潜在意識と対話する
はじめに
もし、あなたが今まで何度も何度も「あなたのホントの声」を無視し続けてきたとしたらどうでしょう。
もし、それらの声とあなたがいま一度「対話」をすることができたとしたら。
そしてその対話を通して、あなたが今までとは違った人生の景色を見ることができたとしたら。
このnoteにはあなたの可能性の扉がひらくような、そんな不思議な魔法の力をこめました。
忙しい毎日にふっと一呼吸をおいて、ゆっくりと読み進めていただければ幸いです。
わたしの人生が変わった日のこと
8年前の6月。
わたしは可愛い可愛い我が子をこの世に産みおとしました。
27歳でした。
それまでわたしは、人生ゲームの駒を着実に進めてきました。
大学に進学後は大手企業に就職。結婚、妊娠、出産と順調です。
あとは立派なママとなり妻をやればいいんだと思っていました。
ずっと苦手だったけれど曲がりなりにも「教科書通りの女性」をやってきました。今までは世間知らずで未熟だったけれど、ここまでやってのけたのだからもう誰にも怒られずにすむはず・・。
思えばずっと怒られてばかりの人生でした。
のんびりとどんくさくて、人一倍努力してやっと人並みになるほどの非凡な少女だったので、まぁ当然なのかもしれません。
親に怒られ、学校の先生にも怒られ、塾の先生にも怒られ。
大学のバイト先で怒られ、就職したら上司に怒られ。
怒られないように頑張って、人生の駒を教科書通りに進めてきたのに。
また次の場所に行っては、次の誰かに怒られます。
「怒られないため」の行動をちゃんととり続けているはずなのに。
なのに、なぜかその先でまた私を怒る誰かが待ちうけているのです。
人生の転機は、娘が3歳のときでした。
夫ともうまくいかず、娘は癇癪で毎日のように泣き叫んでいます。
地面にひっくり返り、捕まえたと思えば走り出して泣き叫ぶ娘を、保育園に連れていくだけで一苦労でした。やっとの思いで連れていった帰り道、思わずわたしも涙がこぼれてきます。
「なんでこんなに私の周りの人は、怒ったり泣いたり感情的になにかをぶつけてくるんだろう?」
横断歩道の真ん中でふと立ち止まって、考えこみました。
まだ娘との格闘で意識がくらくらしていましたが、真剣に考えました。
「あれ・・?もしかしてずっと誰かに怒られているようだけど、
実はこれって全部じぶんが引き起こしてるんじゃないかな?」
雷に打たれたような気づきでした。今でもはっきりと横断歩道がぐにゃりと歪み信号機がスローモーションで点滅しだす、あの気づきの瞬間をよく覚えています。
潜在意識の存在すらまったく知らなかった頃の出来事です。じぶんでは頭で考えた、と思っていたのですがあれこそが「内なる潜在意識との対話」だったのかもしれないな、と今となっては思います。
もし、すべての現実を引き起こしているのが誰のせいでもなくて自分がやっているのだとしたら?もし、その視点で世界をとらえだしたとき、私の人生はどう変わるのだろう。
この大きな気づきをきっかけに、私はこんなことを考え出すようになりました。
潜在意識という幸せの魔法
この大きな気づきをきっかけに、私は「目に見えない世界」を意識するようになりました。
自分では「こうだ!」と思っていた世界が、実は目に見えたほんの一部にしかすぎないことを知ります。目に見えないのですぐには変化もわからないのですが、ゆるやかにでも確実に目の前の現実に変化が起きていきます。
5年前まではどこにいっても怒られてばかりいました。でも今ではほとんどそんな人も見当たらなくなりました。昔は怒られてばっかりだった親も、今は穏やかな関係がつづいています。
ではなぜ私に、このような変化が起こったのでしょう。
「潜在意識」という神秘的な世界観をもとに、ゆっくりお話ししていきたいと思います。
潜在意識ってそもそもなに?
一言でいうと「生命維持のための安全装置」です。
なので、私たちのカラダが死なないように、潜在意識は休むことなく働いてくれます。呼吸や血液の循環も、実は潜在意識のしわざです。
潜在意識の話とお金の話はとっても密接です。それは私たちがお金がなければ生きていくことが難しいからです。お金がなければ、食べるものも住む場所もなくなるわけですから、生命に直結していると言えます。潜在意識が変われば財政状況が変わる人が多いのはこのためです。
そしてこれは大事なことですが、潜在意識は安全が第一なので無茶な挑戦はしないようにできています。つまり、ほとんどの人の潜在意識の初期設定は「私たちは無力だ!」なのです。なぜならそのほうが安全だからです。
私たちの脳は基本的にネガティブです。
それはつまり「自分を過小評価した方が安全だから」なのです。9割の人が大きな目標を掲げても達成できなかったり、なかなかうまくいかない理由はここにあります。
たとえば私は怒られてばっかりの人生だったのですが、それはつまり「怒られるほどちっぽけな存在だと感じるように、潜在意識がわたしを誘導」していたわけです。なぜなら、これが私にとっての安全だったからです。
もしあなたが潜在意識を幸せの魔法として使いたいのならば、この安心安全の初期設定を再設定させる必要があります。
潜在意識のしくみ
潜在意識は「コップ」のような物質とは違います。
だから「これです」とみんなでわかりやすく共有できないですし、人によってまったく伝え方が違ったりもします。
心理カウンセラーは心の無意識のパターンを扱ったりしますし、カラダを扱うお仕事の方は自律神経系や免疫システム、内分泌系だと表現することもあります。
わたしがこれからお話しすることも、わたしの実体験からとらえ表現したひとつの概念、つまりひとつの表現の形です。
なのであなたが知っていることと、わたしがお伝えすることと照らし合わせて「じゃあ、わたし(あなた)の場合はどうだろう?」と、ご自身の言葉や体験を通して、是非じぶんの表現の形を探してみてほしいなと思います。
潜在意識を扱う上でこの、自分ごととすることとアウトプットすることはとても大切なプロセスだったりします。
一般的な潜在意識の概念とはこの上の図のようなものでしょう。
一度は見たことがあるのではないでしょうか。オーストリアの精神科医、フロイトが提唱した氷山の図です。
私たちはそれぞれ大きな「意識」という氷の山を持っています。
そしてそれは思考できる「顕在意識」と「潜在意識」に別れていて、そのほとんどが無意識である潜在意識に分類されている、というものです。
この図だと、潜在意識はどうしても「奥深くに眠っていてなかなか手の届かないところにある」というイメージですよね。
確かに奥深く沈んでなかなか思考にあがってくるのが難しい潜在意識もあります。一方で少しのきっかけで、簡単に思考にあがってくる潜在意識もあります。そういった側面から、この絵はとてもよく潜在意識を表現しているなぁと思います。
しかし顕在意識と潜在意識は、このようにきっぱりと分けてとらえられるものでもなかったりします。なぜなら潜在意識とはすべてを含みますので、顕在意識も潜在意識の一部である、というのがわたしの認識です。
なのでイメージを表現しなおすとするなら、下の図のようなものになります。
大きなどこまでも拡がる宇宙のような円が、私たち一人一人に存在する潜在意識です。
そしてこれは「個人的無意識」といって、ひとりの人間からなる潜在意識です。さらにその奥に拡がる「集合的無意識」というものがあって、個人の無意識は全人類と繋がっていてひとつの集合体を成しているという概念です。
そんな果てしない無意識空間でわたしたちは、そして世界は構成されているのです。
一方でほんの1%にも満たないとされているのが、顕在意識です。
私たちは1日に何度も何度も思考をします。
あーだこーだと考えさらには「〇〇は△△だから□□に違いない!」と、とってつけたような判断、解釈をします。この思考こそが顕在意識です。
顕在意識の情報ソースはすべて潜在意識であり、人生のあらゆるものに反応した際に顕在化されます。顕在化とは、今までは目には見えずに隠れていたものが見て分かる状態になる、ということです。
「おなかがすいたなぁ」という、じぶんの身体に対する反応よる思考も顕在意識ですし「ペルシャ猫を飼ってるなんてあの人はお金持ちに違いない!」という、外側の世界に対する反応による思考も顕在意識です。
潜在意識は過去の経験や五感などを通じて見聞きしたデータに基づきます。さらに世代を飛び越えて、DNAなどの遺伝情報なども含みます。つまり生まれる前から引き継いだものもある上に、深い部分で他人とも繋がっているわけです。
これほど無限の可能性を秘めた潜在意識があるにも関わらず、私たちはたった1%の顕在意識の判断でしかものごとを認識することができていません。
しかしこれは「無い」のではなく「認識できていないだけ」ということを知っておいてほしいのです。つまり「本当は知っている」のに「今はまだ反応してないから、思考の認識にあがってきていない」ということです。
潜在意識は書き換えなくていい
「潜在意識の書き換え」という言葉はあまりにも有名で、これを読んでいるあなたも一度は聞いたことがあるかもしれません。
しかし、私はどうしてもこの言葉に違和感があります。なぜなら、もうすでに私たちは「知っている」のですから、「知らなかったこと」にはできないわけです。書き換えるというと「消して書く」ということなので、元のものを無くそうという力が働きかねないなと思うのです。
潜在意識の書き換えとは、その人の中にある不要な観念を必要なものと取り換えることではありません。たとえ書き換えたい事柄があったとしても、もうすでに知っていて体験しているのですから、私たちから消し去ることはできないはずです。
しかしその上で、「じぶんの人生にいまだ影響を与えるものをとらえ、その質や量を変換する」というのが、潜在意識の書き換えです。
つまりたとえ書き換えを起こしたとしても、無かったことにはならないのです。書き換える、という表現はとてもキャッチ―で面白いですが「無いことになる」というニュアンスが残ります。言葉の力はすごいので、どうしても本来の意味合いに引っ張られます。
あるものを無理やりなくしたことにすると、それはどうしようもなく嘘になります。そしてその瞬間は「なかったこと」になったとしても、しばらくして「実は、まだあった」ということを認識せざるおえない出来事が目の前に現れます。
「なかったこと」の罪は重く、それはのちのち自分にちゃんと返ってきます。絶対になかったことになりません。「まだある」をこれでもかというくらいに実感させられる出来事に、必ず出会います。
このとき「書き換えたはずなのに、やっぱり同じか・・」と落ちこむ人もいるかもしれませんし、人によっては「あれだけがんばって書き換えたのに、何も変わらない自分はもうダメだ」と自分の人生そのものを否定することになったりもします。
でも安心してほしいのですが、なにもあなたはまったく変わっていないわけではないのです。書き換えたのにそれでももし、上手くいかないことがあるというならそれは、「まだ見ていないものがある」か「なかったことにして、おさめてしまった何かがある」だけです。
少し勇気やエネルギーがいりますが、また「えいっ」とじぶんの内側の扉をあけ、もう一度潜在意識との関係性を深めていけばいいのです。
この自分と向き合い再接続する作業を、わたしは「潜在意識と対話する」と表現しています。これは己と向き合う作業ではあるのですが、向き合うと言ってもただの内観ではありません。
なぜなら一人だけで完結するものではないからです。さらにただじっとしているだけでもありません。他人と会話したり実際に行動することもこの「潜在意識との対話」には含みます。
noteの後半にはこの潜在意識と対話するやり方を、簡単で誰でも取り組めるかたちにして書きました。是非、実践してみてください。
もし、わたしたちが熱心に自分の潜在意識と対話をしたとしたら、まるで別人のように生まれ変わった自分自身と出会うことができます。
わたし自身も5年前までは「自己肯定感マイナス100だね(笑)」と友人に笑われるほどに自信のない人間でした。しかし今ではこうしてトークイベントに登壇したり、恥をしのんで文章片手に大手企業にじぶんを売り込みにいくことができるようになりました。
潜在意識の対話が習慣化しだすと、だいたい早い人で3か月ほど、約1年で今までとは違った人生が起こり始めます。見た目が変わったり出会う人が変わったり、仕事や住む場所が変わったり。変化はその人によりますが、なにかしらの目に見える形として現れるでしょう。
潜在意識が変化して、目に見える変化がまったくないということはありません。潜在意識の変化は顕在意識の反応パターンの変化に繋がるので、なにも起こらないということはないのです。もし起こっていないなら、それはあなたが気づいていないだけです。
まずこれを読んでいる皆さんにやってほしいことは、自分の人生から「実際にある」ものに対して、それをごまかして隠そうとするのをやめることです。いま「これかな?」と頭に浮かぶものがありましたら、ぼーっとその事柄を眺めることを、まずやってみてください。
それらに対して関わりあうことを放棄しないでください。
その関わり合いの先に、潜在意識の変化は確実に訪れます。
潜在意識と対話する
ここまで読んでいただいて、潜在意識と対話するという言葉の認識を少しご理解いただけたのではないかと思います。
では実際に何をするかというと「ただあるものを観察する」ということと「その観察点を増やす」ということをやっていきます。
「ただあるものを観察する」というのは、外側の世界に反応するじぶんではなく、自身の内側にあるものに焦点をあてるということです。わたしたちはほうっておくと外側への反応を無意識に選んでしまいます。なので、それを少しだけやめてみるということです。
「観察点を増やす」というのは今まで「A」という視点でしか見れなかったことに対して「B」や「C」や「Z」という視点を探すということです。何度も言いますがあるものを無いことにして、何かを取ってつけて足す、ようなことはしなくていいということです。
今までのあなたの視点が嫉妬や執着や悪口にまみれて相当ヤバいことになっていたとしても(笑)、その視点を無理やりなかったことにするのはやめましょう。まず、そのヤバいじぶんそのものを観察します。外側の世界からの評価はいったん、横に置いておきましょう。
大切なことは、たとえ強烈にヤバい視点をもっていたとしても「違う角度から見たらこうも見える」ということに気づくことです。じぶんの内側に観察の視点をいくつか持つこと、それがなにより大切です。
少しわかりやすい表現をすると、テレビ撮影の時に何台ものカメラでひとつのものを撮影するあの感じです。1カメ、2カメ、3カメ・・といったように、複数台のカメラで自分を観察していくのです。
わたしはこの潜在意識というものに関わりだしてから「現実がどうしようもなく我慢ならないほど苦しい。それなのに何をどう頑張ってもずっと変えられなかった、でもなんとかして変えたい・・!!」という人にたくさん出会ってきました。
このように苦境に立たされると人はその「苦しみ」のみに焦点が当たってしまいます。そしてその苦しみをどうにかしよう、どうにかしようと抵抗します。
そうすると抵抗に反応しつづけるあまり、本当に見ないといけない現実から目をそらしてしまう、ということが起こります。そして「手放したい、手放したい」と余計な力が入りだすこともあるのです。
ちなみにこれは心に限ったことではなく、身体の症状も同じだったりします。そういわれるとまるで自分の今までの取り組みを否定されたかのような気持ちになり「そんなことない!」と抵抗する気持ちが現れたりしますが、その抵抗こそ観察してみるのです。
潜在意識の扉の開けかた
潜在意識は「生命維持」が最優先です。なのでどんな大きな目標よりも、一番安全に生きられることをまずは選ぶようにできています。
なので私たちはどうしても現状維持のループから抜け出すことが難しいのです。現状維持は生命にとって一番安全だからです。でもこれは大昔の話で、逆に現代は変化をなくしては生きていくのが難しい時代です。
もし、現状維持をぬけだして新しい世界の扉を開きたいとするなら一つとても重要なことがあって、それは「他人の協力が絶対に必要」ということです。
つまり自分ひとりの力では、小さな変化はあったとしてもそれは現状の中の話でしかないのです。潜在意識の新しい扉をあけてくれるのは、絶対に自分じゃない誰かなのです。
これはヒトが個人では生存不可能な、群れの中でしか生きられない動物であるからこその、本能に起因していると推測できます。
世界に影響を与えるほどの自己の変革には、個人の力だけでは成しえることができないような仕組みになっているのです。
しかしここで注意したいことがあります。
それは自分とあまりにも近しい共同体の中で生きる人には、潜在意識を変える役割をになうことは難しいということです。
これは本当に悲しい事実なのですが、無意識でわたしたちは近しい人の足を引っ張るということをします。なぜかと言うと、それはやはり自分の現状維持を守るためなんです。そのために近しい人が変化するのを拒む、という力を意地でも働かせます。
近しい人が変わると、自分の外部環境が変わってしまうという危険予測装置が激しく反応します。そして必死に「やめたほうがいい!」と伝えます。おそらく「あなたのためを思って」というような、言葉をたくさん使って愛を伝えてくるかもしれません。
このような状態の人を専門用語で「ドリームキラー」と言ったりします。だから、もしあなたが大きく人生を変化させたく現状維持から脱却したいと本気で考えているなら。特に、もっとも愛する人にはそれを黙っておく必要があります。それが家族だとしてもです。
潜在意識と対話する
ここまで読んでいただきありがとうございます。
ではここからは、あなたの潜在意識と対話をする方法をお伝えしていきます。
といってもそんな難しいことではありません。
誰でもできるけれど、ちょっとだけ勇気のいる方法です。
潜在意識と対話する目的は、「あなたがもっとあなたらしく生きていくため」です。
外側の世界の目や価値観にずっと反応しつづけ、じぶんという存在を置きざりにするのをここで終える、ということです。
その目的を果たすために、いままで私たちが決めつけてきた「安心安全の設定」をゆるやかに変えていく必要があります。
ひとりでじぶんという存在そのものと対話する。
ふたりでシェアすることで、反応されない安全な世界を互いに知る。
せかいにじぶんという存在そのものをアウトプットして循環を創る。
これらをやっていきます。
ひとりで対話する
これは「じぶんでじぶんを観察する」ということを習慣にするためのものです。観察する手法はさまざまなものがあって、有名なものであれば瞑想もその一つです。誰でも知っていて手軽なものなら、日記もそうです。
ここでは「じぶんの内側の言葉に耳をかたむける」ということをやっていきます。もし内側のじぶんの声が鬼上司の人と、常に明るく励ましてくれるチアリーダーのような人がいたとしたら、全然違う人生を歩みそうですよね。
しかし、人はどこまでいってもネガティブな生き物です。
過去の記憶は罪悪感という感情が支配し、未来の想像は恐れという感情に最も支配されるようにできているのです。
この感情のパラダイムを観察によって中和させていきます。
まず、紙とペンを用意します。
そしてタイマーを5分セットしてスタートします。
ひとつ、じぶんの頭の中から離れない過去の出来事を選びましょう。
「なにもないよ」という方は、しいて言えばで結構です。無理やり重い話題を思い出さなくて大丈夫です。
そしてその出来事に対して「じぶんや他人への批判的な内容、言葉」と「今、未来に起こりうるかもしれない不安」を書き出してください。
次に「その経験がもたらしたじぶんにとって良かったこと」を書き出してください。
どちらの側面も書き出したら、最後にじぶんの「気づき」をノートの端にひとことでいいので書きとめましょう。
タイマーがなるまでやってみてください。
早く終わっても5分間の時間をすべて使いきってみてください。
ふたりで対話する
私たちは誰かに「判断される」という不安の元に、じぶんの内側の本当の声を話すことができなくなってしまっています。
つまり常に他人の反応に怯えながらでしか、言葉を発せなくなっているのです。
なのでここでは、信頼できる家族や友人を捕まえてたった1分でいいので話をさえぎらずに、話を聞いてもらうということをやってみてください。
つまり「外側の反応におびえることなく、自分自身の観察を世界とシェアしても安全である」という安全の再設定をしてほしいのです。
そして特に「これを話してください」というテーマはもうけません。ひとりで対話をしたときの気づきを使ってもらってもいいですし、二人でテーマを決めて話すこともいいかもしれません。
そのときに気をつけてほしいことが「わかるー」と共感したり、「そうそう私はこう思うんだけど、、」とじぶんの感想を伝えたり、話をさえぎったりしないことです。しかしまったく目もあわさず聞いてないようなそぶりをするのではなく、「うんうん」と無言でただ聞いてあげてみて下さい。
このルールだけを互いにシェアして、取り組んでみて下さい。
おそらくこの「ふたりで対話する」への取り組みが一番難しいかもしれません。なぜなら私たちは「反応のコミュニケーション」がベースだからです。
なので、反応せずにただ聞く、ということは慣れないかもしれませんがとりあえず1分タイマーではかって話を聞きあってみてください。
せかいと対話する
じぶんの気づきがあったとしても、それを遠くの知らない誰かとシェアできるようになったのはここ十数年の話です。
なので、私たちは世界との繋がり方を誰からも教わらないまま大人になってしまいました。「こうすればフォロワーが増える」「ああすればものが売れる」という数字を増やすノウハウはたくさん存在しますが、じぶんを損なわずに世界と接続するやり方を教えてくれる機会はかなり少ないように思います。
ここでは世界と繋がるノウハウは語りませんが、いくつか守った方がいいルールのようなものをシェアします。
ノウハウは本当になんでもかまいません。SNSなどのオンラインツールは自分を表現するもっともお手軽なツールですし、行動力のあるかたはワークショップを主催するなど「みんなで創る場」があるととてもよいでしょう。
じぶんの本当の声と対話を重ね、
周りを取りまく温かいひとと安全の関係性を育み、
それをもっと大きな世界との循環に使っていくというわけです。
このように潜在意識の対話はすこし地味で地道なのですが、あなたがこれからこの循環の中で生きるという選択をすれば、世界のとらえ方がまるで変わってきます。
では、その中で守った方がいいルールというものを3つシェアします。
ひとつ目は、じぶんの正しさを世界に証明しようとしないことです。あなたがあなたの正しいを証明しようとしだすと、その違和感は絶対に人につたわります。外側の世界に反応しないことも大切ですが、あなたが外側に反応を求めすぎないことも大切です。
ふたつ目は、起こる結果を求めすぎないことです。世界と交流を持ち出すと、強く揺さぶられるような思ってもないことがでてくるでしょう。揺さぶられるのは仕方ないですが、結果は「どうなるのかな?」とお楽しみにしてみるといいかもしれません。
みっつ目は、じぶんの自由ばかりを追い求めすぎないことです。世界と繋がりだすと、人はそこに果てしない自由を感じはじめます。そして「もっと、もっと」とその自由を欲しだします。自由への欲は際限がないです。これはお金も一緒です。しかし盲目的な自由は、倫理観や道徳心の欠如に繋がります。ときどき、立ち止まる勇気をもつことです。
おわりに
この世界を創るのは誰でもなく、じぶん自身です。
たとえば、たまたま入ったレストランであなたは水を少しこぼしてしまい、隣の席の人の服にかかってしまったとしましょう。
もしあなたが今までのような世界に対する反応としてしかじぶんを扱っていなかったとしたら「すみません」という謝罪を伝え、服が汚れていないか確認をしたのち、ただその場を去っていくかもしれません。
しかし、「わたしの人生はすべて奇跡の連続だ」という自分自身の観察点から世界をとらえ直し創り出すことができたとしたら。
あなたは「水がかかったという事実も、何かの縁かもしれない。」とその事実を新しい角度から見つめることで、水のかかった相手との交流をはかるようになるかもしれません。
あなたが「こうであるべきだ」という外側の目の呪いから解き放たれて、新しい世界に命をふきこんでいく存在になることを祈って、このnoteを書きました。
世界に使い捨てられる存在ではなく、
自らがこの世界の創り手となる人の支援になりますように。
読んでくれて、ありがとう。
鈴木 美乃里(みのりん)
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