第1話 一国一城の主人
「僕が一国一城の主人、か。実感がわかないな」
ゆるい分け目が六対四の前髪を作る全体的に天然パーマ気味の髪。ストレスで白んでいたので毛染め液で黒く染めており、秋口の十月とあってふわっとした印象のベージュのカーディガンと黒のカーゴパンツを身につけている。
背中にはリュックサックを背負っており、右手にはこの村についてから買ったたこ焼きのパックが握られていた。小腹が空いたので駅前で電車を降りてすぐのところの屋台で買ったのだが、食べようと思いつつ歩いていたら家に着いてしまった。
「これで鬱陶しい親戚どもから逃げられる……やっとだ」
朔奈は作家である。
しかしそのせいで、両親の死後疎遠であった親戚からやたらと接触され、鬱陶しい思いをしていた。
その背後で
東北地方の東に位置し、北海道とほぼ同等の面積を誇る土地。気候は東北地方や北海道と同じようなものだ。これからどかっと雪が降る時期になる。
さしあたって必要なものは買い込んでおり、それらは優秀な引越し業者に頼んで運び込んでもらっていた。一人では重たい家具を配置できないので、あらかじめレイアウトを伝えており、その通り置いてもらっている。手数料は取られたが、段ボールが山積みの中で暮らすよりはずっと健全だ。
「家を見てから近所に挨拶に行こうかな。シャワーも浴びたいし」
電気やガスは入居と同時に通る手筈だ。ラグはあるかもしれないが、午前十時——それらのインフラ設備は開通しているだろう。
朔奈は玄関の鍵を開けた。新築ではなく、築八年の中古物件だ。それでも朔奈は新築にこだわったわけではないし、すぐに住めればアパートでもよかったくらいだ。不動産屋が巧みに乗せてくるので、つい気が大きくなって一軒家を買ってしまったのである。
まあ、管理費や家賃を入れるよりは固定資産税の方が安上がりだというし、初期費用こそかかるが長い目で見ればこちらの方が有利——そう思うことにしておいた。でなければ、損した気分になる。
玄関に上がり、嗅ぎ慣れない新居の匂いを嗅ぐ。前の住民が出て行ってからしっかり清掃されたのだろう。ぱっと見、汚れは目立たないし綺麗なものだ。
リビングに向かうと、しっかりと家具などが置かれていた。大型のスクリーンモニターにディスクプレーヤー。スピーカーも。エアコンもおかしな傷なく取り付けられていた。
三人がけのソファがL字に組まれているが、一人暮らしにしてはオーバーなものである。とはいえ、インテリアを考えればこうした方が良かった。その中央にはガラステーブルが置かれており、周りには邪魔にならないように調度品が並ぶ。
キッチンの方は冷蔵庫や食洗機、オーブンなど。料理などしないが、つい買ってしまった。電気屋のやたら陽気なお兄さんにほだされたのだ。
ひとまずたこ焼きを食べようと、朔奈はダイニングテーブルの椅子に座って付属の長い串でたこ焼きを突き刺し、一つ頬張った。
カリッとした皮を噛み潰すとクリーミーな生地が溶け出し、タコの代わりに入っている牛肉が口にまろび出る。
醤油バターという変わった味付けのたこ焼きだが、マヨネーズの酸味と合わさると驚くほど美味い。ここにどぶろくがあれば最高だったな、と朔奈は思った。
買ってから二十分経つのにまだほんのりと温かく、贔屓目に見ても絶品である。焼きたてならばどれほど美味かったか——勿体無いことをした、と少しだけ後悔した。
あっという間にたこ焼き八つを平らげ、ゴミ箱にパックを捨てて一階の奥へ。
自室——寝室を兼ねる書斎である。元々は和室だったのだが、書斎にするためリフォームを頼んだ。天井が高いのは、二階の部屋とくっつけたから。外の庭と二階にあったバルコニーも巻き込んで改築し、途中で支柱を立てて補強し、大量の本と仕事と趣味に使うモニターやPC機器を持ち込んでいる。
朔奈は趣味にはとにかく金をかける性格だ。趣味——それは仕事も兼ねる執筆と、ゲームと、一日の晩酌。親戚は「余計なことに金を使うくらいなら、もっと有意義に使え」と言っていた。そしてその次に来るのは「うちの子がもうすぐ大学生なんだ」というものである。
学費くらい、バイトさせて自分で払わせればいい。それか奨学金を借りて、将来働きながら返せばいい。普通の家庭はそうやって大学へ通うのだ。
朔奈自身が中学時代に両親を亡くし、高校を出てすぐ就職した人間なので大学生の苦労はわからないが、渋谷で騒ぐ若者を見ているとお世辞にも大学生が勤勉な生き物には思えなかった。無論それは偏見で、自分が作家になって大勢と関わるようになってからは、そういった不真面目な連中がごくごく少数派だと知り反省したものだ。
なにはともあれ、それこそ学費を肩代わりすればそういうボンクラになるんじゃないかという危惧も少なからずあった。
それに、親戚連中は朔奈が苦しい時助けてはくれなかった。それどころか両親の遺産を掠め取ろうとさえしたのだ。そんな奴らを助けるような義理などないし、たとえ釈迦に説教されようが、助けない。自分は慈善家ではないのだ。
書斎の様子を見つつ、朔奈はリュックから挨拶の品を取り出した。
どういうものがいいのかさっぱりわからなかったので、どの家庭でも使うであろうハンドタオルのセットだった。
挨拶と言っても左に一軒家があるだけだ。列の終端に位置し、準工業地帯なのでそばには何かの工場と倉庫のようなものしかない。おまけにいわゆる建売の住宅地のような感じではなく、田舎の家という感じでとにかく一軒一軒土地が広い。
なにはともあれ、朔奈は包装されている品を折りたたんでいた紙袋に入れた。格好はラフなものだが——企画会議に出席するわけではないのだ。スーツなんて着なくていいだろう。
家を出て隣の表札の前に立った。
インターホンを鳴らすと、女性の声で「はい、どちらさまでしょう」と返ってきた。
「本日隣に引っ越してきた宮本というものです。ご挨拶に伺いました」
「ああ、ご丁寧にどうも。ちょっと待っててくださいね」
少しして、玄関から若妻といった具合の奥方が現れた。
(妖怪だ。さすが、妖怪の村)
妖怪が人間社会に進出し始めたのは江戸の中期。文明の黎明期を支え、戦後の奇跡的な経済復興を手助けし、平成・令和時代の暗黒期の立役者として歴史の表舞台に台頭した存在。
西暦二〇八九年現在、
さても、四季島の奥方は雷獣であろうと思われた。丸みを帯びた、小ぶりな三角形の耳に先端が焦茶色で、根本が栗色の尻尾が三本。三尾の、ハクビシン系雷獣だ。
美しい金色の髪は、雷を思わせるように黒いメッシュが一房ある。
「初めまして、宮本朔奈です。こちら、ご挨拶の品です。ごく普通のタオルですので、使いどころは限定しないかと」
「あらどうも、助かるわ。こういう日用品はいくらあっても困らないから」
「母上殿、大変でござるぞ」
そこに、奇妙な古めかしい日本語が聞こえた。
「ネットが繋がらんでござる。さてはルーターの配線を勝手にいじりよったな?」
「そんなのいじるわけないでしょう。電波が悪いだけよ、雷獣なんだから電波に影響出ちゃうのしかたないでしょ」
「かーっ、面倒な種族に生まれたでござるなあ」
姿は見えないが、声は女性——子供っぽい声音ではない。
「ごめんなさいね。今の娘。オタクってやつなのよ」
「ああ、なるほど。僕も似たようなものですよ」
「そう? でもま、今はああいう趣味? が、その……
「動画作れるんですね。凄いな。僕もミーチューブをよく見るので憧れます」
お世辞ではなかった。晩酌の供は、往々にして動画である。広告をオフにするためミーチューブのサブスクにも入っていた。
「ふふ……。それにしてもあなた……前にテレビに出てなかった?」
「まさか。じゃあ僕はこれで」
「ええ。困ったことがあったら、頼ってちょうだいね」
「ありがとうございます」
朔奈は頭を下げ、その場を辞した。
隣のひとがいいひとで良かったと胸を撫で下ろす。
どろっとしたものが見えなかったということは、そういうことだ。
それにしても、この時代にござる口調の女性。
「お手本みたいなオタクなんだな……」
そう思った。
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