3.虚飾からはじまった〝粉飾市政〟
まずは前回までのおさらい。
自治体の首長という、一応は世間の範となるべき立場に選ばれながら、その選挙用のポスター代金の未払いをつづけた挙句(その間、被害会社には閲覧注意レベルの罵詈雑言をメールで送りつけていたらしい)に提訴され、その一審で偽証罪に問われかねない嘘でハンパな論破芸を試みたものの奮闘空しく轟沈して敗訴、それでもなお支払いを拒んで控訴したところが、あっさり棄却。世界的なアナリストだったとかの一部での風評も法廷では通用せず、「負けアナ確定!」を断じられ「再び審理するに及ばず」と宣告されても性懲りもなく上告受理を申請するという往生際の悪さを見せてくれた石丸市長…。
まるでプロ野球選手がトスバッティングで空振りし(カープのキャンプで実際に目撃したときはズッコケたものだ)、それをコーチのせいにしてわめいているような体たらくなのだが、さらに、その怒りの勢い余って、原告の実名を安芸高田市長名義のXに晒して、〝応援団〟に誹謗中傷攻撃を煽ってるんですから、もう何をかいわんやです。
その昔あちこちの空き地の草野球で、三振したくせに三塁ベースに走り込んで「セーフ!」と叫んでひとりでハシャいでいる空気が読めない嫌われ者がいたものだが、皆様にもあの顔その顔が彼にダブって見えているのではないだろうか。
選挙ウァッチォャーのちだい氏に「うんこの投げ方も知らない」「とてつもなく無能な市長なのではないか」と看破されてしまうほどの方、ベースを逆走するようなマネばかりするのも致し方ないのかもしれません。
そんな市長でも、「京大卒でメガバンクでアナリスト」のブランドが効いてか、ネット民の間ではイタく買いかぶられているそうで、それこそ痛い人たちというべきかもしれません。
偽装された?エリート像
ところで彼の経歴を語るさいに必ず持ち出される、
「分析・予測の専門家(アナリスト)の初代ニューヨーク駐在として赴任したエリート」
という賛辞がある。
このところ彼をウォッチしていて、「それも眉唾ではないの?」と疑うようになった。
契約国家アメリカのビジネス界で活躍していたとは思えないズサンな契約とその後の危機管理の幼稚さ。そしてそれに起因する業務妨害まがいの卑劣な行為。このところの彼の無軌道ぶりを見るにつけ、こんな疑問がわくのも当然といえば当然だろう。
このフレーズは彼の超エリートぶりを担保するものとして使われているらしいのだが、彼が赴任したという2014年にニューヨークのメガバンクの拠点に〝初代〟がわざわざ駐在することになった部署とは一体どんな業務を担っていたのだろうか。
三菱UFJ銀行のホームページによれば、たしかにニューヨーク駐在という部署は確認できた。しかしそれは調査・分析レポートのアーカイブが残っているもっとも古い2010年の時点ですでに存在していて、2014年に初代さんがわざわざ赴任するようなポストはなかったように思える。
そのニューヨークに駐在のスタッフが日々、経済の分析レポートを提供していて、それはホームページにアップされているのだが、その中に「石丸伸二」の名前を見つけることはついにできなかった。
石丸が三菱UFJ銀行に入行したのは2006年。動静をホームページのレポートで確認できる2010年以降でアナリストとして石丸伸二の名前を初見できるのは、その10年の2月22日のこと。『日本経済の見通し』に3名の連名で書いたレポートだ。さらに11月19日にも4人連名で同タイトルでレポートを担当している。
しかし、翌2011年2月18日付の同レポートから「石丸伸二」の名前を見つけることはできなかった。彼の影は杳として消えるのだ。
同じ年の2月の28日には、石丸と連名で前述のレポートを書いていたIという人物が経済調査室ニューヨーク駐在員として意気軒昂と情報をレポートしはじめている。石丸がニューヨークに赴任したとされる2014年3月以降もI氏はレポートをつづけていたが、石丸の名前は一度も登場してはいない。
ちなみにI氏は石丸より10年ほど早く入行した先輩で、同じ部署に在籍したアナリストとして石丸の評価のモノサシにはなるだろう。
ところで石丸はニューヨークに駐在しながら、なぜか中南米を担当したことになっている。そこで彼が赴任していたとされる時期に中南米に関するレポートをホームページで探してみた。
彼がニューヨークに赴任したことになっているのは2014年3月。その2か月後の5月30日に『中南米経済の見通し』というレポートがあった。しかしそこにも彼の名前はなかった。彼が駐在していたとされる4年半の間、中南米レポートは毎年数本掲載されているが、すべて別人が書いたものだ。
中南米は三菱 UFJ銀行の研究機関らしい『国際通貨研究所』が担当していた。したがって当時「中南米担当のアナリスト」はお呼びでなかったようなのだ。
そもそも石丸の専門だったという『中南米通貨、カナダドル』という分野でマーケットを分析したらしいレポートも1本として発見することはできなかった。
ここで石丸の三菱UFJ銀行での経歴を整理してみたい。
2006年 三菱UFJ銀行に入行。
2010年 2月22日 「日本経済の見通し」に3名連名でレポートを掲載
11月19日 「日本経済の見通し」に4名連名でレポートを掲載
2011年 2月18日 「日本経済の見通し」から石丸の名前が消える
2月28日 同僚だったI氏がNY駐在員としてレポートを担当2014年 3月 為替アナリストとして初代ニューヨーク駐在に
2015年 10月20日 在パナマ日本大使館で講演
2018年 9月 帰国?
2019年 6月23日 ネットコミニティのファシリテーターとして講演
10月29日 カフェ主催の講演
12月19日 大阪で講演
2020年 4月15日 FXDailyのレポート始まる
4月16日 石丸がシニアアナリストとして2回目から担当
7月7日 安芸高田市長選に前副市長のみが出馬したことを知る
7月8日 会社に退職届けを提出
7月22日 出馬会見
こうして彼のキャリアを概観してみると、その『初代ニューヨーク駐在』時代の痕跡がまったく見当たらない。ほかの既存の駐在員とは別に、彼は一人でいったい何をしていたのだろうか。
それどころか、彼の実績らしい実績はほとんど浮かび上がってこないのだ。
そんなことを検証しているうちに、ふとある仮説が頭をよぎった。
—もしかしてあの肩書きは石丸伸二個人のためにあらたにつくられた部署だったのではないか?
それもビジネスライクなニーズからというより、会社の都合で止むをえずつくったものではないのかという疑惑だ。
これまで私たちが目にしてきた石丸伸二という人物の協調性の欠如、あるいは異様なまでのプライドの高さ、他人を傷つけることをためらわない非情な性格などを考えたとき、とてもメガバンクという大組織のメインストリームでつつがなく業務ができたとは思えないだろう。まわりとの衝突は避けられず、自己保身のためにそのトラブルをさらに深刻なものにしてしまう。そんな事態は容易に想像できるはずだ。
会社が彼を持て余して適当な部署を作って海外に飛ばした。これはじゅうぶん考えられそうなことだ。そして石丸自身は、海外に飛ばされた屈辱を「初代として赴任」といい換えて吹聴している…。彼の性格とこれまでの言動を思えば、当たらずといえども遠からずだろう。
こんな仮説がおのずと浮かぶほど、巷間流布されている彼のキャリアは不透明で不可解に映るのだ。
石丸を「世界で数人しかいないアナリストだった」と持ち上げているヨイショ好きな方も一部ではいるようだ。その真偽のほどを詮索するまでもなく、彼が市長選に立候補する直前の肩書きを確認すればことたりるだろう。
彼は三菱UFJ銀行内部の5人ほどのスタッフで編成された『グローバルマーケットリサーチ』というグループに所属していたことを私たちは知った。しかもチーフでもなんでもない、ひとりのシニアアナリストとして、石丸当人がそのレポートの巻末で注記しているように「信頼できると思われる情報に基づいて作成されていますが、当行はその正確性、適時性、適切性又は完全性を表明又は保証するものではない」という程度のレポートを数日に一回提供していただけなのだ。その彼が「世界で数人のアナリスト」なら、世界にアナリストは数人しかいないことになってしまいそうだ。
また石丸は積極的に講演活動もしていたという。しかしネットで調べたかぎり、経歴にも記したようにニューヨークに駐在していたとされる時期に、在パナマ日本大使館でイベント報告にも掲載されていない講演会を2回したのみだ(その案内チラシしか確認できなかった)。
帰国したとされる時期からは大阪で1回それらしいものをしたようだが(これも案内しか確認できなかった)、あとは文化・経済交流を謳い文句にしたネットのコミュニティにセミナー講師として地方レベルの文化人、経済人と名を連ねてのものだったり、カフェでこじんまり開催されたものだ。
かつて同僚だったI氏が、石丸がニューヨークに赴任したとされる2014年には、すでに南カリフォルニアの日系企業約500社で構成された経済団体主催で講演会をするようになっていたのに比べて、あまりにも寂しい経歴といえるだろう。
「地元の危機を救うヒーロー」の神話
さてさて、ここまでレポートしてきて石丸の経歴の胡散臭さに卒倒しかねない方もおられるだろうが、いますこし辛抱していただいて最後に謎解きをしてみたい。
それは石丸が語る〝市長選挙立候補神話〟についてだ。
彼はあるネット記事のインタビューでこう語っている。
「忘れもしません。2020年7月。テレビを見ていると、生まれ故郷の広島県安芸高田市がニュースになっていました。いわゆる河井夫妻選挙違反事件*で前市長が辞職し、次期市長に立候補したのは前市長が後を託したという当時の副市長だけ。あれほどの事件があったのに、選挙も行われず、副市長が市長へ繰り上がれば、まちは変わらないままだと強い危機感を抱きました」
*同市では、2019年の参院選を巡る買収事件で、前法相の河井克行被告(公職選挙法違反)から現金を受け取ったとして前市長が辞職した。
そこから彼の決断、行動は早かった。
「他の誰もやらないなら、自分がやるしかない。これが自分の使命のように感じました。ニュースを見て一晩考えた末に、翌日には会社へ退職願を提出し、市長選への出馬を決めました。その時は一切の準備がない状態です。8月の選挙まで1ヵ月しかなかったので、迷っている時間が惜しかった、というのもありますが、いずれは地元に恩返しをしたいと思っていたので、すぐに覚悟は決まりました」
この次期市長選のニュースが流れたのが7月7日。それから一晩考えて出馬を決意、彼は翌日の8日に退職願を出したと語っている。ふるさと安芸高田市への危機感から迷うことなく決意して(メガバンクの職をなげうって)出馬を決めた、のだと。
しかしこれは石丸の〝自己申告〟だ。これもまた鵜呑みすることなく私たちは疑ってみるべきだろう。
石丸が立候補する前、彼は三菱UFJ銀行の5人ほどのスタッフで編成された『グローバルマーケットリサーチ』というグループに所属して『FX Daily』という経済分析レポートを担当していたというのは前に書いた。そのレポートの履歴に、彼が担当した日付を追ってみようではないか。
彼が出馬を決めた7月の2日付で石丸は『ドル円は一時 108 円を上抜けるも 107 円台半ばへ反落』との見出しでレポートを書いていた。そこから立候補を決めて退職願を出したとされる7月8日まで、石丸はレポートを書いていない。つまり、このレポートが三菱UFJ銀行での最後の仕事ということになる。
ところが驚いたことに、ホームページをさらに探っていくと、石丸はその翌々日の10日、さらには16日にも何食わぬ顔だったかどうかは見てはいないが、通常運転でレポートを書いていたのだ。
いうまでもなく日々刻々と変わる経済の動静を分析するレポートを、あらかじめ書き溜めておくようなマネは、さすがに世界に数人のアナリストでもできる芸当ではないだろう。つまり石丸は少なくても7月16日前後まで三菱UFJ銀行に在籍していたということのようだ。そして、会社を辞めた直後に広島に飛んで帰って7月22日に市長選出馬の記者会見に臨んだ。それが真相らしい。
ではなぜ、石丸はそんな手の込んだ嘘を吹聴しているのか。それは前述したように「ふるさと安芸高田市への危機感から迷うことなく決意して(メガバンクの職をなげうち)出馬を決めた」という神話を語るため。ついでに、真の理由をオブラートに包みたかったからだろう。
ご両親によれば、石丸は「小さい時から市長になるんじゃ、知事になるんじゃと言っとったけぇ」だったそうではないか。
もともと石丸には市長になりたいという野心だけはあったらしい。したがって、ふるさとが危機に陥ったのを、おのが野心を成就させるチャンスと石丸はほくそ笑んで見ていたことだろう。そして、その野心と市長選での勝算とを天秤にかけて迷っていた日々、それが立候補を決めたと騙る7月8日から、実際に決めたと思われる16日前後までのタイムラグとして記録されていたのだ。
「危機感にかられて出馬を決意した」とのヒーロー神話を思いついたまではまずまずだったが、市政運営同様に段取りをミスってしまって0点の回答になってしまったようだ。
蛇足だが、先の裁判で宣誓を求められた証人喚問において、原告側の弁護人から退職願を出した日にちは8日だったんですねと念押しされて、石丸は「退職願は出さず意向を伝えただけです」と答えていたそうだ。つまりは円満退社ではなく、勝手に辞めて市長選に立候補していた。その事実を隠蔽するために退職願を出したことにしているようなのだ。
野心のためなら世話になった会社も簡単に裏切る。いかにも彼らしい処世術というものだろう。もしかすると、会社としてもラッキーで、いわゆるウィンウィンだったのかもしれないのだが…。
このように実績に乏しく虚飾に満ちた人物が首長になってできることといえば、身勝手な思いつきの施策に反対する市議や、不快な記事を配信するメディアに対して人倫に悖る悪態をついて貶めること。そして、実態を知らない全国の劣化したネット民に向かって〝やってる感の粉飾〟をつづけるしかないというのが実情なのだろう。
(文中敬称略)
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