動物は理想を持たない
なぜ人間にはペットが必要なのか、といえば、愛情を注いでも拒否されないし、批難もされないからである。人間と人間だと、愛情は支配であるし、なにかしら自分の都合のいい存在にしようというエゴである。だからペットなのである。犬や猫は理想世界を求めていない。犬や猫はそれなりの餌と寝床さえあれば満足であるし、飼い主の容姿や社会的地位や学歴などに不満を持つこともないし、愛だけでよいから、ずいぶん楽である。劣悪すぎる環境は論外としても、犬猫ならアパートとタワーマンションの区別はつかない。人間以外の動物は環世界を生きて、そこに適応しているだけであり、それが満たされれば終わりである。われわれ人間は、理想を求める。動物を飼うのは環世界への退行かもしれないが、社会的不満を持たない生き物がゆえの癒やしなのである。さて、それでは理想世界という人間的な業病は苦悩の根源であるから、これを手放したいかというと、また別の話である。犬や猫が好きという人が、犬猫のように、特段に何かを求めることなく、衣食住だけで満足する生き物になりたいかというと、そうではないはずだ。人間は環世界から脱出して欲求する怪物であり、それが人生を苦しませるとしても、たとえば性的に煩悶しているからといって去勢されたくはないわけである。どれだけ叶わなくて苦しくても、それが叶う可能性は潰されたくないのである。こう考えると、犬猫は発情期の本能があるだけで、性の快楽のために生きているわけではないから、去勢は苦痛でないとも言える。子孫を残すことについても、犬猫は本人のこだわりではないだろう。犬猫であれば、鏡に映る自分を自分と認識できないから、容姿の悩みもない。そもそも容姿で悩むのは人間くらいかもしれない。ともかく人間的欲求は度し難く、かといって、生きているだけで満足という人間にはなりたくないので、だからこそ人間ではないペット、つまり生きてるだけで満足という犬猫を飼うのである。