AT-Xにおける「School Days」の最終回の放送がドタバタと変更(視聴制限の強化)すると言った、相変わらずのお粗末ぶりに、一視聴者としては、何々場当たり的な対応は実に興ざめである意味見苦しさも感じる。
最終回の変更理由としては、16歳少女の父親惨殺事件が、本作の場面と通じるものがあるとしているようだが、僕から言わせれば、そういった理由云々で場当たり的に「放送中止」するような対応はおかしいんじゃないかと言うことである。
School Daysの最終話はAT-Xの放送変更時間帯で観たが、ワンクールと言った、狭隘な枠の中で、元々理不尽なストーリー展開で(第9話からいきなり年齢制限がかかると言ったお粗末ぶり)、最後は確かに凄惨な状況下で登場人物全滅に等しいと言えるが、主人公・伊藤誠の行動なりヒロインたちの言動から慮れば、少なくともそういう展開・状況になると言うことは、当初から基軸としてあっただろう(鷹嶺は原作であるPC版ゲームは全く知らない)。それを覚悟、あるいは承知した上での結末を臨んでいるのに、直近の事件に影響されて突然、放送を取りやめる。あまりにも場当たり的で、作品の基本を欠落させた判断ではないか。
こうした対応や、直近の事件とSchool Daysの最終回をリンクさせる一連の判断は、まるで瞬間湯沸かし器のような熱と興醒めに等しい。政界で喩えよう。6年前の小泉ブーム、2年前の郵政選挙。そして、間近では自民総裁選における、麻生太郎人気。いずれも、一瞬、スポット的な過熱ぶりだ。僕から言わせれば、こういう人々や対応は、いずれも「火に炙られる豆ガラ」に過ぎないと思うのだ。
確かに、16歳少女における惨殺事件は世間的重大事かも知れないが、それはこの国の根本的な歪み、仕組みや体質の変形によるものであって、School Daysの最終話“ごとき”を放送中止にしたくらいで何ともなるわけではない。
「事件が起こったから、これを放送するのはまずい」というのは、ある意味、隠蔽・隠滅と同類であろう。視聴者に対して何ら説明にはならない(しかも公式サイトやAT-Xでは、放送方法変更についての説明は成されてない)。
むしろ堂々と放送し、問題提起を促すような仕組みを作る方が、世間(まあ、と言っても一部なんだろうが)により良効果を生むという事にはならないだろうか。
よく「残忍・残酷なシーンがあるから(アニメ・ゲーム・マンガ)だめだ」と言われているが、サブカルチャーが犯罪の温床と決めつけられるのは以てしたりである。サブカルチャーは、日本文化、もっとさかのぼれば、日本の教育社会の枝葉末節といえる。アニメやゲームの場面が犯罪に影響を及ぼすなどと言う理屈は、本末転倒である。教育を司る政治が、今日の16歳少女を作ったと、はっきり言えよう。
まあ、だからといって、赤色を黒色に修正するなどと言った姑息な手を使ってまで放送された、School Daysの最終回が決して推奨できる内容ではないが、個人的には、伊藤誠への対応は予測はしていたが、世界と言葉を巻き込んでお家・城を枕に討ち死にせよとはこれ如何。
このアニメ、当初から静かでまったりとした雰囲気を感じさせつつ、実に一触即発のような緊迫感が終始絶えることがなかった。なまじ貞操を盾にして清廉潔白を謳う他の恋愛物語とは一線を画して、底なし沼のような恋愛の深淵を描いたことは確かに評価できるかも知れない。School Daysが話題作だったという片鱗をうかがい知ることが出来る。だからこそ、最終話に到る制作者側の対応の拙さには疑問があるわけだ。
個人的には、二大ヒロイン・言葉も世界も勘弁。どっちも思いこみの激し過ぎる奴。こういう女は手練れでも扱いは難しい。ああ、扨ても伊藤誠なんかでは尚更だろう。
PCゲームの方を知っているならばある程度理解は出来たのかも知れないが、僕から見た限り、ボツボツと穴が開きすぎたお話で、何故そうなったのか、穴埋めも裏付けも不十分なまま物語が終わった。
ラストに衝撃はあったが、記憶には残らないタイプ。「ひぐらしのなく頃に」の方がまだマシ。
PS 榊野学園だったっけ? 前にも記述したことがあるけど、こんな学校が現実にあったら、一日で認可取り消しですね。公立だったら即、閉鎖だ。
最終回の変更理由としては、16歳少女の父親惨殺事件が、本作の場面と通じるものがあるとしているようだが、僕から言わせれば、そういった理由云々で場当たり的に「放送中止」するような対応はおかしいんじゃないかと言うことである。
School Daysの最終話はAT-Xの放送変更時間帯で観たが、ワンクールと言った、狭隘な枠の中で、元々理不尽なストーリー展開で(第9話からいきなり年齢制限がかかると言ったお粗末ぶり)、最後は確かに凄惨な状況下で登場人物全滅に等しいと言えるが、主人公・伊藤誠の行動なりヒロインたちの言動から慮れば、少なくともそういう展開・状況になると言うことは、当初から基軸としてあっただろう(鷹嶺は原作であるPC版ゲームは全く知らない)。それを覚悟、あるいは承知した上での結末を臨んでいるのに、直近の事件に影響されて突然、放送を取りやめる。あまりにも場当たり的で、作品の基本を欠落させた判断ではないか。
こうした対応や、直近の事件とSchool Daysの最終回をリンクさせる一連の判断は、まるで瞬間湯沸かし器のような熱と興醒めに等しい。政界で喩えよう。6年前の小泉ブーム、2年前の郵政選挙。そして、間近では自民総裁選における、麻生太郎人気。いずれも、一瞬、スポット的な過熱ぶりだ。僕から言わせれば、こういう人々や対応は、いずれも「火に炙られる豆ガラ」に過ぎないと思うのだ。
確かに、16歳少女における惨殺事件は世間的重大事かも知れないが、それはこの国の根本的な歪み、仕組みや体質の変形によるものであって、School Daysの最終話“ごとき”を放送中止にしたくらいで何ともなるわけではない。
「事件が起こったから、これを放送するのはまずい」というのは、ある意味、隠蔽・隠滅と同類であろう。視聴者に対して何ら説明にはならない(しかも公式サイトやAT-Xでは、放送方法変更についての説明は成されてない)。
むしろ堂々と放送し、問題提起を促すような仕組みを作る方が、世間(まあ、と言っても一部なんだろうが)により良効果を生むという事にはならないだろうか。
よく「残忍・残酷なシーンがあるから(アニメ・ゲーム・マンガ)だめだ」と言われているが、サブカルチャーが犯罪の温床と決めつけられるのは以てしたりである。サブカルチャーは、日本文化、もっとさかのぼれば、日本の教育社会の枝葉末節といえる。アニメやゲームの場面が犯罪に影響を及ぼすなどと言う理屈は、本末転倒である。教育を司る政治が、今日の16歳少女を作ったと、はっきり言えよう。
まあ、だからといって、赤色を黒色に修正するなどと言った姑息な手を使ってまで放送された、School Daysの最終回が決して推奨できる内容ではないが、個人的には、伊藤誠への対応は予測はしていたが、世界と言葉を巻き込んでお家・城を枕に討ち死にせよとはこれ如何。
このアニメ、当初から静かでまったりとした雰囲気を感じさせつつ、実に一触即発のような緊迫感が終始絶えることがなかった。なまじ貞操を盾にして清廉潔白を謳う他の恋愛物語とは一線を画して、底なし沼のような恋愛の深淵を描いたことは確かに評価できるかも知れない。School Daysが話題作だったという片鱗をうかがい知ることが出来る。だからこそ、最終話に到る制作者側の対応の拙さには疑問があるわけだ。
個人的には、二大ヒロイン・言葉も世界も勘弁。どっちも思いこみの激し過ぎる奴。こういう女は手練れでも扱いは難しい。ああ、扨ても伊藤誠なんかでは尚更だろう。
PCゲームの方を知っているならばある程度理解は出来たのかも知れないが、僕から見た限り、ボツボツと穴が開きすぎたお話で、何故そうなったのか、穴埋めも裏付けも不十分なまま物語が終わった。
ラストに衝撃はあったが、記憶には残らないタイプ。「ひぐらしのなく頃に」の方がまだマシ。
PS 榊野学園だったっけ? 前にも記述したことがあるけど、こんな学校が現実にあったら、一日で認可取り消しですね。公立だったら即、閉鎖だ。
コメント
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神戸須磨事件や福島会津若松事件の記録もみんな廃棄処分された