確かに特定の方の私に対する発言がきっかけにはなりましたけれども、何度も書きますが、私を詠わせた強い動機は、精神薬に対する激しい怒りからだったと思います。
そのくらい私は精神薬の離脱症状で怖い体験をしてしまったのでした。
結果的に詠い出したきっかけになった人には大変ご迷惑をおかけしてしまいましたが、私自身、あの精神薬の離脱症状の体験は今でも身体が震えだしてしまうほどの悪夢でした。
ですから歌は過激を極めてしまいました。
きっかけになった方には本当に申し訳ありませんでしたが、私自身は、あの歌は、詠うべくして詠った歌でした。
が、そこまで相手の方の心を傷つけてしまうことは私の想定外でした。
そこまで思いが及ばなかったとも言えるかもしれません。
信じてはいただけないかもしれませんが、私自身はその方のことを信頼する気持ちが強くあったからこそ詠ったとも言えるかもしれません。
その証拠に、その方には、短歌を作ることをお薦めしたり私の秘密も打ち明けています。
それなのに「頭のおかしな人」などと言われたことにたいして裏切られた気持ちを勝手に抱いたのかもしれません。
私は、見かけはおとなしそうに見えると思いますが、かなり激しい炎も秘め持っていますから、怒りに火がつくと燃え盛るのです。
子供の頃からそうでした。
これは夫に向かうこともありますし、子育ての頃は子供達に向かったこともありました。
自分に向かったときには鬱になります。
とにかく激しいのです。
これは自分でも止められないものなのです。
こんな私のことをわがままと言う人もいると思います。
が、自分ではわがままだけではないと思っています。
歌を詠うのは私の必然から来ていると思います。
理解いただくことは難しいかもしれませんが、中には理解してくださる方もいらっしゃるかもしれませんので書いています。
私にすれば、謝らせていただいたことは私の精一杯の譲歩でしたけれども、謝らせていただいた後も、いつまでも外野席の人達が私を責めることには耐えられませんでした。
しかも私のことを呼び捨てにしたり、おばあと蔑称することには…。
なぜそういう歌を詠っただけで私より年上の人に「おばあ」と蔑称されないといけないのかと…。
それはその人が私を蔑称することそのものに、その人の溜飲を下げるという強い目的があったのではないでしょうか?
私を蔑称して私が改心するとでも思われたのですか?
それなら逆効果でしたと申し上げておきます。
どこの誰が自分のことを蔑称する人の意見に耳を傾けるというのでしょう。
今回の事件で、ご迷惑をおかけしてしまった方々には心よりお詫び申し上げますが、便乗して私を蔑称したり貶めたりするのが目的であった人達のことは決して許すことはありません。