第2話 アムニージ・アック 其の弐
不幸な人間は辛いものを好むという話がある。
というのも辛味成分であるカプサイシンは幸せホルモンの分泌を促す効果があるらしく、辛いものを摂取することで一時的に不幸を紛らわせることができるからだ。
それでも、単に色の好みとして辛いものが好きなだけで、そこまで貪欲に幸福に飢えているわけではない。
だから唐辛子を煮詰めたカプセルを口に放り込んだ時に感じたホットな味わいは、純粋な辛い物好きとしての感想以外に他ならなかった。
作戦開始二分前を告げるバイブレーションがポケットの
目の前に見えるのはごく普通の雑居ビル。しかし事前の偵察で地下施設があることがわかっている。テナントは全て同一の企業のそれで、一般の研究メーカー企業だった。しかしそれにしては多すぎる搬入物資の数々が出入りしていることを諜報部が突き止めたのが三ヶ月前のことだ。
そこから偵察が得意な隠密術に長ける妖怪が斥候に入り、調査を重ねていた。
塗り壁という妖怪が巧みに隠していた地下への階段室を突き止め、綿密な突入作戦が立てられた。
二等級以上の資格を持つ術師で構成された攻略部隊――退魔師(人間・妖怪混合)総勢十二名の少数精鋭による任務だ。持ち込まれた物資のいくつかは、反魂の術にも関わる霊素基盤構成物質もあった。あまりのんびりしている暇はない。
瑞希は金髪のボリューミーなボブカットを耳にかきあげ、唐辛子のカプセルを噛み砕いた。ジュワッと、濃縮された辛味成分が溢れ出す。
火を吹けそうなほど熱い息を吐いて、片手で指の骨をそれぞれ鳴らした。
今年で二十五歳。そろそろ世間体を考えろと上からせっつかれてもおかしくない時期だ。全く、お眼鏡に敵わない適当な男なんぞに腰を振るのはごめんだというのに。
「常磐城一等」
戦闘服を着込んだ二等級退魔師の部下が声をかけてきた。
「敵戦力はこちらよりやや上と見積もられているそうです。等級自体は二等級止まりでしょうが、いかんせん数が……」
「わかった。ならばなおさら迷わず戦え。敵はこちらが情けをかける隙をついて攻撃してくるぞ」
「は……」
瑞希は冷淡にそう言い放ち、もう一錠カプセルを口に放り込んだ。即座に噛み潰して、カプサイシンの幸福感を噛み締めながらリラックスする。ああそうだ、この落ち着きと程よい温まり。作戦前に味わう適度な安息が好きなのだ。
残り三十秒を切った時に、瑞希はまなじりを結した。
搬入トラックに偽造していた荷台から退魔師が飛び出し、ビルに狂騒がぶちまけられた。
×
少年は突如響いた非常ベルに驚いたが、火災なのだとしたら脱出しなければ焼け死ぬということだけはすぐに理解した。
なくした右腕の断面がジンジン痛む。なくなった腕自体が激痛を発しているようだ。
近くにあった包帯を掴んで乱雑に腕の断面に巻き付け、適当に縛って引きちぎる。体のバランスをとることに難儀しながら部屋を出ようとしたが、やはりというか施錠されていた。
なんとか出られないか――そう思っていると、外から悲鳴が聞こえてきた。
「くそ、退魔師だ!」「
どうやら退魔師が攻め込んで来たらしい。
退魔師といえば妖術を悪用する呪術師や、危険な怪物である
その退魔師が攻めてきたということは、この施設は非合法なものだったのだろう。
少年には当然後ろ暗いことはない。大人しく沙汰を待っていればいい。
それでも心がざわつくのを感じた。外の狂騒が焦燥を掻き立ててくるのだ。
部屋の奥に隠れようかとも思ったが、そこにはあの肉塊が鎮座している。とてもじゃないが、あんなものの近くには行きたくない。
どうすべきか考えあぐねていると、ドアが蹴破られた。
「うわっ」
強烈な勢いに圧され、少年は後ろに倒れた。
「動くな! ……ん、非戦闘員か? いや……」
若い男が手にした短刀を下ろす。少年は左手で体を守ろうとした。さっきの腕の一件もあり、敵意に過敏になっていたのだ。
「やめてくれ、俺は……俺は、」
「囚われていたのか? すまない、脅かすつもりはなかった。その腕はどうした?」
「さっき、火術の札で……落とされた。俺は……えと、……何が何だかわからないんだよ」
へどもどした物言いと、あまりの怯えように相手の方が困惑していた。
「落ち着いて深呼吸するんだ。君に危害を加える気は……、っ!」
男はそこまで言って、部屋の奥のグロテスクな肉塊に気づいたようだ。
すぐさまインカムで「常磐城一等、至急東側の部屋に来てください。こちらに例の目標が」と告げる。
ややあって、一人の女がやってきた。金髪のボリュームのあるボブカットをした、赤いコートの女だ。
彼女は肉塊を一目見て、舌打ち。それから少年の惨状を見て察したように呟く。
「手遅れだったか。……その子を保護する。上まで連れていくんだ。私はあれを焼く。急げ」
「はっ」
少年に己のコートを羽織らせた女は、懐から式符を取り出す。若い男の退魔師に連れられ、少年は部屋を出ていった。
女——常盤木瑞希は肉塊を睨み、式符を投げつけた。そして一瞬後それが炸裂し、強烈な炎が肉塊を包む。
肉の焼け焦げる強烈な匂い——はっきりと悪臭と言える臭いが立ち込め、女は妖力を注いだ炎の式符を再び投げつけて火を強めた。
悍ましい肉塊——反魂の術式を組み込んだ、人造生命精製器。あの少年は、あれから生み出されたのだろう。
手遅れだった——唐辛子とは違う、酷く辛く苦い思いが込み上げてきて、瑞希は舌打ちした。
「
瑞希は呟き、眉をしかめた。焼け爛れぐずぐずに溶けていく肉塊を見届け、延焼が怒らぬよう水の式符を振って消火した。
「あの少年のケアをせにゃならんな。局に連絡を入れ……」
ぶつぶつ言いながら情報を整理し、瑞希は部下の働きを確認する。二等級退魔師の部下は素早く施設の研究員を捕縛しており、瑞希自身は警備の呪術師を倒すことにした。
しばし時間を要したが、数時間後には作戦は完了するのだった。
アヤカシ・オーヴァドラヰヴ 孤読蕾花 @FoxHunter
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