それは鉄道趣味にも似て

 ラーメン界隈(かいわい)は、「至高の一杯」とか言って究極のラーメンを求める向きもいる。自分も食べ歩いているうちに、なんとはなしに「至高の一杯があるなら食べてみたいものだ」とか考えるようになったのだが、ちょっと待て。

 「ラーメンはどこまでいってもラーメン」なのである。

 ラーメンにいくら美味を求めても、そしてどんなにおいしいラーメンでも、それはラーメンというフレームワークから出るものではないのだ。

 食べ物はラーメンだけではない。ラーメンの美味にこだわっていては、ラーメンというフレームワークの外側にある美味を食べ損ねてしまう。

 美味はラーメンだけにあらず。カレーもあるしハンバーグもあるぞ!……っとまた、お子様舌に落っこちてしまっては元も子もないが、とにかく食の世界はラーメンオンリーよりずっと広い。ラーメンだけにこだわる人生もありだが、自分はもっと広く色々なものが食べたい。

 このように考えた結果、私のラーメン食べ歩きは終了した。が、疑問は終わらない。

 では、「なぜ人はラーメンにこだわるのか」、あるいは「なぜラーメンばかりにこだわる人が一定数存在するのか」。

 ラーメンの楽しみの根底には、フォーマットが決まっているということがある。

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