。住民からの反対が大きすぎて、撤退したでござるよ。スーパーも地産地消の、農協みたいな感じでありますし。そもそも都会から物を持ってくると、それだけで物価が高くなるでありますからな。地元のものの方が安いであります」
「そっか……そうだよな」
地元民からのありがたい意見を胸に刻んだ。
日用品などはさておき、食品は商店街で買った方が安いかもしれない。
「拙者は商店街で買い物するでありますが、スーパーなら通りを出てすぐでありますよ」
「待って、僕もここで買います。節約できるならしておきたいですし」
涼子がこくっと頷いて、まず精肉店に向かった。
おでんの材料を買うと言っていたが……肉を入れるとしたら——牛すじだろうか?
「すみませーん、牛すじをハクビシン基準で六匹分くださーい」
「あいよー……ん、涼子ちゃんじゃないか。そっちは旦那さんかい?」
「ぬぁっ、違うでござる! 何を言うか!」
肉屋の店主であろう、恰幅のいい鬼の親父さんはマスク越しに「ガハハ」と笑って、棚から牛すじを用意した。
美味そうなコロッケやメンチカツ、豚カツなんかもある。
「あ、宮本氏、せっかくならうちで食事をしていかぬでござらんか?」
「えっ、流石に申し訳ないよ。昨日今日来たばっかの僕が……」
「いいでござるよ。母上のことだからどうせ作りすぎるくらいでござるし、食客は多い方が嬉しいでござる」
店先でイヤイヤと断るのも感じが悪いし、涼子は裏の感情なく素直に誘ってくれていた。
正直朔奈も料理の手間が省けるので助かる思いもあり、「じゃあ、ありがたく」と応じた。
「いいねえ、若いねえ。おまけにコロッケも入れとくよ。ふたりで食べな。あと、
「ありがとうございます」「かたじけないでござる。あ、じゃあ牛すじを人間分一人前追加で」
「あいよ。千二百円ね」
「ポンポンで」
ポンポンとは、狸山商事という企業がサービスを行っている電子マネーだ。日本ではメジャーで信頼が置かれているものである。
涼子はポケットから自分の
「荷物、持つよ」
「正直助かるでござる」
朔奈は牛すじが入ったエコバッグを受け取った。涼子はエレフォンでメールをしているのか、目にも止まらぬ速さのフリック入力で文面を作って送信していた。
「大根もでござるか。忘れすぎでござるな。あと、宮本氏が来ることは全然大丈夫みたいですな。歓迎会ということになったでござる」
「大袈裟じゃないかい? でもありがとう」
近くの八百屋に向かい、涼子は太くて重そうな大根を一目で掴んだ。大根はまっすぐで太く、重いものがいいらしい。水分が多く美味しいのだそうだ。
意外と涼子は家庭的なのかもしれない。朔奈は動画投稿をしている者に、家事や炊事が苦手そうな偏見を持っていたが改めねばならないと思った。
涼子はレジのおばさんに、やはりポンポンで会計を済ました。朔奈は大根を受け取ってエコバッグに入れる。
「買い出しはこれだけでよかろうな。宮本氏はなにか買うものは?」
「僕は大丈夫。自分の晩飯を買うつもりだったけど、ご馳走になるからね」
「そうでござるか。ならばあとは帰路につくのみでござるな。いやしかし、楽ができて嬉しいですな」
朔奈は思わず苦笑した。ここまで素直な女性は初めてだ。
常に霊視が弱い程度とはいえ発動してしまう朔奈は、相手がなにか、強く黒い悪意を持っているとそれがモヤとなって見えてしまう。
今も道ゆく人々から、いろいろな念が漏れているのがうっすら見えていた。
けれど涼子は顔の表情こそコロコロ変わるが、その裏にモヤが滲むことはない。雷獣という性質がそうさせるのか、常に瞬発的に感情が表に出て、裏がない。
聞いた話では雷獣は短絡的・即断即決な者が多いらしい。年長の個体となると思慮深くなるというが、電気の力に適応した脳の構造上、狡猾な思考が苦手になるそうだ。
恐らくはそれが豊かな感情と、裏のない性質に表れているのかもしれない。
いい意味で子供っぽいのだ。少年少女の頃の輝きを磨いて磨いて、丁寧に仕上げたらこんな溌剌とした大人の女性になるのかもしれない。
「ところでコロッケを食べたいのでござるが、出しても?」
「あ、もらってたね。僕も食べたいな」
「ふたりで食べるでござるよ」
エコバッグからコロッケを取り出した。
「そういえば莉子ちゃんって誰?」
「妹でござる。今、高校生で
「大変だね」
楕円形のコロッケに齧り付く。ざっくりと歯触りのいい衣の下には、しっとりほくほくのタネ。シンプルな擦り潰したジャガイモに合い挽き肉。塩胡椒の風味と隠し味だろうか、だし醤油の味わいが、すっと後を引く。
小腹を満たすにはちょうどいい大きさに、濃くないすっきりした味わい。しかし寒い時期には存在感抜群なメニュー。本州にいた頃にもよくコンビニで買って食べていたが、直に生産者と会話して食べる経験はないし、そもそもコンビニではおまけなんてもらえないから、こういう経験は初めてだった。
人情——いや、
涼子は小さめのコロッケをちまちま食べていたが、家に着く頃には食べ切っていた。包み紙を丸めて手に握っている。朔奈はそれを受け取って、自分のとまとめて持った。
四季島家に着くと、制服の上から紺色のウインドブレーカーを着た少女が玄関の柵の前でインターホンを鳴らしている。
「莉子、帰ったでござるか」
「あ、ねーちゃん。……誰その優男。ねーちゃんの彼氏にしてはレベル高いじゃん」
「違うでござるよ。お隣さん。引っ越してきた宮本朔奈氏でござる」
「どうも、はじめまして」
朔奈は軽く会釈した。莉子という金髪で快活そうな少女も、会釈する。
「ねーちゃん、母さんの言ってたお客さんて宮本さん?」
「莉子にも連絡があったでござるか。そうでござるよ。買い物にも付き合ってもらいましてな」
「見たらわかるよ。もう、お客さんに荷物持たす奴がある?」
「お言葉に甘えたでござる」
見栄を張らず素直に言った。莉子も肩をすくめて、呆れるだけ。姉の調子のいい様子には慣れているのだろうか。
玄関を開けて、奥方が出てきた。
「あっ、涼子あんた宮本さんに荷物持たせてるじゃないの!」
「深い事情はこれっぽっちもないでござるが……強いて言えば親切に甘えたで——あいたっ」
軽く肩をポコッと叩く奥方と、くすくす笑う莉子。
「ごめんなさいね宮本さん、重かったでしょう」
「いえ、全然。これでも男ですから」
「ありがとうね。寒かったでしょう、入って」
「お言葉に甘えて」
朔奈は莉子と涼子に続いて四季島家に入った。
玄関で靴を脱いで、並べて置く。普段自分の家にいる時はここまで几帳面に並べることはないが(脱ぎ散らかすわけではないが)、お客さんの自覚はあるのでそうした。
涼子は「ひとまず手を洗いましょうぞ」と言って、洗面所に朔奈を案内する。
しっかり者な彼女に好印象を抱き、朔奈は先にうがいをしていた莉子を待って手洗いとうがいを済ませた。
×
その様子を、少し離れた場所から眺めている男がいた。
短い直毛の黒髪、灰色の目。歳は三十後半ほど。
「あいつ……何か見えてんのか……?」
ぽつりと、そう漏らした。
「いや、今はいいか」
男は踵を返し、その場を去った。
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