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昔の徹子の部屋見てみた 中島らも、寺山修司、タモリさん
一部の芸人さんに恐れられている徹子の部屋ですが、昔の回を見ると、いかに徹子さんが長いことテレビに出られているか分かりました。今回は当時を知らないリアルタイムで見ていない人間が徹子の部屋の昔の回を見て印象的なことを書き出します。
寺山修司
徹子さんは《寺山さんが笑顔を撮られたくない》というのを気にして、「あまり笑わない方」と言っていました。しかし、寺山さんは話上手の徹子さんによって結構笑っています。
寺山さんは、母親が出ていってしまったことでの母親への気持ちが強くある筈であり、その後1人で暮らしたことによる影響も大きい筈なのに、そのことについて徹子さんに聞かれると知らんぷりしてしまいます。
寺山さんが短歌を辞めた理由として、1人でやるものだから、短歌より演劇のほうがみんなでやるから良い、と言っています。
寺山さんにとって、言葉や演劇は人と繋がるためにあったのだと感じます
中島らも
自分が大好きな文化人の1人ですが、徹子の部屋では、薬物などのエピソードで徹子さんをビックリさせています。
灘中学、灘高校で落ちこぼれだった話をされていましたが、僕自身もスノビズムや競争社会にうんざりしたときには、らもさんに救われています。「いいんだぜ」はいい曲です。
タモリ
芸人殺しと言われる徹子さんですが、そんな徹子でもタモリさんの外国語モノマネで爆笑してました 赤塚不二夫さんなどと深い交流があったタモリさんは、過激さや予測不能の面白さを大切にしつつ、知性からの笑いも凄いです。いいとも!もタモリ倶楽部も終わってしまいましたが、タモリさんの足跡は残り続けています。
徹子さんの喋りを見ていると、元気すぎてびっくりします。また、いろんな知識人のいた昔を少し羨んだりもします。
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