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俺もお前も欠陥人間。

二十代後半、高校の同級生だったMちゃまと一緒に『いばや』という会社を作った。とにかくやばいことだけをやるというコンセプトだけを決めて、あとはなんでもやれるように定款を作った。宇宙の摂理として、新しいことをやっている人間は死なない。やばいことをやっていればそれを面白がってくれるやばい人たちが現れて、結果、とんでもないわっしょい状態が起こる。そんな仮説だけを武器に、我々はノーアイデアで起業した。いばやとは『やばい』を逆から読んだだけだ。固定概念をひっくり返したいと後から意味を加えたが、結局、我々はたいしたことをせずに会社を閉じた。起業すれば我々みたいな社会不適合者もしっかり金の計算をすると思っていたのだが、まったくしなかった。ああ、俺は本当にやらないのだなあと、自分の『やらない力』に感動したことを覚えている。

その後、捨てちゃいけない書類を全部捨てた。理由は単純。目障りだったからだ。重要案件なら催促が来る。催促が来てから考えようということで、能動的に放火をした。全部燃やしたらスッキリした。高校時代、新潟の河川敷で社会の教科書を燃やしたことを思い出した。ああ、俺は今社会を燃やしているのだと背徳感に震えた。メールを出したら返信が来ると思っている奴は甘い。高校時代、授業中に寝ていたら怒られた。眠たくなる授業をするお前が悪いと言ったら、更に怒られた。未だに私は腑に落ちていない。何かをして欲しいなら、そうしたくなるように知恵と工夫を使うのが筋だ。この瞬間、私の反骨精神は決定的なものになった。反骨精神は、私に「燃やす」という必殺技を与えた。最悪、燃やす。全部燃やすと、スッキリする。

私は、呑気な奴らが世界を救うと思っている。頑張って何事かを成し遂げたり、人生は一度きりだから今を大切に生きようとする人々も立派だが、私は「変わらないで、そこにいてくれる人」を愛する。私は「いつもと同じように、お茶を飲んでいる人」を愛する。やる人間ではなく、やらない人間。その『やらない力』に惹かれる。普通、やってなさに耐えられない。無職の期間が続くと、大概は焦り何かしらの職に就く。だが、プロの怠け者はその程度では慌てない。正確には、慌てているのだが「まいっか」が勝る。履歴書を書くより、お茶を優先する。こういう人たちはクズだのカスだのボロクソに叩かれがちだが、最後の最後、本当に追い詰められた人間に優しいのは、呑気な奴らだ。彼らは安易に励まさない。上っ面の言葉を吐く代わりに、そっと一杯お茶を出す。彼らは見捨てない。いつもと同じように、お茶を出しながら迎え入れる。そのお茶に、我々は救われるのだ。

リスは、迫り来る冬に備えて地中深くに木の実を埋める。だが、お茶目なリスは自分が埋めた場所を忘れる。ある人は「リスは馬鹿だね」とディスるが、リスが木の実を埋めた場所を忘れてくれるからこそ、新しい木が育ち自然が守られる。リスが「馬鹿だね」という言葉を真に受けて、コーチングの指導を受け、在庫管理するようになったら終わりだ。リスはリスのままでいてくれないと困る。生きとし生けるものが合理主義者になったら、地球は滅びる。南の国に行くと、大概の人間はのんびりしている。忙しなく働く日本人に「どうしてそんなに焦るんだい?」と、核心を突くような問いを発する。インドネシアには重ね語が多く、ジャランは道、ジャランジャランは散歩になる。私の好きな言葉はキラキラで、意味はだいたい、アバウトという意味になる。現地の人に年を聞くと、十歳くらいの人に聞いても、三十歳くらいの人に聞いても、全員「キラキラ十五歳」と言う。彼らは年齢を気にしない。日本と違い四季もなく、一年中夏が続く地域では、死生観も変わってくる。区別を気にしない。この世とあの世のあいだも気にしない。この世が無理ならば、あの世でやればいい。何もそんなに焦る必要はない。そんなことより海に行こう。そんなことよりお茶を飲もう。そんなことより人生を楽しもう。

有能な人間は生きていてよく、無能な人間は死んだ方がいい的な雰囲気を日本に感じる。私は警鐘を鳴らしたい。不要な人間はいない。それは人間側の思い上がりだ。無能な人間を殺したら、有用な人間も全員死ぬぜ。それは自殺だ。お前が頑張るほど、地球を破壊しているかもしれないぜ。南国のない世界は地獄だ。リスのいない世界は地獄だ。呑気な奴らがいない世界は生きていけない。自分を否定するのではなく、自分はリスを担当しているのだと思った方が呑気だ。自分は南の国を担当しているのだと思った方が呑気だ。自分を否定しても誰も幸せにならない。俺もお前も欠陥人間。否定するな。肯定しろ。やらない自分を肯定しろ。呑気な自分を肯定しろ。人知れず、お前は誰かを救っている。少なくとも、俺を救っている。仏は完全無欠だが、人間は欠点だらけだ。だから面白いのだ。一人一人の存在が『いばや』なのだ。俺もお前も、生きていることが『いばや』なのだ。

あの日話した内容を繰り返し考えています。全てが衝撃的で、隠していた部分を指摘され、何とか反論しようとする自分が確実にいました。坂爪さんに嫌われたくないと言う甘えや弱さ。その場を取り繕いたかった狡さや逃げ。坂爪さんにお会いした夜は眠れず少し落ち込みネガティブになっていましたが、考えるうちに、このままの私だとどんな環境でも同じ壁にぶちあたってしまうことに気がつきました。自分に染み付いている人間不信や、自己防衛的な安易な謝罪や言い訳、自己卑下をしていることを認めること。また、今あるものに対してもっと感謝すること。まだまだ殻は硬いですが、
坂爪さんが、本気になって真っ直ぐに向き合って下さり、ご指摘してくださったこと、心から感謝しています。これからの糧にしていきたいです。
本当にありがとうございました。

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おおまかな予定

12月15日(金)静岡県熱海市界隈
以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)

連絡先・坂爪圭吾
LINE ID ibaya
keigosakatsume@gmail.com

SCHEDULE https://tinyurl.com/2y6ch66z

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坂爪圭吾

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俺もお前も欠陥人間。|坂爪圭吾