「朝鮮人が小舟で日本海側沿岸に上陸してくる」というのは、みんなもう忘れているが切実な日本の社会問題じゃった。
2019年11月にも、北海道木古内町の海岸に小型上陸用舟艇が打ち上げられ、中には2人の遺体があり、所持品などから北朝鮮から来たことが海上保安庁から発表されておる。
2017年には実際に上陸して発電機など手当たり次第窃盗をした罪で起訴された、北朝鮮籍の男性もいた。
まあ捕まっても「漁業をしていたら偶然流された。漁具は海没した」とか言い訳されたらそこまでなんじゃが、密入国の何がまずいかというと、
社会的に受け入れ基盤がなく、お金も住むところもなければ、必然的に悪いことをして生活するしかないし、反社会勢力が利用して、覚醒剤の売人とか、悪のグレードアップが当然予想されるからじゃな。
じゃから、世界各国は密入国を強く警戒しておるわけじゃ。
ワシらが一生懸命に働いて納めた税金で築き上げられた社会インフラにタダノリさせて、というのもおかしな話だとワシは思う。
ただ、なぜこうも長期間、半年からレーダーに捕捉されにくい木製小舟で日本に来るのかというと、実際にこの行為が合法だった期間と世論があったからじゃ。
それは、日韓併合条約が発効した1910年8月29日から、サンフランシスコ平和条約が発効した1952年4月28日までの期間じゃ。
この期間、朝鮮半島出身者には全員日本国籍が付与され、日本人となった。
だから、ワシらが船で伊豆諸島にいくのと同じ法的扱いで、朝鮮半島から日本列島に移動できたわけじゃ。
よく「戦争が終わったら突然日本国籍を剥奪された」とかいうデマがあるが、
実際には1945年8月から1952年4月まで日本国籍があり、
この期間に本籍地を朝鮮半島から日本国内に転籍し申請するなど、引き続き日本人として生きたい意思表示をすれば、普通に日本人になれたんじゃな。
ただ、1948年8月に韓国が建国されるとなかなか手続きが難しくなったなどの事情もあり、
また、韓国大統領の李承晩が
1952年1月18日に一方的な領海宣言をして、数千人にも及ぶ日本人漁師の拉致と拷問を繰り返すなど、なかなか難しい状況にはあった。
とはいえ、法律上は1952年4月まで日本人なのだから、移動は日本国内法上では合法じゃった。
最大の「小舟」が来たのは、1950年6月25日に始まった朝鮮戦争からじゃった。
開戦すると北朝鮮軍はソ連の武器供与を受け、大攻勢を開始し、ソウルを占領。
開戦3ヶ月で最終防衛ラインは釜山になってしまった。
共産軍は各地で韓国人民間人に銃弾を浴びせ、
いまのガザ地区なんか言い方は悪いがサバゲーにしか見えないような戦闘が行われ、
韓国の民間人が130万人以上も不条理に殺された。
可哀想だよな。可哀想じゃろ。
日本が戦争に負けたから、韓国の女性も子どもも、
ただ「共産主義を信じない」というだけで、生きることを許されない状況になった。
そこで、日本側も山口県に6万人の韓国人を収容できる難民保護センターを建設する企画がはじまり、
日本各地で韓国人を受け入れたんじゃ。
『韓国は反共の防波堤』
いまは信じられないかもしれないが、当時は本当にみんなそう思っていたんじゃ。
だから、みんな韓国人に優しかった。
小舟で着の身着のままきても保護した。
一応日本国籍があるからだけではない。
その人の父親が、祖父が、息子が、兄が、弟が、
いま日本にも迫り来る共産軍と戦って傷つき、
亡くなっているからじゃ!!
日本が戦争に負けたから!
代わりに!
代わりに戦ってくれている!
放置したら対馬や福岡にくるあの共産軍と!
背後にいるあのソ連や中国と!
これで当時の在日韓国人に対してぞんざいな扱いをする日本人は、共産主義者くらいじゃ。
じゃから日本は、生活保護の扱いも日本人に準じる扱いにし、
勝手に日本にきても捕まえたりせず黙認したんじゃ。
…でもな、あれから時が経ち、世界はだいぶ変わった。
にもかかわらず、法的扱いはそのままじゃ。
だから相互不信が起きる。
今のままじゃ駄目だよな。韓国はもう日本の子どもではない。立派に成人しとる。
一方的な援助や寛容はかえって反発の原因になる。それを政治に反映すべきじゃ。
写真は、国連軍が仁川上陸作戦をした浜辺とワシじゃ。
反共最後の砦、釜山を守った男たちの軍靴が踏みしめた砂じゃ。
時代は変わった。
あ! 最後に宣伝させてな。
ワシの夫の親友が本を出したから頼まれてな。
『武器としての漫画思考』という本で、漫画のひとコマを広告に使う会社を起こして、借金まみれから年利益30億円の会社まで成長させた人のお話しじゃ。
良かったら読んでな!
amzn.asia/d/9R66Vxv
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