「介護はロボットがする」という時代に? 日本の「介護ビジネス」が描く未来
※2021年8月から2022年3月まで5回にわたって朝日新聞社の「bizble」に連載されていたコンテンツを転載しています。第5回は、2022年3月30日の配信でした。掲載内容は当時のbizbleのものを踏襲しています。
2030年に目標達成の期限を迎えるSDGs。“SDGs”を達成しつつ、どうビジネスを切り開いていくべきなのか――。外務省でSDGs交渉官を務め、現在は三菱総合研究所でビジネスコンサルタントとしても活躍している中川浩一さんに、最先端のビジネスの動きを紹介してもらいながら、SDGsの先にある、“2050年のビジネスのカタチ”を考えます。
三菱総合研究所主席研究員。1969年生まれ。慶應義塾大学卒業後、外務省入省。対パレスチナ日本政府代表事務所勤務を経て、天皇陛下や首相の通訳を務める。アメリカ、エジプトなどでの勤務を経て、2020年8月より現職。著書に「総理通訳の外国語勉強法」。
皆さん、こんにちは。2021年8月に始まったこのシリーズも、残念ながら最終回となります。日本ではこれから急激な人口減少の局面を迎え、人口に占める高齢者(特に75歳以上)の割合が年々増加していく中で、「介護」の担い手を確保することが喫緊の課題となっています。
今回は、それを解決するツールの1つ「介護ロボット」に焦点を当て、日本のこの先進的な知見を海外ビジネスでどのように生かしていけるか、考えたいと思います。
およそ32万人の担い手が「不足」 日本の現状は
SDGsは「すべての人に健康と福祉を」を目標の1つに掲げていますが、人生100年時代を迎える中で、「誰一人取り残さない」という理念を貫き、実現することは簡単ではありません。人間は誰しも老いるのであり、人間が一生を終えるには、誰かの支え、つまり「介護」が必要となる可能性があります。
実際、日本の要介護・要支援認定者数は2021年12月現在で約690万人で、2000年3月末の256万人と比較しても大幅に増えています(※1)。
一方、介護人材(介護する側)は2025年度末に約243万人の需要が見込まれており、2019年度の実績数字である約211万人に対して、約32万人が不足しています。つまり年間5万5000人のペースで介護人材を確保していく必要があるのです(※2)。
また、2025年以降は、日本では、生産年齢人口(15~64歳)が急減する予測もあり、ますます介護の担い手の確保が問題となります(※3)。
※1 出典:厚生労働省「令和元年度 介護保険事業状況報告(年報)」「介護保険事業状況報告(暫定)令和3年12月分」
※2 出典:厚生労働省ホームページ
※3 出典:国立社会保障・人口問題研究所「日本の将来推計人口(平成29年推計)」
介護人材の確保のためには、介護職員への処遇改善、人材の確保・育成策の強化のほか、介護現場におけるロボット技術の活用が必要です。介護ロボットによって介護業務の負担軽減を図ると同時に、介護記録の作成・保管などの事務作業をICTの活用で効率化することで、介護職員が介護業務に直接関われる時間を増やす取り組みが求められます。
(出典:三菱総合研究所50周年記念サイト「ロボットテクノロジーが変える介護2030・2040」)
ロボットやICTといった「ハード面」のみならず、サービス利用者(高齢者・家族)の心のケアという「ソフト面」もあわせた両面で取り組んでいくという「新しい介護モデル」構築の必要性についても議論が進んでいます。
移動や入浴のサポート、見守りも 「介護ロボット」の役割
ところで、皆さん、「介護ロボット」と聞いて、どういうものをイメージしますか。厚生労働省の定義によれば、ロボットは「情報を感知(センサー系)」し、「判断(知能・制御系)」し、「動作(駆動系)」するという3つの要素技術をあわせもつ「知能化した機械システム」です。
このようなロボット技術が応用され、利用者の自立支援や介護者の負担の軽減に役立つ介護機器を「介護ロボット」と呼びます。
介護ロボットにはどのようなものがあるのか、代表例を見ていきましょう。
① 移乗介助ロボット:介助者のパワーアシストを行う機器。装着型と非装着型の機器がある
② 移動支援ロボット:高齢者らの外出や屋内での移動をサポートする。屋内では特にトイレへの往復や、トイレ内での姿勢保持を支援する。転倒の予防や歩行を補助する装着型の機器もある
③ 排泄(はいせつ)支援ロボット:排泄を予測し、的確なタイミングでトイレへ誘導する機器。トイレ内での下衣の着脱といった排泄の一連の動作を支援する
④ 見守り支援ロボット:介護施設や在宅介護で使用する、センサーや外部通信機能を備えたロボット技術。転倒を検知し、自動で通報する機能もある
⑤ 入浴支援ロボット:浴槽に出入りする際の一連の動作を支援する
(国立研究開発法人日本医療研究開発機構〈AMED〉「介護ロボットポータルサイト」をもとに作成)
このような介護ロボットは、日本では2013年ごろから、厚生労働省、経済産業省の政策指針を受け、主に中小企業が中心となって開発・販売してきました。
特に、移乗支援・移動支援・排泄支援・見守り支援・入浴支援の5分野については、すでにロボット導入の実証実験が多く行われています。
しかし全体的にみれば、介護施設へのロボット導入は進んでいるとは言えません。その理由として、使い勝手の悪さ(機器が重くて大きい、操作が難しい、用途が狭い、利用者が限定されるなど)や高額な導入費用の両面で、現場ニーズとマッチしていないことが挙げられます。さらに、一般に「介護は人の手で行うもの」という社会意識が根強く、介護ロボットに嫌悪感が抱かれてしまうことも積極的な導入を難しくしています。
介護を支える社会保障財政はひっ迫しています。(中略)その中で求められるのは、そもそも要介護状態を作らない、悪化させないことです。
(中略)要介護状態の悪化を防ぎ、介護する側の負担を軽減するために、今後は個々の介護サービスの効率化を図るだけでなく、生活自立を支援するロボットやコミュニケーションロボット、ならびに介護業務全体を最適化しうる情報収集可能なセンサーシステムなどを早急に普及させていくことが必要です。
(出典:三菱総合研究所50周年記念サイト「ロボットテクノロジーが変える介護2030・2040」)
ロボットは現場の業務を補完する役割と同時に現場から情報収集をする「センサー」の一部でもあって、センサーから得られたデータを活用することで、より、最適化できる可能性があるのです。
「介護は人の手で」という意識もなくなる?
では、「介護ロボット」のミライについて考えてみましょう。現時点では、費用対効果の面で課題が多いのは先述のとおりです。
2030年頃の介護の現場では、ロボット導入は費用対効果が大きい所から普及していくことでしょう。見守り系ロボットは、幅広い要介護度の方が利用対象となり、一日の利用時間も長いことから、介護する側の負担を大きく軽減できます。また、要介護度を軽度で引き止めるには、残存する身体能力や認知能力をなるべく活用することが必要ですが、日常生活の中で運動やコミュニケーションなどをアシストできるロボットの普及によって、残存能力の維持も期待できます。
排泄支援の現場ニーズは非常に高いものがあります。実際に、排泄支援ロボットを利用して自力で排尿できるようになったことで、要介護者の尊厳が回復し、要介護度が劇的に改善された事例もあります。
服薬支援ロボット(薬の飲み忘れや飲み間違いを防ぐロボット)も高いニーズがあります。家族・医療・介護職間における服薬情報が共有できることで、介護の質も上がっていきます。
一方で、移乗・移動・入浴などの作業支援ロボットは、要介護者のさまざまな身体状態に十分対応させるにはまだ技術的に難易度が高いのが実情です。稼働空間の制約の問題もあり、普及にはまだ時間がかかるでしょう。
(出典:三菱総合研究所50周年記念サイト「ロボットテクノロジーが変える介護2030・2040」)
2040年頃にはロボットが稼働しやすくデザインされた施設や住居の普及が進み、浴槽、ベッド、トイレなどは高齢者に合わせたユーザーインターフェースとなっていきます。またロボット技術も大きく進歩し、移乗・移動・入浴などを支援するロボットも普及しているでしょう。特段に意識することなく、当たり前にロボットを使いながら生活するようになる結果、ある程度要介護度が進んだ方でも快適に自立した生活が送れるようになることが予想されます。
重度の要介護者向けには、ロボット導入を前提としてトータルデザインされた介護施設が登場します。関節業務や、直接業務の一部は、ロボットが担い、介護職員は入居者との触れ合いや心のケア、個別的ケアに専念します。
(出典:三菱総合研究所50周年記念サイト「ロボットテクノロジーが変える介護2030・2040」)
こうした社会では、「介護は人の手で行うもの」という意識も変わり、ロボットの方が得意なサービスはロボットに任せる方が快適であると感じる高齢者も増えるかもしれません。
介護ロボット普及のカギは、信頼性の高い技術の確立と、利用者(介護される側とする側)の意識醸成です。使いやすい介護ロボットを開発して有効活用していくには、開発側と現場が粘り強く対話し続けることが必要です。(中略)介護負担増や人材不足の深刻化が目に見えているなか、ロボットの導入はこうした状況を緩和するだけでなく、今後の可能性を広げることができるのです。
(出典:三菱総合研究所50周年記念サイト「ロボットテクノロジーが変える介護2030・2040」)
さらにその先の2050年はどうでしょうか。介護はロボットがすべてを行い、もはや介護職員、すなわち人間の手は必要ない時代が来るのでしょうか。それとも、その反動で、やはり人間の「心」と「心」が通い合う重要性が再認識されているかもしれませんね。
皆さんはどう考えますか? いずれにせよ、未来社会は不確実ですが、私たちが年齢を重ねることだけは確実です。
介護がすべての人にとって「自身のこと」であるという認識を広げ、ありたい未来を選び取っていくことが重要だと思います。
「日本の介護」はアジアで商機あり
これまでは日本の介護の現状、将来を考えてきましたが、グローバルな視点で見ると、「介護ビジネス」はアジアで大いにチャンスがあると言えそうです。
なぜなら、アジアでは今後、高齢化社会を迎える一方で、介護のための施設インフラや、高齢者を支える社会の仕組み自体ができていない国が多いからです。日本の介護保険制度のように、政府主導で保険制度をつくる可能性も、アジアの場合は政府の財源不足のために低いと思われ、そこに民間ビジネスの可能性がありそうです。
また、介護専門職の人材も圧倒的に不足しているので、「介護ロボット」やICT導入には、大きなビジネスチャンスがあると思います。
さらに、利用者(介護される側やその家族)の観点で見ると、アジアでは大家族で住むという文化的な要因から、高齢者は家族と同居したい、住み慣れた地域で自ら健康づくりに努めたいと思う傾向にあるので、日本のような介護施設よりも、「在宅介護」でビジネスが成功しやすい土壌があります。
一方で、「介護ビジネス」に関し、多くの日本企業は今のところ、「日本市場」を対象としたビジネスを展開しており、それを海外に持っていくという時に、「日本と同様の事業環境が整備されているのか(特に法制度関連)」という視点で考えてしまいます。
当然ながら、アジア諸国(特に東南アジア)では日本と同様の事業環境が整備されているはずもないのですが、それを理由に、「前提となる事業環境が整備されていないから難しい」と躊躇(ちゅうちょ)してしまう日本企業も多いのではないでしょうか。
“日本市場特有のビジネスモデル”は、日本の国際競争力の低下(世界のGDPに占める日本の割合は、1990年代は約15%だったが、2020年はたった5%強に)を引き起こした大きな要因の1つであり、制度に守られた業界の海外展開は大きなハードルがあります。
しかし、アジア諸国には、日本の技術(ハード面、ソフト面双方)はまだもって世界一だと信じているところもあり、日本企業には多くのチャンスがあるのは間違いありません。
ただし、日本の技術をそのまま持っていくのではなく、現地での評価をきちんと理解・把握・受容し、現地ニーズ起点で開発・展開することがポイントになります。日本企業はこの点が弱いため、技術は高いのに他国に負けるということが起きてしまうのです。
介護の分野は日本が先陣を切っているからこそ、状況を客観的に理解していけば、日本企業がアジアで優位に立って事業機会を獲得できると思います。
この点、私が勤務している三菱総合研究所は、海外で一歩先を見据えた社会課題を発見し、その課題を解決する事業機会を創出することこそ使命と考え、2020年10月にアジア事業グループを、その年の12月にはベトナム・ハノイに駐在員事務所を開設しました。
特に社会課題の中でも、介護を含むヘルスケア分野について、日系企業と連携したベトナムでの事業拡大に取り組んでいます。「日本(人)の良さ」を生かした日本企業のグローバル事業を先陣を切って創り、アジア・ベトナムにおける日本のプレゼンスを高めるために努力しています。
しかし、現実には挑戦すべき課題はたくさんあります。ベトナムでは、高齢化社会の到来はまだ明確な課題とは認識されておらず、その課題を解決するためのツールとしての「介護ロボット」を知る人はまだまだ限られています。
まさにゼロから、社会認知、啓発からのスタートですが、一方で、機会を捉え、創出し、セミナーなどで「介護ロボット」を紹介すれば、ベトナム人は高い関心を示してくれます。
今後はさらに、三菱総合研究所の海外拠点の情報発信機能やネットワーク構築機能を通じて、「介護ロボット」の需要創出や現地ニーズに合った機能などの把握とともに、ベトナム、ひいてはアジア全域の高齢者のより良い生活に貢献できるよう、一社でも多くの日本企業が、この介護ビジネスの世界でアジア・ベトナムに進出することを期待しています。
ここまでこのシリーズにお付き合いいただきありがとうございました。これからも様々な機会で、SDGs、そしてその先の2050年のビジネスの世界を、また、日本のミライ、世界のミライをより良くするため、皆さんと知恵を共に出し合い、解決策を考えていける日を楽しみにしています。
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