「腐った冷笑の心に、この言葉は聞こえない」 エッジを声にし、エッジの声を聞く…「MEGALOVANIA」 羽生結弦のエッジは”言魂”
目次
羽生結弦はエッジを声にし、エッジの声を聞く
エッジという、言語。
エッジの声が聞こえる。
羽生結弦のエッジは、言葉だ。
そのエッジの声は、魂を刻む言葉。
羽生結弦の魂を刻む、命がけのエッジ。
つまり、羽生結弦のエッジは「言魂」である。
ストーリー上の羽生結弦という存在は、地のはるか底、白と黒の世界に、漆黒の戦士の姿となって独り、エッジで音を刻んでいた。エッジで言魂を刻んでいた。
たったひとつの音だけの世界。
エッジの音だけが、響く世界。
羽生結弦はエッジを声にし、エッジの声を聞く。
羽生結弦と共にある人々も、この羽生結弦の至高のエッジの声を、言霊を受け取っただろう
そういうことか。私はその声を受け取った。たとえば、ドライブで太く刻まれる「声」を。多くの羽生結弦と共にある人々も、この羽生結弦の至高のエッジの声を、言霊をそれぞれの感性で、それぞれの解釈として受け取っただろう。
私は拍手をしなかった。いや、できなかった。この羽生結弦と羽生結弦のエッジを通した会話に他の音はいらないと、思った。
もちろん羽生結弦が言う通りの「エンターテインメント」であるから、拍手をするか、しないかは人それぞれだ。ただ、拍手した者の聞いた声と、拍手しない者の聞いた声は違うように思う。それはどちらが良いとか上下の話ではなく、芸術とはそうしたものだ。それぞれの感受性があり、それぞれの羽生結弦がある。ただ、それだけのことだ。
自分の大切は、自分のものだけにしておきたい。
だからこそ、私はその受け取ったエッジの声の中身を明かせない。いや、明かしたくない。羽生結弦と共にある人みな、おおよそ明かせないのではないか。それぞれに受け取ったエッジの声「言魂」、それは一人ひとりに羽生結弦が伝える、それぞれの大切な秘密である。自分の大切は、自分のものだけにしておきたい。明かしてもいいが、それは私の言葉となった段階で、羽生結弦のエッジから受け取った言葉ではないように思う。
それにしても、孤高だ。
そのエッジの声は、言魂ゆえに、孤高だ。「孤高」とは「ひとりかけはなれて高い境地にいること。ひとり超然としていること」とある(広辞苑)。ひとりかけはなれて高い境地にあり、ひとり超然としているということか。
つまるところ「ひとり」なのか。
おまへはひとりであの石原の草を刈る
ひとりのやさしい娘をおもふやうになるそのとき
おまへに無数の影と光の像があらはれる
おまへはそれを音にするのだ
みんなが町で暮したり
一日あそんでゐるときに
おまへはひとりであの石原の草を刈る
そのさびしさでおまへは音をつくるのだ
多くの侮辱や窮乏の
それらを噛んで歌ふのだ
何億人も、何十億人にも愛される羽生結弦だから
以前も書いたが、やはり宮沢賢治の『告別』の一節が、そこに浮かんで来る。
羽生結弦は多くの歴史上に残る創作者と同様、「そのさびしさで」音をつくる人だと思う。
羽生結弦にはたくさんの共に歩む人々がいる。たくさん世界から愛される。しかし羽生結弦は利他の存在ゆえに、自分より先にそうした人々をひとりにはしまいと寄り添う。たくさん、たくさん寄り添う。何億人も、何十億人にも愛される羽生結弦だから(これは比喩でなく事実だろう)、ひとりひとりに自分の幸せを分けてしまう。
まさしく『幸福の王子』なのだが、さすがの羽生結弦でも数が多すぎて自分の分がなくなってしまう。それでもいいという羽生結弦だからこそ「ひとり」になってしまう。たくさんの人に愛されても、たくさんの人の中にいてもひとり。ただ、こうした「ひとり」は光る。「ひとりというひかり」がある。この羽生結弦の「ひとりというひかり」、すなわち「孤高という光」もまた、私はとても好きだ。
腐った冷笑の心に、この言葉は聞こえない
いま羽生結弦は、まさにそれだった。
闇の中の光、その小さな光の中で、エッジで音を刻む、魂を刻む、これまでもそうしてきたように、刻む。そうしてそれは言語となって、私たちに届く。
私はこのままずっと、この羽生結弦の言葉を聞いていたかった。とくに大切な言葉だったように思う。腐った冷笑の心にこの言葉は聞こえない。心にも鮮度がある。だから心の扱いを間違えれば、腐る。そうした人には単なる音でしかない。
しかし羽生結弦と共にある人には、会場も劇場も放送も見られなかった人もすべて、それぞれに内容は違えど、真正面から受けとることのできる言葉だ。それが羽生結弦のフィギュアスケートだ。
かつてフィギュアスケート競技にはコンパルソリーという規定種目があった。あの、静寂とエッジの音だけの世界を想い、どこか懐かしくもあった。
コンパルソリー、当時、退屈だという人も多かったが基礎がほんとうの意味で出来ている人のコンパルソリーはとても美しく、音もまた綺麗なものだった。もっとも羽生結弦のそれは、羽生結弦の基礎という別次元の基礎を作りあげた上で成り立った、当時のコンパルソリーを超えた別次元の「基礎」であることは言うまでもない。
ほら、羽生結弦がまたやらかしてくれた(褒め言葉)
あの静寂に響き渡るエッジという言霊、まだ始まったばかりだというのに、なんと荘厳な。しかしストーリー上の羽生結弦という存在は闇にあるはずだ、すでに1分30分近く、これで終わろうはずがない。
やがて真っ赤に染まった世界となり、漆黒の羽生結弦の影が浮かんだ。
ほら、羽生結弦がまたやらかしてくれた(褒め言葉)。
会場に溢れんばかりの電子音、Toby Fox『MEGALOVANIA』だ。そうか、そういうことか。
そしていま、スピナー、旋風の羽生結弦が地のはるか底、『UNDERTALE』に顕現した。
(続)
※出典
『宮沢賢治全集 第1巻 (詩)』
「告別」,443-444頁,文圃堂書店,1935年7月.