さまざまな男性に家事の体験談を伺うことで、家事の歴史や社会状況を考えるこの連載。第一回目にご登場いただくのは文筆家の清田隆之さんです。
男性の皆さんに聞いてみたい「あなたにとって家事ってどういうものですか?」
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恋バナ収集ユニット「桃山商事」の代表として活動する傍ら、恋愛とジェンダーをテーマにした執筆や講演活動で活躍中。現在は配偶者とお子さんたちとの4人暮らし。在宅ワークをしながら双子育児をしています。
清田さんは1980年、東京の下町生まれ。ご両親と6歳下の妹さんの4人家族。実家は北千住の商店街で電器店を営んでいました。幼少期はバブル全盛期で商店街には活気があり、お店にはメーカーの営業の方がしょっちゅう訪れ、ボーナスの時期には人が押し寄せるほど繁盛していたといいます。濃密なご近所付き合いがあり、ご近所さんと頻繁に行き来するなど、商店街がもう一つの家のような雰囲気の中で子ども時代を過ごしたそうです。ところが、肝心の家事については記憶が薄いといいます。そんな清田さんの家事にまつわるお話。
清田隆之
文筆業、恋バナ収集ユニット「桃山商事」代表。これまで1200人以上の恋バナを聞き集め、「恋愛とジェンダー」をテーマにコラムやラジオなどで発信。朝日新聞beの人生相談「悩みのるつぼ」では回答者を務める。桃山商事としての著書に『生き抜くための恋愛相談』『どうして男は恋人より男友達を優先しがちなのか』(ともにイースト・プレス)、単著に『よかれと思ってやったのに──男たちの「失敗学」入門』(晶文社)『さよなら、俺たち』(スタンド・ブックス)『自慢話でも武勇伝でもない「一般男性」の話から見えた生きづらさと男らしさのこと』(扶桑社)、編著に『どうして男はそうなんだろうか会議』(筑摩書房)がある。
母がやっていたんだろうけど……
子どもの頃は誰が家事を担っていたのかというと、正直その意識すら……。振り返ると、ルールとか習慣とか、生活まわりの規範みたいなものがあまりないうちでした。両親は朝からお店に出ているし、僕や妹は朝から学校であまり生活時間帯が重ならないので、ご飯は大抵バラバラ。うちの隣が薬局で、なぜか毎日そこで朝ごはんを食べたりもしていました。
母はお店に立っていたし忙しかったはずなんですけど、だからといって父が積極的に家事をやっていたような記憶もなくて。僕は小3からサッカーをやっていて、「他の洗濯物が汚れるから」と母にさんざん怒られ、高学年になってからはソックスやユニフォームを自分でコインランドリーに行って洗濯するようになったのですが、家事っぽいことはそれくらいで……あとは母にやってもらっていたと思います。妹は6歳も下でまだ幼く、手伝いなどについて男女差を感じることはありませんでした。
家庭科の授業では調理実習や、キットで縫い物などをした記憶があります。でもイベントっぽいというか。やっぱりどこかで「女子がやるもの」という感覚があったように思います。中学からは私立の男子校で、「技術・家庭」という名の授業はあったけど、もっぱら技術の時間だったような気がします。てか、そもそも家庭科の先生っていたのかな……。そんな意識だから、家庭科で人生に必要な生活能力が身についたというような感覚は全然ありませんでした。
やり方を知らないくせにできると思っていた
料理なんてまったくしたことがないくせに、小学校高学年の頃、校庭の棚になっていたひょうたんの実を見て、なぜか「食えるんじゃないか?」と思って勝手に収穫し、家に持ち帰って包丁で切って食べたことがありました。
料理は大人(特に母親)がやることというイメージがあったのか、それまで包丁すら使ったことがなかったのに、「俺でもできる」といきがってそんなことをしちゃったんです。でも、ひとくち食べたらもうめちゃくちゃまずくて。それ以来きゅうりが食べられなくなっちゃったんです。
掃除は学校で当番のときにやる程度で、基本的にさぼりたいし、つまらないものだと思って真面目にやろうとしませんでした。ほうきで野球をしたり、使った雑巾をロッカーに突っ込んでそのままにしていたこともあったりで、どうしようもない生徒でした。
裁縫の授業も適当に受けていたように思いますが、ズボンやジャージが破れたときに自分で直そうとし、めちゃくちゃに縫って変な形になってしまったり、破れたところを無理やり安全ピンで止めて謎にパンクな感じになってしまったこともありました。裁縫でも料理でも掃除でも、ろくに身についてもいないのに、「俺にもできる」という根拠のない思い込みがありました。どうしたらきれいになるか、放置するとどうなるかというプロセスがわからないまま、見様見真似で表面的にやって取り返しのつかないことになってしまう、そんなことを繰り返していたように思います。
バイトならできたことを家ではやらない
大学卒業後、高校時代の同級生と高田馬場でルームシェア暮らしを始めました。料理はほとんどせず、冷蔵庫にはマヨネーズとケチャップ、納豆にチーズ、あとはビールと缶酎ハイだけ、みたいな(笑)。米だけ炊いて、コンビニの唐揚げをおかずにするような生活でした。たまにイベント的にカレーを作ったりしましたが、ちゃんと洗いものをせず、シンクに2週間放置したあげく鍋がカビだらけになり、蓋を開けたら新種の生態系みたいなのができていたこともありました。
家事でやっていたのは掃除くらいですね。とはいえ、風呂の排水溝の掃除もロクにしなくて、ヌメヌメになったらシュッシュって洗うくらい。ルームメイトの恋人が見かねて掃除してくれて。それに対しても罪悪感どころか、「まじで助かる!」とか言いながら平気で任せてしまっていました。
高校と大学では飲食系のアルバイトをしていて、ホール担当だったんですよ。そこでは普通に掃除とかしているわけですよね。トイレ掃除もダスター(ふきん)の交換とかもやっていたのに、仕事ではできても、自分の生活空間をきれいにすることとは結びついていませんでした。それはどこかで「家事=面倒くさいタスク」であり、なるべくなら避けたいものという感覚があったからじゃないかと思うんです。「そんな時間があるならゲームしたい」って気持ちがあったし、ルームメイトともその感覚は共有していたから、鍋をカビだらけになるまで放っておけたのかもしれません。
やるようになったものの、ラクしたい意識は抜けず
その同級生とは高田馬場→巣鴨と引っ越しをはさんで5年ほど2人暮らしを続けたのですが、契約更新のタイミングで新メンバーを加え、西永福にある3LDKのマンションで3人暮らしが始まりました。予備校時代からの友人であり、今も「桃山商事」の活動を一緒にやっている森田が加わったのですが、それによって家事に対する意識がだいぶ変わりました。
森田は毎日のように料理をしたり、掃除のあとにフローリングを水拭きしたりと、すべてが適当だった我々とは生活習慣が全然違ってて。「便座が汚れるから」と、トイレは座ってするというルールができたのもこの頃でした。家事に対する意識が変化し始めたのは、確実に森田の影響が大きかったと思います。
それからもうひとつ、当時は大学時代のサークル仲間と立ち上げた制作会社で働いていまして、とりわけ20代後半で事務所を引っ越してからは、掃除機、水回り、トイレ、古紙まとめ、玄関&バルコニーと、几帳面な社長が分担のローテーションを組んでくれ、何曜日はどこを誰がやると掃除当番が回ってくるようになりました。
家でも会社でも家事まわりをちゃんとやらざるを得なくなり、トイレは使ったら汚れるんだなとか、ほこりって掃除機をかけなかったらこんなに溜まるんだなとか、トイレットペーパーや洗剤は使ったら補充しないと不便だなって、そういう超基本的なことがようやくわかってきました。ゴミはゴミの日に出さないといけないし、そのために分別しないといけないし、ゴミ袋はいろんなサイズがあって場合に応じて使い分けるとか……当時はそういう概念としては認識していませんでしたが、いわゆる「名前のない家事」みたいなところに意識が向くようになりました。
そんなふうにほんとうに少しずつ、家事の全体像が見えてきた一方、相変わらず家事は面倒という気持ちはあったので、いつもドン・キホーテなんかにいって、「これで解決!」みたいな便利グッズを探し求めていました。
ていねいな暮らしに出会い自分を見直す
30代になるくらいまで、毎日言いようのない不安を抱えながら生きていた気がします。当時は事務所に寝泊まりすることも多く、家には寝に帰るだけ、みたいな毎日で。なんだかふわふわして地面に根っこがつながっていない感じというか、とにかくすごく不安だったんです。あとから振り返って考えたとき、それは「生活」の不在と関係があったんじゃないかと思うようになって。
例えば子どもの頃って地域の中で暮らしていて、どこにどんなお店があり、この道がどこにつながっているのか、全部知っていて、町と自分がつながっているような感覚があったと思うんですよ。でも、特に巣鴨に住んでいたときが顕著でしたが、基本的に会社と自宅の往復で、駅からの道と最寄りのコンビニくらいしか町との接点がなくて、そこが自分の居場所に感じられないというか、「生活」をしていないような感じがあったんです。
ちょうどその頃、友達にオススメされて西村佳哲さんの『自分の仕事をつくる』という本を読み、とても感銘を受けて自分の働き方に疑問を持つようになりました。これは会社勤めだけではないさまざまな働き方をしている人にインタビューした本で、どの方も自分の価値観やスタイルが仕事に染み込んでいる感じがしたんですね。当時の自分は雑誌ライターとしていろんな人に取材して記事を書く仕事がメインでしたが、それはそれでやりがいや面白さを感じていた一方、機械的にこなしてるだけの部分も正直あって、「俺はこれをずっと続けてどうなるんだろう……」という疑問が芽生えてきて。同じ時期に立て続けに読んだ、自分の意志が行き届いた仕事を、手の届く範囲の人に向けて小さな経済を回していくような“小商い”的な仕事をしている人たちの本にも影響を受けました。
仕事でも「ていねいな暮らし」をしている人たちを取材することがありました。特に大きな影響を受けたのが能登半島の人々を取材した仕事で、地域に根ざした暮らしを実践し、季節とともに生き、土地のものを使って野菜や工芸品を作り……という、仕事と生活が有機的につながりあうような人々の暮らしぶりに衝撃を受けました。点と点を移動するだけの日々、「肉、米、マヨネーズ」みたいな単に空腹を埋めるだけの食事、「その場しのぎ」が蓄積してできあがったような部屋……そうか、今の自分には生活がないんだ、それが言いようのない不安の源泉かもしれないと思い至り、ハッとする瞬間がありました。
家事で自分と世界のつながりを取り戻す
そういうこともあって2013年にフリーランスとして独立し、そこから在宅ワークでずっとうちにいる日々が始まりました。この頃もルームシェアを続けていまして、同居人たちは会社員なので僕が3人分の洗濯をすることになりました。
洗濯を毎日するようになって、いろんな気づきがありました。洗濯物を干すときはこういう順番でやると効率がいいとか、こうやって干すとシワシワにならないとか、洗濯ばさみをピッタリ使い切るように干せたときは気持ちいいなとか、そういった細かなことを考えながら家事をするようになったんです。そんな小さなところから、ほんとうに少しずつですが、家事の楽しさや気持ちよさが体感できるようになっていきました。ほんとうに少しずつですけどね。そうやって自分なりに生活スキルを身につけるうちに、自分と世界がつながっていくような感覚が芽生え始めたんです。
家事ってある種のネットワークというか、システムになっているので、思いつきでいきなり掃除したり料理したりしてもどこか単発的になってしまうというか……毎日少しずつやることで、リズムだったり、サイクルだったり、物の配置だったりが構築されていく。そうやって家と自分、町と自分の間に有機的なつながりを築いていくことで“生活”が生まれてきます。今思えば、20代にやっていたような家事は、気づいたときだけとか思いつきでしていたもので、身の周りを整えて生活にリズムをつけるものではありませんでした。それが生活をしてないという漠然とした不安につながっていたんじゃないかと思います。
妻とのクオリティーの違いに愕然
2017年に結婚し、「夫婦+元からのルームメイト」という風変わりな3人暮らしを経て、妻との暮らしが始まりました。結婚は多くの人にとって家事と向き合うきっかけになる出来事だと思いますが、僕の場合は、妻の家事とクオリティの違いに愕然としました。
その頃には僕も自分なりの家事スキルを身につけていたと思っていたので、一通りやろうと思えばできるようになってはいたのですが、なんかもう、妻と全然クオリティが違うんです。例えば洗濯物だと、僕は取り込むと2、3日そのままにしてしまうこともザラですが、彼女はすぐに畳んでタンスにしまうし、その畳み方もものすごくピシッとしていて上手なんです。掃除も隅々まできれいにするし、食器の扱いもすごく丁寧だし、物の分類も上手で……本人は何気なくやっている感じですが、基礎や土台が圧倒的に違うように自分からは見えました。
そういえば以前、こんなことがありました。一緒にリビングの掃除をしていたときに、掃除機の邪魔だからと僕が足で椅子をどかしたことがあったんですね。だけど、彼女にはその仕草が家具を雑に扱っていると映ったようで、話し合い案件になったことがありました。そこで見えてきたのは、自分は家事を面倒な作業と捉え、「とにかく早く終わらせたい」と思うあまり、何かと雑になってしまいがちなんじゃないか……ということでした。
その背景を考えてみると、自分の時間と労力とお金はすべて自分のために使うものであり、それ以外のことは省エネで済ませたいという感覚から来ているんじゃないかと思うんです。ここにはおそらくジェンダーが色濃く関係していると思うのですが、僕は小さな頃からそういう感覚で生きることが許されていて、それが基本原理になってしまっていました。その態度が家事の雑さになって現れているような気がしてなりません。掃除の例についても「二人のスペースを住みやすくしましょう」よりも「サッサと済ませたい」が勝ってしまいます。だから、ものを足でどけるという行動になって、それが彼女にとってネガティブな景色として映ったんじゃないかと思います。
育児開始と同時にコロナがやってきた
2019年の秋に双子が生まれ、4人暮らしが始まりました。ちょうどコロナ禍の直前だったので、子育てとコロナが同時にやってきた感じがあって。それまでは、お互いのやり方や感覚を話し合いながら少しずつすり合わせてきたように思いますが、感染対策は命にかかわる問題なので、水準の高いほうに合わるべきだと考え、彼女のやり方にならってルールを構築しました。自分が合わせるほうなので、これまで以上に細かく意識したり、厳しく自分を律したりする必要があり、大変な部分も正直あります。でも、命にかかわる以上はしっかりやっていくしかありません。
ただ、ひとたび子どもが病気したときなどはかなり大変です。風邪をもらわないよう家の中でも手洗いうがいを徹底するとか、子どもに触れた手で他のところを触らないとか、くしゃみした後は周辺を丁寧に消毒するとか。そういう一つ一つのことを継続していくことが感染対策だと頭では理解しているのですが、ついつい面倒に思ってしまう瞬間もあり……。子どもの夜泣き対応で寝不足になったり、仕事が詰まって心身の余裕がなくなったりしているときなどは特に大変で、理想の水準と、現実的に運用可能な水準の間で、常に葛藤している感じです。
よく、家事や育児をやりすぎているからしんどいのではないか、適度に手を抜こうというアドバイスがありますよね。キャパシティと相談しながらでないと無理が生じるのは確かだけど、コロナ禍での子育てにおいては万が一の事にもなり得るため、その“適度”がどこなのか、ラインを見極めるのがすごく難しいなって実感します。できることなら高い水準を保ちたいけれど、限られた体力と時間の中でやっていかねばならず、安心かつ持続可能なやり方を日々模索しているところです。
辛さに溺れそうになる前に
このような状況下で、家事をやるのが怖く感じてしまうことも正直あります。彼女をモヤつかせてしまっているのではないか、彼女が安心するクオリティで家事をできているのかと、不安になってくるんですよね。特にコロナ対策に関しては、自分が下手なことをして子どもたちに感染させてしまったらどうしようという感覚に襲われ、家具や食器に触れることすら怖くなって身動きがとれなくなる瞬間も結構ありました。
もちろん「ちゃんとできていないのが辛いな」「ここのところ彼女に頼りがちで申し訳ないな」という気持ちになることはありますが、それに溺れると「俺だってがんばってるのに!」「だったらもうやらない!」という極端な感情に襲われそうになります。桃山商事で見聞きする話には家事育児にまつわる悩みごとも多いのですが、やっぱりまだまだ女性たちに負担が偏っているのが現実だと感じます。自分自身も含め、男性はこれからこういった問題に直面する機会が増えていくんじゃないかと思います。
すべての男性がそうという話ではもちろんありませんが、“点”でやる家事から“線”でやる家事に広げていくことが大事ではないかと考えています。また、もし苦手意識やスキル不足を自覚している場合は、相手の指示ややり方にいったん従いつつ、全体像を掴みながら自分なりにできることを増やしていくことが大切だと思います。例えば以前、とある女性から「普段はまったく料理をしないのに、たまに高級な肉を買ってきて贅沢なカレーを作り、子どもの歓心を買おうとする旦那に腹が立つ」という話を聞きました。また、担当の掃除をサボりがちな夫にクレームをつけたら、「だったらルンバを買えばいいだろ!」と逆ギレされた女性もいました。
自分にとっても“点”の家事や“一発解決”を求める感覚はとても既視感のあるもので、これはすごく男性的な問題なのかもなと……。一人暮らしの場合はどうやろうが自由だと思いますが、誰かと暮らす場合、家事って単に効率化すればいいわけでも、手抜きすればいいわけでもなく、一つ一つが生活の中でどんな意味をもっているか、どう位置付けられているかをちゃんと理解した上でやっていくのが大事ではないかと思っています。
僕にとっての家事
僕にとっての家事は「つながりをつくる」手段かもしれません。人とモノ、人と人、自分と家、自分と地域、それら一つ一つの糸がつながっていくことで、根の張った暮らしができていくような感覚があります。例えば子どもたちと散歩して、町のいろんな道を知るうちに、ここを曲がるとここに出るんだ、あの公園にはこうやって行こう……というように自分なりのルートができてきて、生活にリアリティが生まれてくるのがすごくいいなって。そういう感覚が「ここで暮らしているんだ」という実感につながっていくというか。
20代に僕が抱いていた、ふわふわしていて、自分はどこにいて何をしているかよくわからない不安や孤独は、すごく男性的……というか、もっと大げさに言えば近代的、あるいは資本主義的な問題でもあったんじゃないかと思います。だから、自分と何かをつなげていくような感覚こそ、これからの男性にとって重要なものだと感じます。家事は面倒だし大変なものではあるけれど、いろんなものとの細かな糸をつなげ、我々の存在を下支えする“生活”の手段として捉え直していけたらいいなと考えています。