2023年 03月01日 (水) 07:23
おはようございます。ピストンです。
生きております。
昨日、2月末日をもってパナソニックが録画用ブルーレイディスクの生産を終了とのこと。配信や外付けハードディスクの普及で採算がとれなくなったようです。いよいよ光ディスクの時代が終わりを迎えるってことでしょうか。
一方で動画配信サービスのGyaoが3月末で終了というニュースもありました。購入作品も観られなくなるとか。動画に限らずこの手のサービスはこれが怖い。
ただ現物を持っていても、火や水のトラブルで失うことはいくらでもありそう。共同住宅の上の階で水道管が凍結破裂とか、自身では気のつけようもありません。
作品との付き合いもけっきょくは縁ってことですかね。何が手元に残って、何が去るのか。
では、雑談。
今回はネタが何もなかったので、なろうエッセイカテを見に行ってきました。するとどうやらこの2月はまたまた「ライトノベルとは」「本格ファンタジーとは」で盛り上がっていたみたいで。
せっかくなので今回のお題は「私と本格ファンタジー小説」でいきましょう。
「本格」って何だよ? とは思いますが、そこはあまり考えずに乗っかってウェブ小説やライトノベルは省略。
皆さんご存じのとおり、私のホームタウンは広義のミステリ。中でもハードボイルド、冒険小説、警察小説あたりをうろうろしております。
そしてとなり町がSF。反対側のとなりが時代小説ってとこでしょうか。
ファンタジーというのは、私からすると少し遠い存在。電車で何駅か先まで行かなきゃいけないって感じ。ちょっと苦手意識があります。
出会った時期はミステリやSFと変わらないくらい早かった。『ドリトル先生』あたりは、最初期の読書体験だったと思います。
中学生の頃は何度も書いてますが『ジャッカルの日』をきっかけに、翻訳もの広義のミステリばかり読んでいましたから、ファンタジー小説は読んでおりませんの。
高校生になると再び手にする小説の間口が少し広がりました。
そしてこの時期に『指輪物語』の存在を知ります。映像化不可能とか世界三大ファンタジーとか、そういった文句にひかれて一気に揃えちゃったんですよねえ。で、思いっきり挫折したと。
たしか文庫で6冊だったと思うのですが、当時の私にはけっこうな出費でして、痛かった。
けっきょく指輪は読んでませんからね。私のファンタジー苦手意識はここから始まった。
思えば以降、翻訳ファンタジーにお金使ってないんですよね、私。ほぼ全てを図書館でまかなっている。新刊書を買ったのってジャック・フィニィくらいかも。好きなキングですらファンタジーは図書館か古本で済ませている。
80~90年代前半読んだ翻訳ファンタジー小説というのは、フィニィ、キングやクライヴ・バーカー、ロジャー・ゼラズニイなどこちらのホームで馴染みある人がファンタジーでも活躍しているってパターンがほとんど。
例外だったのがティム・パワーズ、ジェイムズ・P・ブレイロックなどのスチームパンク勢。あとは創元黒背表紙のダークファンタジー群。数は少ないですがちょっとだけ読んでいる。やはり早川、創元というレーベルへのホーム感ってあるのです。あと指輪きっかけの苦手意識なんで、多分ハイファンタジーになればなるほど苦手なんだと思います。『ゲド戦記』『ナルニア国』あたりはこの時期に手を出して挫折。エンデも挫折している。
国内作品に目を向けますと、まず『グイン・サーガ』に手を出して挫折。栗本薫さんは私の中では『絃の聖域』のミステリ作家なイメージ。
『アルスラーン戦記』は読んでます。田中芳樹さんは先に銀河英雄伝説を読んで、銀英伝の時点で「舞台を変えた三国志」と思って読んでましたから、ファンタジーアレルギーなくスムーズに読めました。
国産ファンタジーだと荻原規子さんの登場というのが大きな転換点だと思っているんですが、荻原さんを読めてない。読みたい気持ちは今でもあるんですけど。
この時点だとライトノベルも縁遠かった。私はゲームをやらなかったし、アニメもエヴァ登場まではあまり観なかったので。
ただ当時は気づかなかったですが、後に私がライトノベルや国産ファンタジーを読む土台となったものに新潮文庫ファンタジーノベルシリーズってのがありました。
90年誕生で92年には終了、何だったんだあれはという短命シリーズでしたが、恩田陸さん『六番目の小夜子』、小野不由美さん『魔性の子』、菅浩江さん『メルサスの少年』を刊行という、なかなかの大仕事をやってのけたシリーズ。
私がこのシリーズに手を出すきっかけだったのが、第2回のファンタジーノベル大賞で最終候補まで残った村上哲哉さんの『ラスト・マジック』という作品。
この作品、何故ファンタジーノベル大賞? と誰もが思った純然たる野球小説。若い女の子がプロ野球の監督になる、それなりに楽しい佳作だった記憶。W・P・キンセラの名作『シューレス・ジョー』のように野球小説とファンタジー要素って相性良いのです。
さて私とファンタジー小説、大きなポイントとなったのが1996年、小野不由美さんの十二国記シリーズ第5作『図南の翼』の刊行。
私は『魔性の子』を刊行当時読んでいるのですが、小野さんが同じ世界観によるシリーズを書いていることは全く知りませんでした。そりゃ講談社X文庫ホワイトハートはチェックしてませんて。
しかしここで十二国記の存在に気づいたのです。私ではなく先日亡くなった書評家の北上次郎さんが。
雑誌の書評欄というのは私にとって本を知る情報源の一つなんですが、なかでもハヤカワミステリマガジンと本の雑誌というのは、参考にしてきたツートップ。その本の雑誌で書評を書いていたのが北上さん。
それまでファンタジーに疎かった北上さんが、ここで十二国記を見つけて大騒ぎしておられた。熱気にあてられた私もその足で『月の影、影の海』を購入しました。
ここで北上さんがファンタジー小説に出会ってくれたのは大きかった。ファンタジー小説の書評家としては井辻朱美さんや三村美衣さんなどいらっしゃるんですが、あまり私が目にする機会がなかったもので、やっぱり普段の守備範囲の中にいる人が、情報を持ってきてくれるのはありがたかった。
ここからネットが情報源として加わるまでは、北上次郎さんと大森望さんが騒いでたらその作品を読んでみる、というのが私のファンタジー小説に対する基本スタンスとなりました。沢村凜さん『黄金の王 白銀の王』などは北上さん、上橋菜穂子さん『守り人』シリーズなんかは大森さんですね。
あとは昔と同じく、普段はミステリやSFにいる人がファンタジー書いたらってパターン。宮部みゆきさん『ブレイブ・ストーリー』、小川一水さん『風の邦、星の渚』など。国産ファンタジーにはちょっとはお金を使っている。
90年代の終わりから00年代の前半、ハリーポッターのブレイク、指輪の映画化で大ファンタジーブームがやってくるわけですが、元々苦手意識のある指輪、ハリーポッターも一作目で挫折ということで、私は早々にブームから置いていかれました。ライラの冒険やダレン・シャンも一作目で挫折。この辺を一度は図書館で借りてきているの、私もけっこうかわいいでしょ。
何故か面白く読めたのがガース・ニクスの『古王国記』三部作。他との違いは自分でもわからず。まあ体調とか気分とか、作品との縁ってものがあるよねえ。
ちょっと遅れて読んだのが『どろぼうの神さま』のコルネーリア・フンケ。この人は良いです。
あとどの時期でもなんですが、ファンタジーというより児童文学だと私の中で認識しちゃった作品はアレルギーなく読めています。『ミオよ、わたしのミオ』とか『トムは真夜中の庭で』とか。国内だと岡田淳さん、高楼方子さん、富安陽子さんなど。特に富安さんは好き。
こんな私とファンタジー小説の付き合い。年に5タイトル読むことはないけど、全く読まない年もないって感じ。細く長く、意外と私にとって身近な存在だったのかも。
ここ数年の翻訳作品で面白かったのは、『魔術師ペンリック』ロイス・マクマスター・ビジョルド、『夜の獣、夢の少年』ヤンシィー・チュウ、『パン焼き魔法のモーナ、街を救う』T・キングフィッシャー、『嘘の木』フランシス・ハーディングなど。
ビジョルドはどの作品も安定しているエンタメ職人。ヤンシィー・チュウはマレーシアが舞台という目新しさ。内容もミステリ、ロマンス要素多めで私には読みやすい。パン焼き魔法は可愛らしい表紙イラストとは裏腹な苦さ。
そしてハーディング。邦訳されている4作品すべて面白い。本を整理する段階に入ってなかったら私も集めていたと思う、今もっとも信用している作家さんの一人です。
そして上記の翻訳ファンタジー、私は全て図書館で借りて読んでます。お金使ってないのです。
本を整理し始めて、増やしたくはないのですが、それでも昨年でいえばリューイン、クルーガー、タナ・フレンチなど広義のミステリ作品の新刊は書店で購入。
やっぱりお金の使いどころってあるのです。私にとってはファンタジーよりミステリが大事。
ですからファンタジー好きの皆さんは、それぞれの考える本格ファンタジーってのにお金を使うのです。たまに図書館で借りて読む私のために、市場を維持しておくのですよ。私のために。
最後、この2月のファンタジーを巡る話題に関して。
創作界隈よく炎上するという人がいますが、実は炎上なんかしていない、というのが私の考え。
何人かの炎上芸人さんがいるだけの話だと思っております。彼らはこれが本芸なんで、頑張って燃やしているだけかと。
そしてファンタジーとライトノベルでは分類の仕方が違う、とも思っています。素材で分けた肉料理や魚料理と国で分けた日本料理、フランス料理が違うように、内容で分けたミステリやファンタジー、対象読者で分けた児童文学やライトノベル、発表媒体で分けた新聞小説やウェブ小説、分類の仕方として別のものではないかと。そこを並列で語っても、という感じ。
そのうえで、私にとってのファンタジー小説とは何かと考えますと、主人公が「世界」と出会う鍵が幻想である、という感じでしょうか。鍵が日常であれば普通小説に、謎であればミステリに、科学であればSFにって感じ。「世界」を「人生」や「物語」に変えてもいいかもしれません。
というあたりで、今月はおしまい。
また来月にお会いできたらと思います。
ではー。
なんともお疲れ様でした!
ほんでわまたー
ノシ