完了しました
織田信長が招いた南蛮人宣教師が、欧州から持ち込んだとされてきたマメ科の「イブキノエンドウ」が実は在来種だったと、滋賀県立大学などの研究チームが発表した。分布する滋賀、岐阜県境の伊吹山には信長ゆかりの薬草園伝説が残り、この植物が伝説を裏付ける一種と考えられてきたが、定説が覆された形だ。(佐々木栄)
初夏に紫色の花を咲かせるイブキノエンドウは、ユーラシア大陸に広く分布。暑さに弱く、国内では伊吹山と北海道のごく限られた場所にしか見られない。
滋賀県米原市の伊吹薬草の里文化センターによると、伊吹山は平安時代から薬草の産地として名高い。薬草園は複数の古文書に記載が残り、宣教師が信長の許可を得て伊吹山で薬草園を営んだという。約50ヘクタールに3000種を植えたとされるが、場所はわかっておらず謎に包まれている。
植物学者の牧野富太郎(1862~1957年)も伝説に関心を示していた。当時の論文で、欧州でありふれたイブキノエンドウは国内では伊吹山にしか分布していないとし、「宣教師によって持ち込まれた」と言及。今日まで伝説を裏付ける植物とされてきた。一方で北海道には明治初期、牧草に紛れて海外から入ってきたと考えられてきた。
同大学の原田英美子教授(植物科学)らのチームは、伊吹山と北海道に分布するイブキノエンドウを採取。ドイツやロシアの標本試料も入手し遺伝子を解析した。
その結果、伊吹山と北海道のものは近縁の関係で、両国の標本とは系統が異なっていた。国内のものは、数万年前に系統が分かれた在来種だと結論づけた。
原田教授は「かつては国内に広く分布していたが、高い山が氷河に覆われた氷期が終わって気温が高くなり、大部分は消えたのではないか。在来種と判明し、希少性はかえって高まった」と説明する。欧州由来とされ、伝説を支える植物にはマメ科のキバナノレンリソウとイネ科のイブキカモジグサも挙がり、これらの分析も進めている。
今回、科学の進歩により牧野博士らの定説が覆されたが、原田教授は「伝説自体が否定されたわけではない。古文書などの調査から薬草園の存在を裏付ける新証拠が見つかるかもしれない」と語る。
伊吹薬草の里文化センターの担当者は「伝説の根拠となる植物が一つ減るのは残念だが、山はシカの食害で危機的状況にあり、新発見によって環境保全や再生の試みにも注目してもらえる。前向きに受け止めたい」と話した。
名古屋大の西田佐知子准教授 (植物生態学) の話 「伊吹山の植物の特殊性が改めて示された。科学が謎を解き明かし、歴史ロマンからは遠ざかる結果になったが、氷期を経て伊吹山と北海道だけに残っていた事実は自然のロマンを感じさせ、興味深い」
◆伊吹山= 日本百名山の一つで、標高1377メートル。日本海型と太平洋型の気候の境界に位置する。石灰岩質で表土が薄く、冬に数メートルの雪に閉ざされる特殊な環境下にあり、山の固有種、北方系、南方系など多様な植物が自生。学術的価値の高さから山頂の草原は天然記念物に指定されている。