小山田圭吾×荻上チキ 東京オリパラ騒動から2年…小山田圭吾は何を思い、考えたのか〜いじめ、メディア、キャンセル

文=カネコアキラ
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撮影:天田輔

東京2020オリンピック・パラリンピックの開催が差し迫った2021年7月19日に、ミュージシャンの小山田圭吾さんが開会式の楽曲制作担当の辞任を発表した。これまでもインターネット上で言及されてきた、雑誌インタビュー記事での「いじめ発言」が改めて問題視されたことを受けてのものだった。それから約二ヶ月後の9月17日には小山田さんの公式サイトに、いじめ発言が掲載された雑誌記事の背景や現在の心境、謝罪などが書かれた「【いじめに関するインタビュー記事についてのお詫びと経緯説明】」が掲載され、2022年5月25日に活動再開が発表された。

記事は、小山田さんと評論家・荻上チキさんとの対談である。小山田さんの当時の心境や出来事を伺うとともに、NPO「ストップいじめ!ナビ」の理事を務める荻上さんにいじめ問題の知見をお話しいただいている。またメディアやSNSを中心としたインターネット上での反応も含めた一連の騒動の中で見えてきた課題についても話し合っていただいた。(構成/カネコアキラ)

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小山田圭吾 / Cornelius
’89年、フリッパーズギターのメンバーとしてデビュー。バンド解散後 ’93年、Corneliusとして活動開始。現在まで7枚のオリジナルアルバムをリリース。自身の活動以外にも、国内外多数のアーティストとのコラボレーションやREMIX、インスタレーションやプロデュースなど幅広く活動中。

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荻上チキ
評論家。社会調査支援機構チキラボ所長。NPO法人ストップいじめ!ナビ代表理事。ラジオ番組『荻上チキ・Session』(TBSラジオ)メインパーソナリティ。2015年度、2016年度ギャラクシー賞を受賞(DJパーソナリティ賞およびラジオ部門大賞)。著書に『いじめを生む教室』(PHP新書)、『みらいめがね』(暮しの手帖社)など多数。

※ なお2023年5月1日に収録している。掲載までに半年以上の期間が空いているため、その経緯を説明したい。
 騒動後はじめて小山田さんへのインタビュー記事が「文春オンライン」および『週刊文春』に掲載された2022年9月、荻上さんは自身がメインパーソナリティーを務めるTBSラジオ『荻上チキ・Session-22』(現『荻上チキ・Session』)への出演を小山田さんに打診している。しかし「ラジオはあまり得意ではないので」という理由で小山田さんは出演を辞退される(詳細は本記事)。
 それから約半年後の2023年の年明けに荻上さんから小山田さんとの対談企画の提案がwezzy編集部にあり、2月に依頼を出したところ「いじめ問題について詳しい荻上さんにお話を伺えるのであれば」と了承のお返事をいただく。小山田さんが新作のレコーディング真最中だったため、スケジュール調整を行い、5月1日に本対談を収録。その後、新作『夢中夢』のリリースやツアーが重なり、新作プロモーションとして本記事が読まれうることを勘案し、ツアーが終了した12月に公開の運びとなった。また原稿は荻上さん、小山田さんおよび関係者の確認の上で掲載している。

人生に「社会貢献」という項目が生まれた

荻上 最初に、お身体の調子はいかがでしょうか。当時は非常に多くの報道がありましたし、相当な制裁的反応もあったと思うのですが。

小山田 炎上の件と関係があるかはわからないんですけど、去年(2022年)くらいから背骨を中心として筋肉が剥がれ落ちるような痛みがずっとあって。家で座ったり寝たりができなくなっちゃったんですよね。病院でいろいろ調べたんですけど、原因不明で。いまは薬を飲んでなんとか暮らしています。

荻上 メンタルヘルスの方はいかがですか。『週刊文春』(文藝春秋)では、人権問題に取り組んでいる心療内科の先生に相談をされているとお話になっていました。専門家には繋がっていることがわかって安心していたのですが。

小山田 その方(以下、Aさん)は心療内科の先生なんですけど、治療をお願いしていたのではなくて。障がい者団体の方とも繋がりがある方だったので、障がい者団体の方々からいただいた批判やお手紙への受け止めや、自分からお返事をするかなどを相談していたんです。

荻上 なるほど。どのようなアドバイスがあったんですか。

小山田 障がい者団体へ実際に会ってお詫びに行きたいことを相談したら「いま急に会いに行くのはあまりよくないんじゃないか。小山田さん自身のためにやっているという印象を与えるかもしれない」っていうアドバイスをもらったり。いろいろ相談に乗ってもらいました。

あと2021年の年末にDOMMUNEが僕の検証番組(※編集部注:「2021 SUPER DOMMUNE YEAR END DISCUSSION  小山田圭吾氏と出来事の真相」)をやったときに、障がいのある方に音楽を教える企画をやるのはどうかというアイディアが出てきたんですけど……。

荻上 それは、Aさんからですか? それともDOMMUNEから?

小山田 DOMMUNEです。DOMMUNEが視聴者の意見を拾い、提案があったんです。最初はやってみようかと思っていたんですが、Aさんからはコロナ禍ということで慎重に考えなければならないこと、また多様な障がい児を集めて安全に運営していくにはスタッフの力量が予想以上に必要なので、その検討と準備にはもう少し時間をかけた方が良いのではということを伺って。また、売名と受け止められるというか……。

荻上 贖罪というか……。

小山田 ええ、別の方からもそういう風になるのはよくないという意見をもらって、ペンディングにしました。

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撮影:天田輔

荻上 自分にできることを相談しているとも話されていましたね。その他のアクションは考えられたのでしょうか?

小山田 Aさんのお知り合いで、障がいのある子どもたちとのアニマルセラピーをやっている方と繋がれて。「見にきませんか」と言ってくれたのでお邪魔したんです。そこの子どもたちがとても歓迎してくれたんですよ、僕のことなんか知らないので。動物たちの小屋がだいぶ古くなっていたので、再建のお手伝いをしました。

ただ寄付活動も含めて、こういう話って表に出さない方がいい気がして。今回のインタビューのお話を荻上さんからいただいたときもありがたかったんですけど、悩んだんです。記事が掲載されることで、贖罪や宣伝と受け止められてしまうかもしれないので。

荻上 今は、あくまでご自身との向き合いとしてやられている。

小山田 そのつもりです。母親が歳で仕事を辞めたときに「社会貢献をやりたくなった」って言っていたんですよね。当時はよくわからなかったけど、今回の件が大きなきっかけとなって、そういう感じが自分もちょっとずつ分かるようになってきた気がします。復活のために罪償いをするとか、表立って活動をするとかじゃなくて、自分の生活や人生の中にそういった項目が増えるというか……。身近なところで関われることがあったら継続していって、いろんな出会いを続けていきたいなと思いましたね。

荻上 炎上騒動が起きた後に、「禊」としてボランティアだったり介護だったりをする芸能人に対して「ボランティアや介護は罰じゃない」「介護などのイメージを曲げてしまう」といった批判もたびたびあがりますよね。きっと、自身のペースで出来る「向き合い方」を模索し、続けていく。その様子を見た人がいろんな評価をしていく。そういうことが大事なんでしょうね。

クリエイティブチーム辞退までの流れ

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撮影:天田輔

荻上 東京オリンピック・パラリンピックの開会式での音楽担当が決まった際に、過去の発言がニュースとして大きく取り上げられました。最初はどのように応答しようと思っていたんですか?

小山田 7月16日の夜に文章を書きました(「東京2020オリンピック・パラリンピック大会における楽曲制作への参加につきまして」)。開会式まで残り一週間でしたし、いま自分が辞めたら迷惑がかかると思ってそのときは辞退しませんでした。

そのあとすぐに取り返しのつかないくらい炎上が大きくなって。これは自分としてももう無理だと思って「辞めさせてください」と伝えて、7月19日に新たに声明文を掲載しました(「東京2020オリンピック・パラリンピック大会における楽曲制作への参加につきまして」)。

荻上 辞退の希望は、事務所から大会組織委員会に伝えたんですか?

小山田さんスタッフ(以下、スタッフ) クリエイティブチームの方が間に入っているんです。われわれと大会組織委員会とは繋がってなくて。

荻上 そうなんですね。組織委員会の対応も問われたとは思いますが、チームからの反応はどうでした?

スタッフ 最初は「辞めなくて大丈夫ですが早めに声明文を出してほしい」という反応だったんですが、辞任の意思を伝えたら「辞任の場合、基本的には止められないので組織委員会と相談します」という話をされました。

荻上 いろいろな報道が出る中で、過去の発言や経緯をまとめたものなどがSNSなどに流れていました。それはご覧になっていたのでしょうか?

小山田 Aさんからは「しばらくはSNSをやめたほうがいい」と言われていましたし、僕もあまりにも大変そうだと思って、その年いっぱいくらいまでは見られなかったです。

「あんなことを言っちゃったのは自分」

荻上 ひとつクエスチョンとして残っているのが、2021年9月17日に掲載された声明文(「【いじめに関するインタビュー記事についてのお詫びと経緯説明】」)にある、身の回りで起きた目撃談も自分のこととして記事に書かれていた、というお話です。身の回りで起きたことも、ご自身がやった行為として小山田さんが露悪的に語ってしまい、それが掲載されていたということなんでしょうか? それとも、身の回りで起きたこととして語った話が、意図せず小山田さんの行為として書かれていて驚いたということですか?

小山田 僕の語り口も露悪的だったと思うし、学生時代のいろいろな話をする中で、他の人が行なっていたことを目撃談として話したことが、僕がやったように書かれたりもあって。たぶん一番拡散されたのは『ロッキング・オン・ジャパン』(ロッキングオン)の見出しになった部分だと思うんですけど、そこでは主語がなくなっていて。他の人がやったことなのに僕がやったような印象を与えるかたちになってしまいました。

荻上 当時、掲載前に原稿をチェックできていたら、載せなかったと思いますか?

小山田 間違っている部分は直していたと思います。

荻上 『ロッキング・オン・ジャパン』にあった、糞のエピソードは掲載された当時からギョッとしていた? 最も拡散されたうちの一つだと思うんですが。

小山田 そうですね。

荻上 『ロッキング・オン・ジャパン』では、ミュージシャンのパーソナリティや経験にフレームアップするところがありますね。今となっては、インタビューの時にどんな話をしていたのかは、検証できないんですかね。

小山田 うーん。どうでしょうか? テープを編集部が持っているのなら確認したいですが……。

荻上 今回の騒動が起きる以前に、ローカルに訂正や言及や釈明というのは重ねてこられたのですか。

小山田 オフィシャルにコメントを書いたことはないんですけど、友達に直接聞かれたときや、メディアで何かすることがあったりとかに質問をされたら訂正したりしていたと思います。

荻上 小山田さんに対して、「許されない」「適任ではない」という反応も多くあった一方で、一部「こう読めば、実際の加害加担は最小であると読めるはず」「今なお責められるべきものなのか」といったものもありました。こうした反応に対して、いまはどのように振り返っていますか?

小山田 僕のことをかばってくれているのはわかるし、とてもありがたかったです。ただ、あんなことを言っちゃった、そして長年社会的に訂正せずに放置していたのは自分なので、一番悪いのはやっぱり僕だなと思ってますね。

批判に対する手探りの対応

荻上 「炎上」って、当事者には難しい現象ですよね。一人ひとりの行っている行為としては、小さな感想の投稿であっても、それを連続的にぶつけられている本人には、万単位の反応を一気に受け取ることになる。正当な指摘が多数であってもおかしなものは混じりますし、結果として、常に集合的な過剰性が量でも質でも含まれることになります。しかもその集合コメントは、個々人がコントロールできません。批判を向けられた側も、どの意見に反応すれば「きちんと応答した」ことになるのかもわからないので、コミュニケーションの対処がとても難しい。

小山田 そうですね、はい。

荻上 7月16日に出た最初の声明文は、具体的なアンサーというよりは、率直な思いを書かれていましたよね。

小山田 まず何かを言わなきゃと思って作ったので。足りていない部分もあったし、細かい部分に説明ができていなかったと思います。9月に出した声明文では、状況についての説明と自分の今の考えをしっかり出したつもりです。タイミングもいろいろ悩んだんですけど、オリパラが終わってから出した方がいいんじゃないかということで。

荻上 その間、いくつかの団体から抗議文などは?

小山田 障がい者団体の方からはいくつか届いていました。

荻上 複数の団体から声明が出た場合、どこにどのような対応をすればいいのか、手探りにならざるを得なかったと思いますが、どうされていたんでしょうか。

小山田 すべての団体にはお返事できていないんですが、ある団体に「お詫びをしに行きたいこと、お話を伺って学びたい」ということをメールしたんですが、小山田さん個人を責めているのではないので会わなくて大丈夫という回答がありまして、お会いすることはできませんでした。

荻上 小山田さんに対して謝罪を求めたり悪人として位置付けたいということではなくて、「小山田さんの過去の発言のような意見」について、社会的にきちんとノーをいうのが必要だったのかもしれませんね。

発言内容への批判と、個人攻撃

小山田 自分が通っていた学校にもメディアなどからいろいろ来ていたみたいなんですよね。迷惑をかけてしまいました。

荻上 当時の様子を聞いてきたり、ですか。

小山田 そうです。9月の声明文を出すまでの間にも、迷惑をかけちゃった人たちに謝りに行ったり手紙を出したりしていたんですけど、あまりにも大変だったので弁護士さんに相談したところ、多くの人が見ているメディアの取材を受けてみてはどうかと提案されて。それなら文春なのかな、ということで取材を受けたんです。

スタッフ 文春の記事が出る前には週刊誌とかスポーツ新聞とかが家とか事務所に来たりとかもありました。応対しきれないからか、いろいろと書かれてしまって。

小山田 文春の記事が出てからはそういうのは来なくなりました。

荻上 実際に取材があって書かれたのは、文春で取材をしているライターさんのみなのですね。他方で、自宅に押しかけるとか、身近な人間に取材をされることで、メンタルヘルスが悪化するということもありますよね。

小山田 どうやって調べているのかわかりませんが、自宅の住所なんてすぐにわかっちゃうみたいで。勝手に家の庭に入ってくるようなこともあって。母親が一階に住んでましたし、最初の4、5日は家に帰れなかったので、ホテルに泊まってました。一週間くらい経ったらこなくなりましたけど。指名手配されている気分でしたね。

荻上 閉じこもっているのもつらいですよね。そのときはずっとお一人で?

小山田 ちょっと一人ではいられなかったので、スタッフとか心配して集まってくれた友達とか仲間が集まって、どうしようかっていう話をしていました。

荻上 「一人にさせないぞ」みたいな感じですか?

小山田 そうですね、周りはわりと。

スタッフ ただ、周りもダメージが。

小山田 そうですね。周りもしんどくなってしまって、全員一人でいられないみたいな感じだったんで。殺人予告もきて。警察官がしばらくの間、自宅や事務所周辺を見回りしてくれていました。

荻上 殺人予告があったのはネットですか?

小山田 ネットですね。

スタッフ 海外のサーバーを経由していて、特定できなかったみたいで。

荻上 批判の範囲を逸脱して、攻撃にまでつながってしまう人が出てくるのは、問題ですね……。

これは報道やSNS全般の課題ですが、「不適切な発言」などに対する批判的言及は必要なのですが、「発言者への個人攻撃」ではなく「発言内容への批判」をどれだけ心がけたとしても、やっぱり批判された人は、メンタルヘルスが相当、悪化すると思うんですね。報道によっては、対象の健康を損なったり、命を落とすリスクもありますから、報道や取材、言及の際には、相手の生活や精神的健康を害する一線がどこなのか、考える必要があると感じています。

いじめ問題を学ぶきっかけになれば

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撮影:天田輔

荻上 実は私も当時、小山田さんには何度か取材のオファーを出していました。文春の記事が出た後にもラジオ出演をオファーしたのですが、「ラジオはあまり得意ではないので」というお返事をいただきました。

スタッフ そのようにお返事しましたね。

荻上 それは、実際の理由だったんですか?

小山田 そうですね、ラジオが得意じゃないというのもありますし、あと当時はまだ心理的にやっぱり。

荻上 負担は想像できます。今回はなぜ、対談をお受けいただけたんでしょうか?

小山田 最初は、障がいの問題やいじめのことで何が話せるかわからなかったし、やっぱり罪滅ぼしみたいに見えちゃうかもしれないと思って悩んだんですよ。ただ、こうやって変な形で有名になってしまった人が、荻上さんのように詳しくていらっしゃる方にお話を聞いて学んでいくことや、僕のそういう姿を見て同じように学ぶ人も増えていくだろうし……ってことを考えました。

荻上 なるほど。では一旦、いじめ研究のお話をしますね。

小山田 はい。

荻上 僕が理事を務めている「ストップいじめ!ナビ」というNPOでは、いじめについての啓発や、学校への出張授業などを行っています。実は、いじめが社会問題化した80年代や、記事が掲載されていた90年代に比べると、いじめの研究はかなり進んでいて、いじめを減らす方法もそれなりにわかってきています。その知識などを共有する活動をしています。

他人を攻撃するのはよくないという「攻撃抑制規範」は、多くの人に共有されています。しかし、報復感情、同調圧力、攻撃の快楽、ストレスなど、いろいろな理由で、この攻撃抑制規範が外れてしまうことがあります。いじめも攻撃のひとつです。

学校でいじめを抑制するには、いじめがいかに相手を傷つけることなのかという「罪悪感の予測」や、適切な見守りがあることによって「注意・通報されるという予測」が働くこと、自分と異なる対象への「共感性」や、教員に対する客観性や信頼の確保などが重要とされています。これの欠如はいじめの増加要因となり、これらの確保はいじめの抑制要因となります。

また、学校の先生が授業などを通じて、いじめを減らすためのプログラムを実施することも重要ですが、日本ではまだ導入されていません。しかし、いくつかの国や地域では、プログラムを通じて、いじめの減少に取り組んでいます。

小山田 そうなんですね。

荻上 いじめには、加害者と被害者だけではなく、はやしたてたりする観衆や、それを目撃する傍観者という立場があります。いじめの傍観者がどういう行動を取るかは、いじめの持続に影響を与えます。ただしこれは、直接いじめを止めることだけを推奨するものでも、逆に目撃者を「加害者と同等の連帯責任がある」と非難するものでもありません。

“Active-Bystander”、つまり「行動する傍観者」となるには、いじめそのものに介入する以外にも、目撃した人が通報をしたり、その場の空気を変えたり、被害者と変わらず仲良くするなど、いろいろなオプションがあります。そうしたオプションを選びやすい状況を作ることでいじめを早期に止め、かついじめ抑制規範を共有することが大事です。

記事があった90年代の初頭や、小山田さんが高校生であった頃には、まだこういう知見は共有されていない時期でした。いじめは、得体の知れない魔物のように位置付けられていたんですね。著名なミュージシャンが「いじめを露悪的に語る」という行為は、いじめ抑制規範を弱めたり、いじめ被害を軽視する風土を作る懸念もあるため、適切ではありません。一方で、その頃に知見が共有されていれば、メディアへの掲載も避けられたかも知れません。

オピニオンリーダーが、いじめ問題の重大さや、効果のある対処方法を伝えたり、相談先を紹介したりすること。それは、いじめ抑制規範を作ることにもなりうるため、著名な方にはぜひ、いじめ防止を呼びかけてほしいと考えています。

小山田 ああ、なるほど。

荻上 国立教育政策研究所では、小学校・中学校に通っている子どもたちを抽出して、いじめの調査をしています。そこでは、「あなたは次のような行為を誰かにしましたか?」「次のような行為を誰かにされましたか?」といった質問をしています。曖昧ないじめ経験ではなく、「殴られた」「陰口をいわれた」などの具体的な項目ごとに、追跡調査をしているんですね。

日本では2013年にいじめ防止対策推進法という法律ができました。国立教育政策所の調査によれば、2014年頃から、小学生のいじめが減少し始めているんです(「いじめ追跡調査2013-2015」国立教育政策研究所。最新版は「いじめ追跡調査2016-2018」)。減少は小学生のみで10%程度見られるのですが、海外のプログラムでは他の学年も含めて20%程度の減少傾向が見れるので、さらにいじめ対策を育てていくことが、いまの日本の課題です。どの対策が効いているのかという、効果検証が必要なタイミングです。

いじめ研究はどんどん進んでいる

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撮影:天田輔

小山田 先ほどいじめを減らすプログラムがあると言ってましたけど、どういうものがあるんですか。

荻上 フィンランドのKiVaや、ノルウェーの「オルヴェスいじめ防止プログラム」、あるいはいじめ対策に限定されない「SEL(Social and Emotional Learning:社会的・情動的学習)」というプログラムがあります。プログラムの内容はさまざまですが、どのようなプログラムに効果がみられるのかという、メタ分析も行われています。そこでは、いじめホットスポットの「スーパービジョン(力強い見守り)」、効果的な懲戒メソッドの共有、両親への情報提供、いじめ抑制規範を育てるクラスマネジメントなどが効果的だとされています。また、「傍観者」の通報・相談支援なども注目されています。

ユニークな授業例では、大人がかつて受けたいじめについて今でもどれだけ傷ついているかを語るというビデオ教材を見せ、生徒たちにディスカッションをしてもらうものがあります。そうすることで、いじめがいかに他人を傷つけうるもので、その傷がいじめを受けた後にも残るものなのだと伝える。このプログラムの場合、罪悪感の予測、通報の必要性、いじめ後遺症の影響力を学ばせようという試みでもあります。

小山田 なるほど。

荻上 このように、世界ではいじめの研究が進んでいます。いまでは、マイノリティに対するいじめや、ネットいじめの研究が多くあります。

ちなみに、いじめは最初、加害者心理に着目した研究が行われましたが、集団心理や環境によって左右されるところも大きいということがわかってきました。対談をお受けいただけることになってから、改めて小山田さんの楽曲をいろいろと聞き直していたんですが、「環境と心理」という曲名は、まさにそうなんだよな、と思いました。

小山田 ああ……いやあ、ありがとうございます。

いじめについては、メディアの影響ってどういうものがあるんでしょうか。

荻上 メディアの影響にもいろいろあるんですが、例えば「接触効果」というものがあります。身近にマイノリティ当事者がいると、そうしたマイノリティへの印象など、異なる集団への態度が改善するというものです。

この接触効果は、「間接接触」や「拡張接触」によっても発生するといわれていています。要は「友達にこういう人がいて〜」という話を聞いたり、ある当事者を描いたドラマを見ることでも、集団間の緊張が緩和したりします。

逆に、ステレオタイプ的な表現や、攻撃的な表現が持つネガティブな効果についての研究も行われています。悪口やあだ名をメディア経由で学習して用いることは、一般的にはよく見られますね。報道で個人的に重視しているのは、「いじめ事件」のニュースばかりが目立つ一方で、「いじめに対する効果的な取り組み」の紹介が少ない点です。

90年代は今より、いじめや障がいに関する情報が、メディアでは少なかったように思います。メディアを通じた、いじめ研究の共有は、いまなお課題だと思います。

インクルーシブな環境だとしても

小山田 僕の通っていた学校って、当時言葉は知らなかったんですが、インクルーシブ教育を積極的にやってきていたところだったんですよね。障がいのある子がクラスに一人か二人は必ずいて、僕らにとってそれは普通のことだったんですけど。当時の世の中的にはたぶんあんまりそういう学校ってなくて、障がいのある人と話したことのある人ってあんまりいなかったんじゃないかなって思っていて。

ただ僕の頃はそういう制度を導入した初期段階で、教育的なことは行われてなかったらしいんですね。メディアだけじゃなくて、世の中的にも障がいの問題が今みたいに一般的ではなかったというか。もちろん世の中にたくさんあったんでしょうけど、取り上げられていなかったという時代だったんだということをAさんから伺って。

そういう子たちと学校で一緒にいたことによって、理解できた部分もあったんですよね、自分としては。うーん……。だから学校の教育、環境のせいとかではなくて……。僕がいた頃にはやっぱりそういうことも起きちゃうような状況でもあったというか……。

荻上 学校の体制としては、分離主義ではなく、「混ぜる教育」だったんですね。

小山田 はい、そうです。

荻上 その上で、「ただ一緒にいる」だけでなく、地位を対等にしたり、ステレオタイプを取り除いたり、合理的配慮をどう提供するかといった工夫が必要になりますね。社会に生きていると、子どもも、いろいろなところでステレオタイプを含む攻撃的な言葉を学習してしまうことがある。身近に当事者がいても、社会に流通しているボキャブラリーによって、観察の仕方が上書きされることもある。自分は親愛の感覚で表現していたつもりが、人を傷つける言葉を選びやすくなっていた、ということも起こるでしょうね。

過去の発言をどう振り返っていたか

荻上 改めて、当時の発言を読み返したとき、どう思われました?

小山田 以前からネットに書かれていることは知っていたんです。時間も経っていてどんな風に語っていたのかよく覚えていなかったし、確認するのはやっぱり怖くて見れなかったんです。今回、こういうことが起きて、ちゃんと向き合わないといけないと思って読み返したんですが……。

自分の語り口調はたしかに酷いんです。馬鹿なことをしたなって思います。あの発言をしたときに、僕が何を考えていたのかと言うと……なんだろう、たぶん、いま荻上さんが言った通り、あのときは親しみを込めるような気持ちがあったと思うんですよね。

荻上 なるほど。当時のことを気にしつつ読めなかったというのは、「酷いことを言っている自分」を、もう一度みるのは嫌だったという感覚ですか?

小山田 そうですね。過去の恥ずかしい自分をもう一度見たくないという気持ちだと思うんですけど。

荻上 発言した頃とは、また違った人権感覚というと言葉が強いかもしれませんが、別の見方や考え方が身についていた?

小山田 そうですね。ネットで書かれ出したのが2000年あたりだと思うんですよね。2ちゃんねるって何年くらいにできたんですかね。

荻上 2ちゃんねるは1999年ですね。

小山田 その頃にはもう子どももいたので、さすがに当時の感覚とは違ってましたね。子どもに見られたら嫌だなあって思っていました。

荻上 罪悪感を生むような行為だったという感覚があった。それはお子さんができたことで、いじめや差別がリアルなテーマになったということもあるんですか?

小山田 どうなんだろう……。子どもが友達と喧嘩したことはありましたけど、そのときはいじめの話を聞いたりというのはなかったと思います。

彼(編集部注:お子さんのこと)は中学生の頃にはネットに触れていたので、書き込みを見ていて。最初は怖くて言えなかったって言っていました。彼が大人になってからそういう話を直接するようになって。今回の件では彼もネットにいろいろ書かれてしまったんですよね。

荻上 え、息子さんも。

小山田 大炎上でした。可哀想なことをしました。一番身近にいたので、相談にも乗ってもらって。面と向かっていろいろと正直に話せるようにもなりました。

発売延期や降板はどのように起きたのか

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撮影:天田輔

荻上 当時、METAFIVEのアルバムが発売延期になりましたよね。どういう経緯だったんでしょうか?

小山田 あれは……すべてが止まっていたんですよね。あのタイミングで出せなかったんだよね?

スタッフ 延期についてはアーティスト側というよりは、レーベル側の判断ですね。

小山田 あのタイミングで全部止まったんで。ちょうど発売タイミングで。みんなに迷惑かけちゃった。

荻上 そうだったんですね。その後に出されたアルバム(『METAATEM』)は、ヘビロテしています。経緯について確認したかった理由は、「キャンセルカルチャー」という言葉があるのですが……。

小山田 ありますね。

荻上 問題発言や行動をした著名人に対し、チームやプロジェクトから降ろすだけでなく、新作を販売できなくしたり、場合によっては過去の作品を配信停止にするようなことは、悪しきキャンセルカルチャーであり、行き過ぎた攻撃だ、という議論があります。

こうした批判は理解できる一方で、「必要なキャンセル/過剰なキャンセル」は、人によって見積もりが違うところが、社会的に難しいところだと思うんです。

小山田 わかります。

荻上 加えて、例えば批判されている当人が「いまは体力的に厳しいので活動をストップしておこう」と判断したり、会社などが「いま諸々に対応しきれない」「いまは出しどきじゃない」といって延期することもありますが、これらは外側にいる人から見れば「キャンセルの結果」だと認識されることもありますし。

小山田 先ほども少しお話ししましたが、あのときはあらゆるところに苦情のメッセージや電話がものすごくきていたんですよ。事務所だけじゃなくて、『デザインあ』(Eテレ)を担当していたのでNHKに抗議が止まらなかったり、あとラジオ番組とかBGMを作っていた施設とか、僕が関わっていた全てに来ていた。そこの人たちが対応できないくらいの抗議があったので、全部止めざるを得なくて。

そうやっていろんなところが降りていくと、「もう、なしでしょ」みたいな空気ができていって。やりかけていた仕事も全部なくなったし、関わっていた人全員にものすごい迷惑をかけてしまいました。

荻上 近い例で言えば、ピエール瀧さん(当時は一年限定で「ウルトラの瀧」さん)が逮捕された際に、電気グルーヴの音源・映像が出荷・配信停止になりましたね。そのことへの抗議活動もありました。

小山田 ありましたね。僕の場合、あのタイミングではMETAFIVEの新譜を出せなかったんですけど、配信などは止めないでくれて。そこは大丈夫だったんです。

荻上 パラリンピックの曲作りというのは特殊なシチュエーションでもありますし、「大会理念から鑑みて適任かどうか」と一貫性は問われやすいと思います。私自身はオリンピックそのものに反対していましたが、理念とのミスマッチは感じました。

ただ、「ある役割につくことが適任か」ということと「小山田さんの楽曲を流してはいけない」ということとは、また別の判断が必要だと思うんです。もちろん、曲自体が差別的であったり、そういった問題のあるアクションをいまでも続けている人に賛同できないという理由でプラットフォーマーが配信をやめるという判断をすることはあり得ると思いますが。配信停止にならなかったのは、適切だったと思います。

小山田 METAFIVEは僕の件もあったり、(高橋)幸宏さんが体調悪かったりとかね。複合的な問題もあって、最後はいろいろとみんな大変なことになっちゃったんですけどね……。

荻上 国内だけでなく、海外のファンの反応はどうでしたか?

小山田 うーん、どうなんだろう。海外でも結構報道されていたみたいなので。ただ今年の6月にオーストラリアに行くんですけど、そのフェス(RISING)が2021年にも決まっていて。

スタッフ そのオファーは炎上があってからのものだったので「大丈夫なんですか?」って確認をしたら「全部わかっている」ってことだったんですよね。

小山田 ビクトリア州のメルボルンのフェスなんですけど、パブリックな企画ってこともあって、上の方の人が選挙を控えているので……みたいな経緯で「来年は呼ぶのですみません」みたいな感じでなくなっちゃって。それが今年のフェスなんですけど。RISINGでは障がい者問題にも取り組んでいて、ワークショップにも参加して欲しいと言われたので、参加してみようかなと思っています。

日本と海外というよりも……いままでやってきた企業とかテレビとか、そういうところの仕事はいまだにできないですけど。

荻上 再放送とかも?

小山田 ないです。比較的、ライブの人から徐々に仕事をもらえるようになったところはありますね。最初の仕事もフジロックとサマーソニックだったので。それ以外は難しい。企業とかイメージもあるしね。

荻上 過去にお仕事をご一緒されたアーティストの方から、これまでの作品についての取り扱いなどで連絡があったりは?

スタッフ それはなかったですね。

小山田 作っている途中で出せなくなったものとか、企業と連絡が取れなくなっちゃったものはありますね。

荻上 連絡が取れなくなるのは、相当ですね……。

最後に

荻上 いま次の作品も作られているということですが(編集部注:対談は2023年5月1日に収録、2023年6月に『夢中夢』としてリリース)、この記事を読んでいる方に誤解を受けないよう改めてお話をしておくと、今回の対談を申し込んだのが2023年2月9日ですし、小山田さんにはそれ以前からも依頼をしていました。この記事はおそらく新しいアルバムを発売されてから掲載されると思いますが、アルバムのプロモーションとして掲載するものではありません。

小山田 ああ、すみません、ありがとうございます。

荻上 むしろ、いろいろな読み取られ方をされかねないタイミングにも関わらず、お話いただきありがとうございます。今後のご活動はどうされるんですか?

小山田 アルバムを出したら、ライブをやったりとか。今年はそういうふうに考えています。

荻上 次のアルバムも楽しみにしています。今日は当時のことを振り返ったり、いじめのことをお話しするなど、ストレスフルな内容でもあったかと思いますが、このような機会をいただけてとてもありがたかったです。

小山田 こちらこそありがとうございます。

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