看取りで裁判を起こすクズ

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https://www.asahi.com/articles/photo/AS20231206001640.html
「看取り」とは、裁判で問う 「父の最期は自宅で」かなわず、救急搬送
2023年12月6日 16時30分
父を自宅で看取(みと)りたい――。訪問看護施設にそう希望を伝えていたのにかなわなかったとして、家族が施設側に損害賠償を求めた裁判の判決が8日、大阪地裁である。終末期のあり方をめぐっては、本人や家族が医師と事前に話し合うよう国は勧めるが、十分に浸透していない。

86歳で認知症の父親の容態が悪くなったという。自宅で看取りを希望していたのに、訪問介護の人に救急車を呼ばれてしまった。そして病院で死んだ。それが許せないとして、裁判をやっているそうである。本当にくだらないと思ったのは、父親の危篤の瞬間、この原告は仕事中だったらしい。仕事をやめて介護しているならともかく、仕事をしているなら、どっちみち死に立ち会える可能性は低かった。そこが悔いなのだろうが、まさに八つ当たりで裁判を起こした感じである。はっきり言って、この原告が怒っている何百倍も、わたしは激高している。怒りで腕が痙攣しプルプル震えているくらいである。朝日新聞の独自記事なので、左翼的な思想傾向があると思われる。原告が朝日新聞に持ち込んで記事になったのだろう。わたしの気の所為かもしれないが、朝日新聞でこの手の言いがかりのような記事をよく見る。左翼は人情家ではないので、逆に、原理原則にとても拘る。また、見出しを見た瞬間に、この原告は次男坊だなと思ったら、やはり次男であった。長男はすでに亡くなっているそうだ。次男は親孝行を頑張るので、その余勢で裁判にまでなったのだろう。変な言い方になるが、長男(嫡男)は息子であるが、次男は息子ではない。次男はルーツがないみなし子なのである。嫡男にとって父親は敵であるから、ようやく死んでくれた、という感じがあるが、次男(嫡男ではない人)からすると、親しい人(親しいだけの人)を失った、ということになる。ルーツとしての繋がりが薄いから、糊塗するような親孝行しかない。被告である訪問介護の人も、次男坊のわがままに付き合わされて災難である。嫌がらせ以外の何物でもない。ちなみにこの裁判の判決は12月8日だそうで、その2日前に朝日新聞が記事にしたわけだ。嫌なことである。
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