ニバンボシ
「他の3人を応援してくれているみんなにとって、俺はニバンボシでいいよ」
ネット社会の変化や稀な人生経験から、自分に自信がないと涙ながらに私達に語っていた。
この世界は数字が全てだ。この界隈は世論が残酷な形で目に見える。
そう泣いていた志麻さんは、こう言って、一歩下がっていた。
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2017年 8月18日
志麻さんが盲腸で活動を休止した。
当時の流れを正確には覚えていないが、確か復帰してすぐにヒバナが投稿された。
メンバーからの「おかえりなさい」が並んだ引用リツイートが印象的で、それはもううれしくて、何回も何回も聞いた。誰のカバーよりも、志麻さんのヒバナを聞いた。
数ヶ月の活動休止。
その復帰配信は、ニコ生での歌枠だった。
それは突然始まった配信で。
志麻さんはこれまでと変わらず、マイペースに歌を歌っていた。
1時間弱の歌枠。
最後に歌った曲が、これだった。
この曲を歌いながら、志麻さんは大号泣した。
ラスサビなんてなんにも歌えてなかった。しゃくりあげるくらい泣いていて、壮大なイントロだけ流れていた。
今まで普通に歌っていたのに、最後のこの一曲だけ、堪えきれなくなったみたいに泣いていた。
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志麻さんは、自分の話をしてくれる人だ。
お母さんやお父さん、一個下の弟の話はもちろん。バレー部でのエピソードや学生時代の淡い恋愛話など、とにかく過去の話をしてくれる。
突然親近感が湧いて、彼のことが知れて、うれしい。
人を愛し、愛されてきた彼のことを知れるのがうれしい。
そんな志麻さんが過去に一度、何かのタイミングで語ってくれた話がある。
それは、「ゲームプログラマーの夢を諦めた話」だ。
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「ゲームプログラマーを目指してパソコンの専門学校に通ってて。」
「最初の頃は色々な資格を取るために必死に勉強をした。国家資格を取るために勉強するのが楽しかった。『俺はゲームプログラマーになるんだ』と本気で思っていた。そんな中、在学中にニコニコ動画に出会い『人を笑わせている自分が好き』だということに気がついた。」
「俺の場合は、完全にゲームプログラマーの夢を諦めたんです。」
「18歳の時はあんなに好きだった『プログラムを打つこと』も『ゲームを作ること』も全部嫌になった。2年生の時には、一緒に制作活動をしていたチームの人間にも迷惑をかけた。親にも泣かれて心が痛んだ。夢を諦めてから5年くらいは、ずっと後ろめたい気持ちでいっぱいだった。」
「本当にそれでやっていくつもりがないのなら、最初からやらない方がいい。」
「別にやるなとは言わないけれど、なあなあな気持ちでやるくらいなら、二足の草鞋は履かないほうがいい。『どっちもうまくいく』なんて、そんな甘い世界じゃない。」
「だって、俺がそうだったから」
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志麻さんが家族のことを心の底から大切にしているのは、普段の話を聞いていればよくわかる。
この世でいちばん尊敬できる人は?と聞かれて、考える暇もなく「親」と答えるひとだ。世界でたったひとりの弟のことも、心の底から可愛がっている。
志麻さんが実家から出て何年も経つが、毎年帰省する度に、志麻さんの家族は大喜びするらしい。そう嬉しそうに語っていたのも、志麻さんだ。
そんな彼が、家族に泣かれてまで選んだ道。
志麻さんは「二足の草鞋を履くのはやめろ」とハッキリ言った。
俺ができなかったからと。生半可な気持ちでやるくらいなら、最初からするな。周りを巻き込むなと、ひとりきりの配信で、強い言葉で言っていた。
志麻さんの経歴は、話を聞けば聞くほど珍しくて、複雑だ。専門学校にふたつ通っていたのも、「願書を取り間違えて、同じことを学ぶ学校にもう一度通った」と言っていた。そんなことあるのか。アッサリ話されたが、本当にわからない経歴だらけだ。
きっとその裏には、ゲームプログラマーになるかならないかの岐路に立った時のように、悩んで苦しんで強くて重たい「覚悟」を背負ってきただろう。
覚悟を持って、「志麻」として生きている。
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彼を応援しているといつも思うのだが、志麻さんの話は大体が「事後報告」だ。
活動者はリアルタイムで話ができることの方が少ないだろうし、一端のファンが彼の何を知ろうとするんだ、という大変烏滸がましい話ではあるが。
志麻さんは毎回、パッタリといなくなる。
SNSがプラットフォームのこの活動で、志麻さんは突然いなくなる。配信もツイートもなくなって、私たちの前から姿を消す。それも結構な期間。慣れろと言われればそうだが、個人的には昔から人一倍、ツイートも配信も多いのが志麻さんだったと感じているのもあって、ここ数年の動向に全然慣れない。
慣れない理由の一つに、長期間姿を消した後、彼が毎回ボロボロになって帰ってくるのもある。
「苦労を共感してほしいって、思わない」
この言葉を、志麻さんから何度も何度も聞いた。
だから毎回、事後報告なのだ。
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2022年 5月18日
ワンマンのチームメンバーがコロナで大きく欠け、中止か決行かを前日に迫られたとき。
深夜、つぶやくようにLINEが送られてきた。
「がんばれ、がんばれ」
なんとか決行に至ってワンマンは完走できたものの。
全てが終わった後の配信では「本当に死ぬかと思った」と語っていた。
自律神経を崩し、パニック症状に悩まされていたことも、全てが終わった後に教えてくれた。
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志麻さんは、浦島坂田船の裏センターだ。
はしゃいで前へ前へと走り出す3人を、後ろから小走りで追いかけながら、優しく見守る。彼がその場にいるだけで、ものすごい安心感が生まれる。
誰もに愛される、グループの顔のような存在ではないかもしれない。どちらかというとそんな存在を支えるような人で、表立って彼の努力をみられる機会はそうそう多くないのかもしれない。悩んでることも、辛いことも、全部自分でなんとかした後に聞かされるのかもしれない。
「ヤバイヤバイ!って焦って志麻くんの方見たら、大抵志麻くんも俺と同じように焦ってるんです」
2015年の夏。
ツアー終わりに、センラさんは雑誌のインタビューでこう言っていた。結成2年目の時点でセンラさんは、志麻さんに対して抱く安心感に確証を抱いていた。
一見、綺麗すぎるくらいの美貌にばかり目がいってしまう。一際輝くビジュアルから、いろんなことを想像されて、勝手に幻滅されることも多かったのかもしれない。
自分がやりたいことが、大衆の欲しいものではないのか。そんなことをぐるぐる考えて、目に見える数字と世論に押しつぶされそうになる夜が何度あっただろう。
「俺達のファンを、獲りにいくつもりでやってください」
2022年のハロウィンライブの本番前。
総合演出を担当した志麻さんが、ダンサー陣に向かって放った一言だ。
熱い。
志麻という男は、とにかく熱い。
全身全霊を賭けてステージに立っている。どれだけ自尊心が低くても、どんなに悩んでも、どんなに人と比べ、比べられても、私たちの前では堂々とパフォーマンスをする。決行をする。待っている人たちの為に、自分の全てを賭けて、自分の思案を練って練って練りまくる。
彼は、人の為に凝り性になれる人間なのだ。
優しくて、人の気持ちをいちばんに考える。
多少の自己犠牲には目を瞑る。
そんな彼のことが。
私は世界でいちばん、痺れるくらい大好きだ。
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プラネタリウムの法則じゃ 僕はただの脇役だけど
強がりじゃないし 大袈裟でもない
そうさ 君のことが好きだよ
アダムとイヴが羨むような 甘い言葉なんて浮かばないんだよ
いつかこの恋が終わりが来ても ずっと君を忘れないよ
ニバンボシじゃなきゃ出会えなかった恋
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2018年 5月4日
5年ぶりに開催された自身のワンマンライブで、この曲を歌う前に。
志麻さんは優しい顔をして、こう言った。

