2021年 06月16日 (水) 16:56
こんにちは。
今日、休みだったもんで、数日ぶりになろうに来て、ちょっと書いてみた文章。今出来たばっかり。
臭すぎてねえ。単発作品として投稿するにはイマイチ。連載でも持ってたらシレッと投稿するんだけど。
ただ、ボツにして削除するのももったいない、非常に微妙なラインの文章が出来てしまった。
ということで、活動報告でこそっと投げておく。
『新たなフルーツ』
ウィキペディア先生を使って、歴代のレコード大賞受賞曲の一覧を見てみたところ、76年に『北の宿から』とある。これは受賞シーンを覚えている。前年75年は『シクラメンのかほり』となり、名場面として受賞シーンを見たことはあるものの、リアルタイムでの記憶は無い。
76年の夏にはモントリオールでオリンピックが開催されているが、視聴した記憶が無い。まあ、放送時間のせいかもしれない。年末にはアメリカでカーター大統領が誕生しており、この時の報道は視聴記憶がある。
細かく例外的に覚えている瞬間は別として、基本、私の記憶は1976年の年末から残っているのだろう。
私にとっての原風景となる70年代後半の日本は、基本的に明るい印象がある。今から思えば闇はそこかしこに存在していたのだが、子供の目に入りやすいのは、やはり明るい景色だろう。
ジュリーやピンクレディーがキラキラと輝き、王さんが756号を達成していた景色。我が家の前の砂利道はアスファルトに舗装され、汲み取り式のトイレは水洗になった。
一方その僅か数年前、70年代前半の出来事は私には歴史と同義だ。よど号もあさま山荘も、私にとっては歴史上の事件という感覚がある。たった5、6年、私より早く生まれた人とでは、赤軍に対するリアリティが全く違うことだろう。
70年代後半の角川映画は私にとって懐かしい思い出、前半の東映実録やくざものは日本映画史の古典名作、まるで感覚が違うのだ。
私と5、6歳上の人とで景色が違うのだから、20歳上の人、30歳下の人、まるで世界が違って見えていることだろう。記憶の最初にバブル期の景色がある人。ソ連崩壊後に物心ついた人。9・11の、地下鉄サリンの、3・11の後に生まれ育った人。初めて読んだ小説が、なろうでのネット小説だった人。
私とあなたの世界は違う。そして私の中の、私にとっての世界も、どんどん姿を変えていく。
「コロナが落ち着いて、世の中が元に戻ったら」
残念ながら、そんなことはおそらくない。コロナがどんな着地点を迎えても、2019年の世界は戻ってこない。2022年の、23年の世界がやって来るのだろうから。
そこでは新たなレギュラーが定まり。
新たなイレギュラーがはじかれる。
新たな価値。新たな憎しみ。新たな歓び。
私事になるが、3月から右耳の具合を悪くし、先日手術を受けた。手術は成功して、現在日常生活には支障ないものの、元と比べれば若干聴力は落ちてしまった。
そして少し聴力が落ちただけで、世界は随分と違って聞こえる。この数週間はそれに慣れることに労力を費やした。
音楽を聞いてもそうだ。同じ曲でも100日前とは、まるで印象が違う。私自身の好きな楽曲も変わっていくことだろう。
そんな変化に、私は何よりワクワクを感じる。
世界がどんなに変わってしまったって、そこには私が居て、私を楽しませてくれるものは、目を開けば、耳をすませば無限に存在するのだ。
私の命はいつまで続くだろうか。
明日突然に終わるのか。
まだ半分しか過ぎていないのか。
その間、世界はどのように変化していくだろう。
なんにせよ言えることは一つだ。
私よ、幸せに生きなさい。
幸せに。
まさか、こっちの活動報告にコメント!
いつもながらビックリ。
やあ、ちょっとウエットすぎて微妙かなあ、と思った文章なんですが、漉緒さんに刺さったなら投稿しかかいがあったというもの。やったね。
お互い身体にボロは出てきますよねえ。まあ、しょうがない。
私に関しては大丈夫ですの。なんだか、昨年今年あたりで妙に「すでに人生の元をとった感」があるんですよねえ。私にはこの50年の日本というのは十分楽しい環境で、ラッキーな50年だったという感じ。
なのでここからはボーナスステージを楽しめばいい、みたいな感覚がありまして。なんとも気楽な心持ちになって来ているのです。
ということで、下半期も楽しく行きましょう。
では、またー。