渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

奇縁

2023年12月17日 | open
 

昭和30年代。東京オリンピック
の頃。目黒区東山にて。

私自身のヒストリカルなところ
では、奇縁というものが非常に
多くある。友人たちは私のそれ
を「怖いアルアル」と呼んでい
る。異常なほどに数が多いのだ。

昭和30年代。私の父が勤める会
社にはハーレーに乗って通勤し
ている人がいた。
父の会社は大正時代に日本で
初めて純国産車を作った日本自
動車産業の雄と呼ばれた人物が
起業した。その人物の事はかつ
て法曹界の仕事だった時に、最
高裁図書館の「紳士録(昭和8年
発行)」で見た。「我国自動車
産業の雄」と記載されていた。
官費留学でフランスに渡航し、
さらにその足で米国にも赴き、
帰国して日本初の自動車を作っ
た。
昭和30年代、その会社にまだ日
本人には珍しかったハーレーで
通勤していた人は後に取締役に
なった。弟は某大学の教授だっ
た。

その頃から20年以上が過ぎ、私
は社会人となり、ある都内大手
法律事務所に勤務するようにな
っていた。
その職場では、弁護士と職員の
学識を高めるために何ヵ月かに
一度「コロキウム」と称して、
学識経験者を呼んで講義をして
もらう催しがあった。参加は自
由。大学の講義より面白い専門
的な事が無料で学べるので私は
毎回参加した。分野は医学から
社会学、歴史学、工学、多岐に
亘った。弘仲さんもよく参加し
ていた。
ある時、某大学の教授を呼んだ
ら、私の父が勤めていた会社の
ハーレーマンの弟だった。
コロキウム後日には、ある事件
(受任案件を法律事務ではそう
呼ぶ)のアドバイザーとして
専門分野から訴訟に協力しても
らうようになった。
打ち合わせ後の食事会の時に
お兄様の事を言うと奇縁に教授
は驚いていた。

「教授」絡みではさらに驚いた
事がある。
ある事件での裁判の証人要請
のため、ある人を事務所に呼ん
だ。
すると来たのは、哲学界で有名
な大学教授で、何と私が学生
時代に部長をやっていたフロン
トサークルの顧問の教授だった。
驚いた。
そして、その教授と共にいらし
た人は私が学生時代にバイトし
た古書店の店主だった。
ダブルの登場にあたしゃぶった
まげた。
教授も店主も私も互いに三人が
顔を見合わせて驚いていた。
「え?知り合いだったの?」と
いう感じで。

この手の話が私には異様に多い。
直近で一番驚いたのは、20年程
前にとある縁から連絡を互いに
取っていた会った事の無い見知
らぬ人が私と直系血族関係だっ
た事だ。苗字も名前も私と同じ。
高祖父が同一人物だった。地方
では有名な薬草研究者だ。
なぜ知ったかというと、その方の
息子さんが東大院で教鞭を執る
人で、一度私の家の墓所に東京
から奥様と尋ねて来たと住職が
教えてくれたからだ。
その坊主が告げた時は偶然地場
の従姉妹の葬式だったので、対
応はできなかった。
その東京の東大院の先生のサイト
を最近見ていたら、お父様の事が
書かれていて、その人物はかつ
て頻繁に私と互いに連絡を取って
いた同性同名の人だった。一族だ
などとは互いに知らない。
しかし、互いの高祖父は同一人物
だった。
このような血族奇縁はそれまで発
覚した数ある奇縁の中でも特異で
あり、何なのかと思って正直なと
ころかなり驚愕した。
だが、血族奇縁では、もっと驚く
事が20年ほど前に発覚していた。
数百年の時を超えての血脈的な縁
繋がりを現代において偶然気づか
されたというものだ。
しかし、それはネットでは書けな
い。

嘘のような本当の話、というのは
世の中あるものだ。
あまりにそうした実例が自分の
身に起き過ぎると、何か目に見え
ない存在の采配で掌の上で転がさ
れているような気になる。
というか、天は絶対に見ている。

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