僕とうみのスローライフ
そろそろ激怒している人も増えてきたので、重ねてわたしが怒り狂うのも蛇足であろうが、どうしてもこの手の保護猫動画は「本当にその経緯で保護したのか」という疑問がつきまとう。タイピーとかネコニチみたいな、人気の保護チャンネルでも、野良猫がいるのだから、どこかで捕まえたのだろうけど、本当にそういう経緯で保護したのかな、と首をひねることはある。そもそも「話を盛る」のは人間として普通のことであり、ふらふらと軸が定まらず漠然と生きているのが現実でも、後から動機を付け足したり、してもいない決意をしたとか、計画的行為を偶然と言ったり、まぐれの行動を計画的とうそぶいたり、過去をあれこれ修正して自分の歴史を再構成している。道路で野良猫を拾うとすれば、「車に轢かれそうなところを間一髪で助けた」ということになったりする。殺処分寸前とか餓死寸前とかボロボロの野良猫とか、なにかしら差し迫ったトリガーを挿入するのである。差し迫る前に保護してあげればいいという説もあるが、この斯界においては、差し迫った保護のほうが称賛されやすいし、「保護してくれてありがとうございます」という儀礼的な慣用句もあるだろうが、たぶん差し迫ったほうが物語的な起承転結がクッキリするし、ただの気まぐれで元気な野良猫を拾って飼うのではYouTubeの撮れ高としてかんばしくない。「僕とうみのスローライフ」は、海を泳いでいる三毛猫を掬い上げるわけだから、ずいぶん差し迫っているが、網で掬う前後の映像がないことも加え、ずいぶん綺麗で元気な子猫だし、普段から作り話に馴染んでいる猫動画閲覧者でさえも、名状しがたい違和感を持った人は多いであろう。この人が子猫を海に入れて、自ら網で掬った自作自演の光景をわたしが見た訳では無いし、いまさら現場で実況見分したとしても証拠は海の藻屑であろうが、GoProを使って撮影しているようだし、猫を網で掬うときだけ撮影ボタンを押したという感じもない。GoProは五万円程度ではあるが、素人が使うものとしては、それなりに本格的であるし、スマホの動画撮影には飽き足らない人が持つ。そういう機材を所有する動画撮影マニアが、「海から猫を掬う瞬間だけ撮影した(その瞬間以外は撮影していない)」というのもなさそうだし、ただひたすら違和感である。