フェミニズムに関係する本がたびたび話題になる今、6月に刊行された『お砂糖とスパイスと爆発的な何か』(書肆侃侃房)もたいへん話題となっています。wezzyでの同タイトル連載の一部に加え、書き下ろし6本を収録している本書はどのように作られ、そしてシェイクスピア研究者であり、本書の著者である北村紗衣さんは、どのようにして現在の北村さんになったのでしょうか。
大学時代からの旧知の仲であり、互いに「さえぼう」「ニクさん」と呼び合う、西洋初期近代の哲学史の研究者である坂本邦暢さんと共に、北村さんと本書の謎を探るイベントの様子をお送りします(会場:Readin’Writin’ BOOKSTORE)。
坂本邦暢 (さかもと・くにのぶ)
1982年生まれ。2012年に東京大学の科学史・科学哲学コースにて博士号を取得。明治大学講師。専門は西洋初期近代の哲学史。著書にJulius Caesar Scaliger, Renaissance Reformer of Aristotelianism (2016)、共著に『ルネサンス・バロックのブックガイド』(ヒロ・ヒライ監修、工作舎、2019)など。
探偵になろう
坂本 皆さん、今日はよろしくお願いします。坂本邦暢と申します。私はさえぼう(※北村さんのこと)の友達という属性以外なにもないのにここに呼ばれてしまいました。
北村 私とニクさん(※坂本さんのこと)には一応、二人との近世ヨーロッパ研究をしているという共通点があります。
坂本 一応そうなんです。私とさえぼうは古くからの友人です。最初に会ったのは、2002年5月、大学のラテン語の授業の打ち上げです。当時のさえぼうに、どんなことをやりたいのかを聞いたら「表象文化論コースに行って、河合祥一郎先生のところでシェイクスピアの勉強をして研究者になりたい」と言っていました。十何年経ってプロフィールをみると「専門はシェイクスピア。表彰文化論にて学士号、修士号を取得後、キングス・カレッジ・ロンドンにて博士号を取得。現在、シェイクスピア学者……」と書いてある。私が最初に会った17年前の時点で、いい言い方をすればさえぼうは完成されていた、悪い言い方をすれば手遅れになっていたんです。何も変わっていないんですね。
北村 髪型は変わりました。
坂本 そうですね。髪が伸びた。しかも、いつの間にかトークショーをするといろんな人が押し寄せてくるくらい偉くなっていて……。
北村 そんなことはないです。
坂本 ただ、さえぼうだって生まれた瞬間からシェイクスピアをやりたいと思っていたわけではないと思うんですね。そこで今日は二部構成でお話を進めていきたいと思っています。最初は「さえぼうの歴史を知ろう」。そして次が新刊の『お砂糖とスパイスと爆発的な何か』について、です。
この人がこんな状態になってしまったのかを知るのは、この本を知ることにも繋がると思います。というのも新刊の『お砂糖とスパイスと爆発的な何か』は、著者の顔がとてもよく見える本なんですね。本の中に、「批評家は探偵だ」とありますが、私たちも探偵になった気分でさえぼうのことを探っていきましょう。
北海道・士別時代
坂本 早速「さえぼうの歴史を知ろう」編に入っていきましょう。
北村 ニクさんは歴史家ですから、歴史を追うのは得意ですよね。
坂本 ええ、一応、歴史家なので。最初は出身地である北海道の士別時代のことです。2002年3月までは士別に住んでいたということですが、士別に行ったことある人は? ……われわれしかいませんね。士別はどんな街なんですか?
北村 旭川より1時間半くらい北にある街です。少し南に大雪山があって、羊と米が有名です。他には、そば、テンサイ、ビートというオリゴ糖を作る大根みたいなものも作っています。あと村上春樹の『羊をめぐる冒険』はおそらく士別が舞台だと言われています。取材に来たとかいう噂があって。
坂本 羊を育てる場所ってそんなにないんでしょう?
北村 そうなんですよ。ニュージーランドみたいに人間より羊が多いというわけではないです。
坂本 新刊の中に書かれているような劇場や映画館はあるんですか?
北村 一個もないです。大学に出てくるまで、高校の演劇部以外、ほとんどお芝居を見たことがなかったんですよ。
坂本 となると、どういう経緯で文学やシェイクスピアにハマってしまったんですか?
北村 中学3年生ぐらいのときに、ディカプリオが出ている『ロミオとジュリエット』を初めて映画館でみたんです。最初の単著である『シェイクスピア劇を楽しんだ女性たち』にも、ディカプリオのせいでこの仕事をしているみたいなことを書いたんですけど、そのくらいディカプリオが大好きだったんです。それでシェイクスピアに興味を持ったら、知り合いがシェイクスピアを訳していたりして、本をくれたんです。
坂本 それは知らなかった。
北村 それでシェイクスピアを読んでみたら面白くて。ただ私は大学に入った直後、ニクさんに出会う一カ月前まではアイルランドのゲール語をやりたいって思ってたんです。でも当時はゲール語の授業が東大にはなかった。じゃあシェイクスピア好きだし……って河合祥一郎先生の授業を受けたらすごい面白くて。
坂本 なんでゲール語?
北村 高校のときに、エンヤとU2とか、アイルランドの音楽が流行ってたんです。
坂本 映画や音楽から入ってるんですね。基本的に、士別時代は読んだり聞いたり見たりばっかりっていう感じなの? 書いたりは?
北村 小説は書いてました。有島青少年文芸賞を取ったこともあります。
坂本 元から文芸に興味があったってことなんですか。
北村 私の祖父とかが左翼文学っぽいことをやってたんで。
坂本 ああ、特高(特別高等警察)に捕まってた人ね。
北村 そう。うちの祖父、治安維持法であげられたことがあるんですよ。小林多喜二とオルグしていたことがあって。あと父も書いていましたね。
坂本 今のお話を聞くと、環境的には素地があったってことなんですかね。
北村 昔は北海道の北のほうでも、文化活動をやる気があったんです。最近は過疎化でたいへんなことになってきているんですけど。
シェイクスピアは終わらない
坂本 この本の書き出しは衝撃的なんですよね。
「私は1年に100本くらい映画を映画館で見て、かつ100本くらい舞台も劇場で見ます。その全部について簡単な批評を書いて自分のブログにアップしています。また、1年に260冊くらい本を読みます」(8ページ)
ほぼ人間じゃない感じがするんですけど、士別時代はこうはなってなかったでしょう?
北村 もちろんならないですよ、何もないから。当時は本を読んだり映画を見たりしていました。
坂本 それで東京に来て、舞台に行き始めたのはいつ頃なんですか。
北村 河合祥一郎先生が指導教員になってからですね。河合祥一郎先生の授業には「劇評を書きましょう」ってゼミがあるんですよ。行かないと勉強にならなくて。
坂本 結構、授業の課題みたいな感じでやってた。
北村 そうですね。
坂本 ずっとシェイクスピアをやってたんでしょう。学部時代も?
北村 そうですね。学部は卒論でシェイクスピアの道化論を書きました。
坂本 何ですか、道化論って。
北村 面白おかしいことをする専門の役柄がシェイクスピアの時代の舞台にいたんです。『リア王』『十二夜』、『お気に召すまま』とかに出てくるんですけども、それについての本ですね。
坂本 そうだった。思い出した。あの頃に道化論をすごい読まされた気がする。ずっと聞きたかったんですけど、シェイクスピアをやめようって思ったことはないんですか。
北村 ないですね。
坂本 シェイクスピアの何がいいんですか。
北村 三十何冊とかあるんで、終わらない。
坂本 見に行けるっていうのも大きいんですか。
北村 それはすごい大きいです。いつでもやってるんで、シェイクスピアは。
坂本 この本を見ると「上演」とか「解釈」って言葉がたくさん出てきます。そこが普通の文芸評論と違うところだなと思うんですね。シェイクスピアは三十何冊も作品があって、どれも演出の仕方でバリエーションが出てくるわけですよね。言ってしまえば、無限にある。
北村 無限にありますね。授業で『ハムレット』とかをみんなで読むんですけど、「ハムレットはこの場面で何を着て出ていきますか?」って聞くんです。そしたら学生が想像するハムレットってみんな違うじゃないですか。着物を着てたり書生みたいな格好だったり、ジーパンを履いていたりする。衣装だけでもたくさん出てくるので、いつまで経っても終わらないんです。
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