あなたの知らない京都旅~1200年の物語~
忠臣蔵 京に潜伏 大石内蔵助の葛藤
BS朝日
12月14日(木)放送分
12月21日(木)22:54 終了予定
12月14日は赤穂浪士、討ち入りの日!今からおよそ320年前、江戸城・松の廊下の刃傷事件の裁きを不服とした赤穂藩の浪士たちが、吉良上野介の邸宅に討ち入り、見事かたき討ちを果たしました。彼らを率いたのが、赤穂藩の筆頭家老、大石内蔵助。実は大石内蔵助は、赤穂藩がお取り潰しとなったあと、1年以上に渡って京都に住んでいたのです。今回は、俳優の中村雅俊さんが京都にある大石内蔵助ゆかりの地をめぐる旅へ。内蔵助の素顔を探ります。
そもそもなぜ大石内蔵助は京都に移り住んだのでしょうか?それが分かるのが弘法大師空海ゆかりの寺院、泉涌寺塔頭の「来迎院」。境内には、内蔵助が建てたという茶室が。来迎院と内蔵助との意外な繋がりから、内蔵助が京都に移住した理由が明らかに。実際に内蔵助が住んでいた場所は、京都市の東に位置する山科の「岩屋寺」にありました。妻子と共に暮らしたというこの場所には、内蔵助が日々、手を合わせて願掛けをしていたという秘仏が。また内蔵助はこの地で慎ましく暮らしたのかと思いきや、しばしば伏見の遊廓に出かけていたと言います。それは幕府や吉良方を欺く為とも言われますが、実際は?内蔵助が足繁く通った場所の一つが祇園ですが、実はその道すがら、ある重要な目的のために立ち寄った所があります。それが「法住寺」。平安時代に大きな権力を握った後白河法皇ゆかりの寺院に、内蔵助が通った意外な目的がありました。さらに、討ち入りまでの数ヶ月、内蔵助の心の内を今に伝えるものも、ゆかりの寺院各地に残されていました。
旅人:中村雅俊(俳優)
(C)BS朝日
あなたの知らない京都旅~1200年の物語~
こちらもいかがですか