2020年03月31日
下北沢X物語(3974)―会報第165号:北沢川文化遺産保存の会―
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「北沢川文化遺産保存の会」会報 第165号
2020年4月1日発行(毎月1回発行)
北沢川文化遺産保存の会 会長 長井 邦雄(信濃屋)
事務局:珈琲店「邪宗門」(水木定休)
155-0033世田谷区代田1-31-1 03-3410-7858
会報編集・発行人 きむらけん
東京荏原都市物語資料館:http://blog.livedoor.jp/rail777/
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1、道吉剛氏の死を悼む
きむらけん
〇 当会会員の道吉剛氏が逝去されたとの報を道吉デザイン研究室から戴いた。「去る2019年9月10日、弊社代表の道吉剛が86歳にて永眠いたしました」とのこと。体調を崩しておられることは知っていて心配はしていた。会として氏には大変お世話になった。文学碑としては、横光利一文学顕彰碑、三好達治文学顕彰碑、紀要では、第二号、三号、四号、五号のデザインを手がけてくださった。第一級のデザイナーである。当会への労力提供は、ほとんどがボランティアとして奉仕された。が、どんな仕事でも力を抜かれるということはなかった。一流のプロというのはこういう人を言うのだと知った。氏はかつての東京オリンピックのデザイナーとして関わっておられる。今回のオリンピックを心待ちにしておられたが残念である。心よりご冥福をお祈りしたい。
道吉剛氏が私たちの会に関わるようになったのは2013年からである。道吉さんは
代沢に住んでおられた。横光利一旧居の近くだ。つい最近知ったことがある。横光利一は、当地に越してきたときの家の周りの様子を「睡蓮」に「周囲に欅や杉の森があり近くに人家のない」と記している。いわゆる武蔵野であった。欅や杉の森が家の側にあったという。が、これは昭和三年当時のことだ。今はすっかり緑は失われている。が、作家が当然視野に入れていたであろう欅の古木が道吉氏のすぐそばに今も残っている。道吉氏は日々この欅を見ていたと知った。
紀要第3号は「代田小路寓居文学論」であるが、ここに欅が描かれている。比べてみると家のそばにある樹木とよく似ている。これをモデルにしたものではないか。
〇道吉剛氏で思い出深いのは、やはり文学碑建立だった。横光利一文学顕彰碑、三好達治文学顕彰碑、小さなものだが彼デザイナーの心がこもっている。
道吉剛氏がこだわったのは、碑に刻む文言の書体、配列、言い回しだ。文言は私が書いた。これを碑面にどう生かすか、細心の注意を払われた。
一つ言えば、行の末尾の処理である。熟語は割ってはならない。例えば「詩人」という言葉、行末で「詩」が来て、次行に「人」を送る。これは一切受け入れられなかった。それで「てにをは」を工夫して字数を減らしたり増やしたりした。
道吉剛氏との関わりで印象深く覚えていることは、FAXのやりとりである。字句修正や文言の校正で何十回とやりとりをした。今となっては懐かしい思い出だ。
道吉剛氏は、NHKの「チコちゃんにしかられる」に出演された。これを視聴して初めて知った。現在世界共通マークとなっている青と赤のトイレマーク。
「ドレスは当時最先端のマリー・クワントのミニスカートを参考にした。このトイレマークが後に世界中に広まったのには驚いた」と道吉さん。
トイレマークの色分けをしたのは、まさに彼であったのだ。
慎んで道吉剛氏のご冥福をお祈り申し上げます。
2、『右文 覚え書き』に寄せて(上)
エッセイスト 葦田 華
「小豆島は、子犬がうつむいてご飯を食べているような形の島です。」
この文を読んだ時、私は胸がいっぱいになって、涙があふれそうになった。
女流作家、壺井栄の文章である。彼女の慈愛に満ちた心は、故郷の小豆島を語る時、こんな愛らしい子犬の姿に託されて語られるのかと、私は心底壺井栄の優しい心に慰撫されたのだった。
壺井栄の代表作といえば、あの有名な「二十四の瞳」である。そして映画化されると日本中に「二十四の瞳」を知らぬ人は無かったと思う。がしかし、長い年月が過ぎ去っての後、その名作も現代っ子には通用しないのかもしれないが…。
壺井栄の傑作は、まだ隠れたところにもあると私は思っている。「右文(みぎふみ)覚え書き」がそれである。私は18歳の夏にこの作品を初めて読み、ああ、なんて温かい気持ちになる作品かしら、と感嘆した。ところがその文庫本を読みかけのまま友人宅に置き忘れ、ハガキを出したのだが文庫本は返って来なかった。
以後60年近く、この全文に出会うことは無かったが、「右文覚え書」の続きを読みたいという気持ちは心の底に潜んでいた。最近になって、友人の手を介して、思いがけず全文を読了することが出来た。
「右文(ミギフミ)」とは、昭和19年に生まれ、翌20年に孤児となったわずか1歳の、壺井栄の遠縁の赤ちゃんの名前である。壺井夫妻はその右文を引き取り、“ミギー”の愛称で彼に惜しみなく愛情をかけて育ててゆく。
右文を引き取ったのは、彼の両親の葬式の日のことだった。
右文の父親は満州で亡くなり、母親は終戦直後に蔓延したチフスで亡くなり、右文は孤児となった。死のせまった病床で、右文の母はくりかえし壺井栄の名前を呼び、右文を頼むといったという。
右文を預かっておんぶして帰宅するや、彼女は右文を小児科に連れて行く。右文くらいの子供の母親である女医さんは、はらはら涙をこぼし「かわいそうにね、戦争
の犠牲者……もう四五日も遅かったら、助かるかどうかわからなかったですよ。」
つまむと年寄りのように皮膚の持ち上がる、細い腕にプツリと注射を打った。
「完全な栄養失調ですよ。これがむくむところまでゆけば、もう駄目、やせているのがまだ見込みのあるところです。なんでもいい、うんと食べさせて、いやになるほど食べさせてごらんなさい。飽食療法です。飽きたらだんだん少食になりますからね。そしたら太り出しますよ。」
女医さんは、この特殊な患者に向かって、ふかしたさつまいもをもってきて与えた。右文は急いで手を出し、かくすように横をむいてそれを食べ出した。なんとかなしい姿だろう。こうして三か月の間、毎日私は医者通いをした、と壺井栄は書いている。
壺井夫妻には実子が無く、やはり孤児であった女の子を20年前に引き取って育て上げた。右文の姉になる正子は20歳。夕方になると正子は彼をおんぶして、ヤミ値で牛乳2合を都合してもらっていた。しかし、彼の小じわに包まれた青黒い顔から、わき上がる生命のいぶきは感じとれなかったのである。しかし彼は助かった。最悪の窮地を脱した右文は育っていった。
「ミギー。」とよぶと、「ハー。」と、すんだ声で返事ができるようになったのは、うちへきてまもない時だったが、近所歩きができるまでには、丸二年かかった。そして、痩せっぽちの食いしん坊は一向に太ることがなかった、と壺井栄は書いている。それでも五歳の誕生日を迎えるまでに育った。
◇注 本エッセイは、出来るだけ原作に倣ってのかな遣いを採用しました。
3、都市物語を旅する会
私たちは、毎月、歩く会を実施している。個々の土地を実際に歩き、その土地の文化を発見して楽しみながらぶらぶら歩く。会員外も参加は自由だ。 基本原則は、第三土曜日午後としている。13時に始めて約3時間、終わり時間の目安を16時頃としている。前日の天気予報で雨の場合は中止する。中止連絡は行う。
第160回 4月18日(土) 午後1時 東急東横線多摩川駅
案内人 木村康伸 六郷用水物語を歩く
*六郷用水は江戸時代初期、小泉次大夫によって武蔵国荏原郡六郷領(現在の大田区南部)に縦横に張り巡らされた灌漑用水である。
六郷用水の水は多摩川から取水していたが、取水口は和泉(現在の狛江市)にあり、野川や入間川の水を取り込みながら世田谷領内を貫通し六郷領に至っていた。世田谷区喜多見にある次太夫堀公園の水路は六郷用水の一部であり世田谷とも縁の深い用水路である。 なお、六郷用水は近代になり灌漑用水としての役割を終えたが、その一部は北沢川緑道のようにせせらぎが復元され、往時を偲ぶことができるようになっている。今回はこの復元水路に沿って歩くことになるが、散策にはもってこいの場所である。
また、用水周辺にはさまざまな史跡がある。縄文時代の貝塚に始まり、古墳時代の古墳から横穴墓、古代よりの由緒をもつ古寺、中世の荘園に古道、水上交通の痕跡、近世の水路、新田開発、そして近代の都市開発の跡まで、実に多岐にわたっている。それらの史跡を辿れば、まさに荏原の歴史の縮図を見ることができる。
コース:多摩川駅→復元水路→女堀→鵜の木松山公園→下丸子南北引分→頓兵衛地蔵→新田神社→武蔵新田駅
第161回 5月16日(土) 午後1時 京王線仙川駅改札口前
案内人:和田文雄 「国分寺崖線(仙川・つつじヶ丘)を歩く」
地形散歩好きにはお馴染みの「国分寺崖線(がいせん)」は、古代の多摩川の流れが武蔵野台地を削って作った崖の連なりで、立川市から国分寺市、小金井市、三鷹市、調布市、世田谷区を経て大田区まで延長約30km続いている。その一部となる京王線仙川駅、つつじヶ丘駅近辺を散策する。
主な寄り道ポイントは、武者小路実篤が70歳のときに水の湧く地を求め、転居した旧邸宅跡地の「実篤公園」、社殿が古墳上に建っていると言われる「糟嶺神社・明照院」、崖線上に食い込む谷戸を活かして作られた「入間公園」などである。5月の新緑の季節に相応しい緑豊かな場所を皆様とのんびりと巡りたい。
コース:京王線仙川駅 → 実篤公園 → 弁天山跡 → 糟嶺神社・明照院 → 入間川あげ堀跡 → 入間公園 → (バス) → 仙川駅または成城学園前駅 約5~6kmを歩く。
◎申し込み方法、参加希望、費用について 参加費は各回とも550円(資料代保険代) 参加申し込みについて(必ず四日前まで連絡してください。資料部数と関連します) きむらけんへ、メールはk-tetudo@m09.itscom.net 電話は03-3718-6498
米澤邦頼へは 090-3501-7278
4、新型コロナウィルスと当会行事
感染者の増加が続いている。これらの影響を受け、当会でも恒例の安吾文学碑前での地図配り、また4月11日に代田駅前で予定していた地図配りも中止した。行事自粛については長期化する模様だ。このことに関連して
まず町歩きだ、3月は実施した。4月5月については、予定を掲載した。4月に入っても外出自粛要請は続くようだ。歩くのであれば気持ちよく歩きたいものだ。それで安全な時期になるまで順次繰り延べしていこうと考えている。参加を希望される方はとりあえず申し込んでください。その人には個別に実施のありやなしやを連絡することにしたい。
つぎに5月に控えている第13回「戦争経験を伝承する会」である。5月24日(日)にカトリック世田谷教会で行うことにしていた。テーマは「ヒロシマ」である。朗読と音楽会を計画していた。関根神父さんや音楽家の若桑比織さん、内山真由美さんが協力して下さることになっていた。が、世田谷区への広報掲載の申し込みはこの4月だ。実施となると打ち合わせや練習をしなくてはならない。現状を考えると開催は困難だ。関係者にはこれらのことを伝えた。戦後75年、記念すべき年だとは思うがやむを得ない。
〇追記(2020/04/12)
この月初めに「緊急事態宣言」が出た。不要不急の外出を控えるようにと。町歩きについては安全に歩けるようになるまで順次繰り延べをしていとしていたが、当面、4月5月は実施をしないことにした。
■ 編集後記
▲この会報は、キャロットタワー三階の市民活動支援コーナーで印刷をしている。ここが4月6日まで工事を行っている関係から紙印刷郵送は通常よりも遅れます。
▲会員は、会費をよろしくお願いします。常時邪宗門で受け付けている。銀行振り込みも可能だ。芝信用金庫代沢支店「北沢川文化遺産保存の会」代表、作道明。店番号22。口座番号9985506です。振り込み人の名前を忘れないように。
▲当、メール会報は会友にも配信していますが、迷惑な場合連絡を。配信先から削除します。◎当会への連絡、問い合わせ、また会報のメール無料配信は編集、発行者のきむらけんへk-tetudo@m09.itscom.net「北沢川文化遺産保存の会」は年会費1200円、入会金なし。会員へは会報を郵送している。事務局の世田谷「邪宗門」で常時入会を受け付けている。
この記事へのコメント
1. Posted by きむらたかし@三田用水 2020年04月10日 00:52
【『地図配り』ができるようになるまで…】
地図本体だけですが、暫定的に、こちら
https://drive.google.com/file/d/1otXLzULiGZRelweRslGDctg6Z76eZNk7/view?usp=sharing
からPDFファイルでダウンロードできるようにしておきます。
今のところ、1人での散歩は差支えないようですので。
地図本体だけですが、暫定的に、こちら
https://drive.google.com/file/d/1otXLzULiGZRelweRslGDctg6Z76eZNk7/view?usp=sharing
からPDFファイルでダウンロードできるようにしておきます。
今のところ、1人での散歩は差支えないようですので。