渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

「ロシア料理店ロゴスキー」のボルシチとピロシキ

2023年12月22日 | open
 

横浜の弟くんのおうちから
ロゴスキーのボルシチ・ピ
ロシキセットが届いた。
うまし。
日本初のロシア料理店の味
だ。
私が生まれる以前から渋谷
あった。
渋谷東急会館=東急プラザ
の中に移転して。
東プラが2015年3月に閉店
てからは銀座に。




家族でよく行った。
コミンテルン派としてはロシア
料理は大好きだ。
って、誰がやねん(笑。
どちらかというと俺は
ファシズム人民戦
だ。
1935年にコミンテルン
人民
戦線の活動に情勢の中
で折れ
て歴史的転換による
共同
戦線
を形成した。
最後ソ連はナチス
ドイツと
手を結ぶ事で人民戦線を裏切
ったが
だが一時期であれ人民戦線
へのコミンテルンの合流が
あっ
たからこそ、ヨーロッパ
での
自由を求める戦士たち
愛国レ
ジスタンスの反ファ
シズムと反ナ
チズの抵抗
闘争ができた。
だが、それは結局、ソ連共
産主義(エセ)と軍事支援
を無視したフランスと英国
の共産主義者たちによって
潰された。
あれは人類の生存をかけた
抵抗戦
争だった。
結局はソ連フランス英国の
主義者たちの人民戦線への
裏切りによりナチスドイツ
の台頭と侵略を許してしま
い、第二次大戦は始まって
しまった。
ソ連とフランスが一番えげ
つない事をした。結果、フ
ランスは国をもナチスに占
領統治されてしまった。
スペイン内戦の人民側の敗
北が第二次大戦開始の起因
となった帰結として、フラ
ンスは国をナチスドイツに
奪われた。反ナチズムの抵
抗活動は英国へ亡命した
自由フランス軍と在欧抵抗
戦線のレジスタンス活動で
しか果たせず、国として態
度を示すことはもはやでき
なくなってしまっていた。
ソ連は大戦が始まるとまた
身を翻し、連合国側につい
た。
結果としては人類史上未曾有
の大殺戮が地球上で展開され、
ファシズム側枢軸(アクシズ)
は戦争で敗北し、自由と民主
主義は地球上で守られた。
それは同時に帝国主義の残存
でもあったが、エセ共産主義
国家や人権無視の国権国家で
はない点はまだ救わ
れた。
ファシストやナチス
手を組
んだ日本は人類史の中では歴
史的には
敗戦して当然だった
といえる。
もし、日本が敗戦しておらず、
ナチスドイツとファシストイタ
リアと天皇制軍国主義日本が大戦
で勝利を収めて
いたら、とんでも
ない地球地図に
なっていた。今の
北朝鮮が全世
界の国家であるよう
な。
日本においては革命的祖国敗北
主義の自由を求める抵抗戦線は
形成はされなかった。
それは先進国では世界有数の
洗脳国家として日本は世界規模
では「後進国」であるのに、その
点だけは進んでおり、抵抗派は
すべて国家権力により殺戮され
ていたのが日本だったからだ。
日本の戦前と戦時中の徹底的な
思想言論統制は日本人をして
「素直に従う」事を美だと妄信
せしむる洗脳国家が鉄壁に完成
させられていたのだった。
明治維新以降親米親欧だった
日本は、国際情勢の中で、国権
を掌握した勢力(天皇を利用し
た勢力)と、それに完全洗脳さ
れた国民が侵略と戦争を推進
して行ったのが歴史事実だ。
国民こそが環太平洋と大陸アジ
アへの侵略と殺戮を推進した
のだ。今、自分に刃を向けて反
省せずに「軍部の一部が独走」
だなどと自分らの先祖の責任を
糺さずに逃げを打つ卑怯な国民
ばかりにもなっているが。
それでも、どうにか形ばかりは
敗戦により日本は「自由主義国
家」として再生の道は1945年か
ら歩み始めた。

嫌でしょ?自分の国だけでなく
全世界が北朝鮮のような人権
とは無縁の独裁国家だったら。
ありとあらゆる人間的な尊厳
も踏みにじられるよ。ナチス
ドイツと同じで。「貧乏人は
麦を食え」どころの騒ぎじゃ
ない。

ロゴスキーは、自分の家族と
も彼女とも60年前から懇意
にしている家庭の家
族(創
造的文芸劇団員のご家庭)
とも
よく行った。
幼い時には渋谷駅前が生活圏
だったからだ。
かつて渋谷は文化の街でもあっ
た。
ロゴスキーの店の入り口には
可愛い本物のマトリョシカが
飾って
あった。
 



ここのピロシキはほんまおいし
おすえ。


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