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母校の「伝統」とか「歴史」とか ⑵

こんにちは。
前回の記事を予想よりたくさんの方に読んでいただき、驚きとともに、
推敲の足りない文章を多くの方に読まれた恥ずかしさや、
応援団員の方々に対して配慮のない文章だったとの反省から、
ただ赤面するばかりです。

今回は、大運動会に話を移したいと思います。
前回下手に「校風」に触れてしまった所為で、
なんとなく話題の流れは悪いのですが、どうかご容赦ください。

自己紹介

在校生の方にもご覧いただいているので、まず自己紹介をしておきます。

69期卒
福岡市立M宅中学校卒
現在京都大学法学部4回生(0浪1留確)
大運動会では白ブの格闘技長
スクールカーストは2軍くらいだが、顔は広い。
部活はサッカー部。


それでは、ここからは常体の文章になります。
なるべく文字を記号として扱うためです。

筑高大運動会とは

筑高大運動会とは、まあ言うなれば田舎の進学校あるあるの運動会で、
全身全霊一致団結、のような集団意識のもと、
練習期間約2ヶ月(非効率な練習が散在しているのは言うまでもないが)、
9月の上旬に開催され、
筑紫丘高校入学を目指す中学生も多く訪れる、割と大規模な運動会である。

代表的な種目として、

男子タンブリング(組体操)、男子による筑高体操、女子ダンス

などがあるわけだが、これら、またはその他の競技の中で、
自分の感じた違和感や不満を敢えて書き記すことで、
ここに議論の種を蒔こうという魂胆である。(筑高体操だけにね)


男子タンブリング(組体操)について

筑紫丘高校のタンブリングの代名詞とも言える、
”正六”(正六段ピラミッド?)を今回の主な話題として取り扱うこととする。


早速だが、ここで日本国憲法を見ていこう。

日本国憲法第18条後段
「又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。」

そして、同法第99条。
「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」


県立高等学校の教員は公務員であることに間違いはなく、そのことから、憲法尊重擁護義務が発生することを導き出せる。

つまり、
公立高校教員は生徒をその意に反する苦役に服さしめてはならない。


言い方を変えれば、「苦役」に「正六段ピラミッド」が該当し、
その意に反する」に
自分は怪我したくもないし危険なことをしたいわけではないが、自分がやらないと言いはじめたら他の人の迷惑になるから、仕方なくやる
が該当すれば、

学校の先生たちは憲法に違反しているのである。(超超大げさに言えば)


やや飛躍してしまったけれど、

言いたかったことは、
あの危険な人間ピラミッドをやるために勉強頑張ってガオカに入りました!って人は仮にいたとしてもごく少数で、
他の人にとっては誰がやりがいを感じているのかもわからない
ただの苦役ということだ。

もちろん自分も、無事完成した時は達成感を得たけれども、
そんな達成感の類なんてもっと簡単な方法で手に入るし、
そんなちっぽけな達成感のために、
顔面や首、肩や膝のような、日常生活に欠かせない部位に大怪我を負うリスクを負うのは間違っているということである。


自分は幸い怪我をしなかったが、
大量の鼻血を噴き出す人や、肩を脱臼する人その他
大勢の怪我人をこの目で見てきたし、
それが本人の過失によるものでないこともわかっていた。
人間ピラミッドに構造上無理があることは
火を見るより明らかなんだから。

そして更に、それに戦慄して怖くなって黙り込んでしまった生徒に、
体育教師がこう、ありがたい言葉をかけるのも知っている。

こんな気が緩んでたら本番成功しないぞ!!

そこで私たちは、怪我をした友人の心配をしている場合ではないと教えてもらえる。

大日本帝国時代のような旧態依然な根性論を存分に味わえるという点で、
筑紫丘は貴重な負の文化遺産である。

筑高体操(高校伝統の体操)について

これ自体が言うまでもなく異常だし、
こんなのを見て何が面白いのかがさっぱりだが、
もっと異常な出来事があった。
当事者の方々には申し訳ないのだが、
2018年度の大運動会の筑高体操を取り上げる。

YouTubeで検索すれば出てくるが、
この日はで、地面はぬかるんでおり、
体や顔をつける演技をすれば泥が付着することは十分予見できたし、
その状態で、GOサインを出した先生はマジで狂っていると思うが、
その時一番狂っていたのは、高校OBや保護者である。

うつ伏せになり腕を広げ、
地面に顔を含む全身をついた状態から胸をおこし静止する、
という「飛行機」の演技が始まり、
生徒たちがぬかるんだ地面に顔をつけた時、

OB、保護者からは、悲鳴でも、静寂でもなく、
笑い声が聞こえてきた。(私が観たYouTubeの動画では、8:35頃)

何が可笑しいのかは言うまでもない、
自分の息子が顔を泥の水溜まりに突っ込んでいる」ことが面白いのである。
自分は雨に濡れないように必死に傘を左右しながら、
びしょ濡れの泥まみれの息子を見て笑っている

いや、その時その場にいなかったから、
自分にそこでの本当の雰囲気を知られるまい
だからその笑いに別の意味があったのかもしれないし、
カメラ外の女子たちが、人文字で「ちんちん」なんて文字を作っていたずらをして、OBや保護者は思わず笑ったのかもしれない。


しかし、しかしだ。
少なくとも、自分の息子がガオカに入って、
雨の中グラウンドで泥を顔に塗る真似をさせられるくらいなら、
「学校を休んでいいよ。」と言うだろうし、
それが間違っているとは思わない
「泥に顔突っ込んででも頑張りなさい!」なんて
理屈の通らないことは絶対に言えない。

女子ダンスについて

組体操とは打って変わって、
筑高体操では、皮肉的になるのを忘れ、
些か義憤的になったことを否めないのだけれど、

如何せん女子ダンスについては、扱いが難しい

自分は女子のダンスに関わったこともないし、
そこまで興味を持って見ていたわけでもないから、
そこまで事情に詳しいわけではない。

しかし、自分が高校生の頃、こんな噂を耳にしたことがある。

自分が入学する前年度の2013年の運動会で、
その年も雨が降っていたようなのだけれども、
そこで寝そべったり倒れこんだりする振り付けをし、
最も服や体に泥をつけたブロックが優勝した
その次の年から、
雨の時に服に泥をつけられるような振り付けを考えるようになった


というものである。


この真偽は分からないし、どの規模で広まっていた噂かは分からないが、
当時1年の自分にも広まってくるくらいの噂だったから、
そんなに狭くないということにしておく。


自分は、
なるほど確かに女子のダンスでは倒れこむ振り付けが多い、これはわざと服を汚して優勝するためだ、感動ハラスメントだ、
ということを言って、批判したいわけではない。

創作ダンスという競技の振り付け上、遠くの人に動きを伝えるために、
時として地面に寝そべったり、或いは跳ねたりすることは、誰もが当然に考えつき得る技法だからだ。

しかし自分は不可解である。
どうして地面に寝そべる振り付けを一切しないダンス長はいなかったのだろう、と。


ダンス長個人が、泥にまみれても構わないと考えるのは勝手だし、
泥よごれを厭わず自らの意志でダンスを続ける様子には、思わず感動を覚えるかもしれない

しかしブロックという集団全体で、その意志をどのくらい共有できるだろう。
ぬかるんだ地面に背中をつけたくないという人は、
一人もいないのだろうか。


女子のダンスは男子の競技よりも圧倒的に自由度が高い。
しかも2013年の教訓から、
「地面がぬかるむほどの雨が降っても運動会は決行される
ことを学んでいるはずである。

だのになぜ、
「汚れたくない」という沈黙の意思を持つ多数を無視して、
エスカレートさせる方向に進んだのだろう。


リーダーズの話

自分は特に運動会のような、モチベーションの高い学生とモチベーションの低い学生の差が激しくなるようなイベントでは、自分から立候補してリーダーズになる人のほとんどは、リーダーに適していないと思う

なぜなら、それは最もモチベーションの高い層にいることが多く、モチベーションの低い層に無理解だからだ。

そして大抵の場合、自分の理想とする運動会への取り組み方を強要してくるし、
「行進もっと足あげて!」って言葉だって
行進で点数稼いで、リーダーズたちがブロック優勝したいから、優勝なんて興味ない低モチ層に協力をお願いするという構図のはずなのに、奴らは体育会系だから、怒鳴るとか、大声を出すという技があり、なぜか命令口調で言ってくる。さも一生懸命行進しないことが間違っているかのように。
むしろ理由もないのに歯食いしばって頑張るって方が狂気的だ。

またそれでも従わないと、お説教タイムが始まる。
長くて5分くらい炎天下の中ありがたいお話を聞かされれば、
人間賢いから、大人しく従った方が身のためだと悟る。

その消極的モチベーションの上昇を自分の手柄だと勘違いしたリーダーズは、激務をこなし(前年からそっくり引き継げば仕事量減るよねみたいなものももちろんあった)、

運動会が全て終わった後、泣きながら皆に「支えてくれてありがとう」みたいなオッペケペーを言い出す。せめて「付き合ってくれてありがとう」だろ。
(ちなみに僕の特技は『オッペケペー節』が唄えることである)

まとめ

些かならぬ私怨を感じざるを得ない文章だったでしょうが、
何を隠そう自分もリーダーズに立候補しましたし、
自分も運動会は相当楽しんだ身であるとは、
改めて言っておかねばなりません。


だからこそ、自分が無理解であることにも気づけたし、
大運動会について深く考える手助けとなる前提知識や背景を知ることができました。


多くの人はもう忘れ、なんとなく良い思い出となった運動会。

リーダーにどんな人が向いているかだとか、
そういう視点から見れば、良い勉強になりました。(反面教師的ではありますが)


次は、なかなかまとまらないけれども、
筑紫丘の教師だとか、教育だとか、
そういう話もしてみたいと思います。

センター試験も昔の語となった今、
筑高生の学習環境は自分たちの頃のそれとは違うかもしれませんが、
もし暇だったら、また読んでいただきたいです
そしてぜひ、賛否色々感想をください。




「リーダーズについて」は、
拙文の中にも際立って駄文なのはわかっているから、
大幅な書き直しをするかもしれないということを
最後に付言しておく。

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