遂に判明!「震災朝鮮人死亡者53名」の衝撃! その1

(伊東忠太設計・復興記念館)
この展示で最も衝撃的だったことは、関東大震災死亡者調査票のなかで
「朝鮮人死亡者」が53名である、と判明したことだ。
(尚、展示物の撮影は禁止されているので、皆様、ぜひ足をお運び下さい。)
震災で亡くなられた方は全体で10万5千名とされ、今回、名前が判明した3万8千名分の約2.76倍としても、その割合からして、朝鮮人死亡者は53名✕2.76=146名前後だったろうと推測できる。
多少の誤差があったとしても、同じ公園に建てられている朝鮮人追悼碑に書かれた被殺者6千名という数字が、いかに事実と乖離した、荒唐無稽の数字か、改めて証明されたと考える。
更に、この死亡者調査票では、
海外63名(朝鮮人53名、台湾2名、中国7名、アメリカ1名)
という数字も判明した。
この数字からは、100年の時空を越え、歴史の真実を、精魂込めて書き残した永田秀次郎氏の魂が蘇ったかのようで、感動した。
前東京市長・永田秀次郎氏は、私財を投じ、震災死亡者の名前を調べ上げ、永遠に保存する形で高野山に葬った。
この展示会の、海外63名の数字は、外国人全体死亡者を、63✕2.76=約173名前後であると推測することも出来ることから、高野山にある、関東大震災慰霊堂前の説明板にある、「外国人200余人なり」の数字とも極めて近く、そよ風が、かねてより指摘して来た点と合致する。

死者の氏名を記すには、外国人も含めることにし、これに三年の調査を要した。震災の処置については深き責任を有する余の心中、永へ断腸の念に絶えざるは、全く人間の自然の心情に他ならざるなり。
永田秀次郎句碑 ぬかづけば 塚に息あり 法の露
慰霊協会の方にお聞きしたところによれば、手書きの調査票は紙の劣化や、くせ字、略字などが多く、判読にご苦労されたとのことだが、3万8千枚をデーターベース化して下さった8人の皆様には心から御礼を申し挙げたい。
さて、この「53名」の真実について、詳しく見ていこう。
そもそも、この震災死亡者調査票がなぜ作られたか。簡単に説明したい。
①天皇からの御下賜金1千万円(現代では約244、4億円・大正時代の1円=2444円・復興記念館パネル参考)を被災者個人に分配する案が閣議決定された。そのための調査でもあった。
続く
(文責・鈴木)

北原糸子氏記者クラブ「生存者と死亡者」講演会資料より引用
(伊東忠太設計・復興記念館)
東京都復興記念館で開かれている関東大震災犠牲者情報の特別展に行って来た。慰霊協会が所蔵していた関東大震災の死亡者調査票は、今まで、研究者や一部の人々にしか公開されていなかったが、この度、震災100周年で、38000名分のデーターベース化が行われ、公表されたのだ。
この展示で最も衝撃的だったことは、関東大震災死亡者調査票のなかで
「朝鮮人死亡者」が53名である、と判明したことだ。
(尚、展示物の撮影は禁止されているので、皆様、ぜひ足をお運び下さい。)
震災で亡くなられた方は全体で10万5千名とされ、今回、名前が判明した3万8千名分の約2.76倍としても、その割合からして、朝鮮人死亡者は53名✕2.76=146名前後だったろうと推測できる。
多少の誤差があったとしても、同じ公園に建てられている朝鮮人追悼碑に書かれた被殺者6千名という数字が、いかに事実と乖離した、荒唐無稽の数字か、改めて証明されたと考える。
更に、この死亡者調査票では、
海外63名(朝鮮人53名、台湾2名、中国7名、アメリカ1名)
という数字も判明した。
この数字からは、100年の時空を越え、歴史の真実を、精魂込めて書き残した永田秀次郎氏の魂が蘇ったかのようで、感動した。
前東京市長・永田秀次郎氏は、私財を投じ、震災死亡者の名前を調べ上げ、永遠に保存する形で高野山に葬った。
この展示会の、海外63名の数字は、外国人全体死亡者を、63✕2.76=約173名前後であると推測することも出来ることから、高野山にある、関東大震災慰霊堂前の説明板にある、「外国人200余人なり」の数字とも極めて近く、そよ風が、かねてより指摘して来た点と合致する。
過去記事→6000という数字はあまりにも先人を愚弄していませんか。
高野山(奥の院)にある「関東大震災慰霊堂」「慰霊堂前の説明板」
死者の氏名を記すには、外国人も含めることにし、これに三年の調査を要した。震災の処置については深き責任を有する余の心中、永へ断腸の念に絶えざるは、全く人間の自然の心情に他ならざるなり。
永田秀次郎句碑 ぬかづけば 塚に息あり 法の露
今回の展示の初めに、慰霊協会の理事長住𠮷泰男氏のご挨拶のパネルがあり「本展示によって震災死亡者の「数」だけではなく、死亡者の特性、被災状況などが分ります」と、書かれている。
正に、震災百年にして、漸く、当時のリアルな真実が目の前に現れた感がある。慰霊協会の方にお聞きしたところによれば、手書きの調査票は紙の劣化や、くせ字、略字などが多く、判読にご苦労されたとのことだが、3万8千枚をデーターベース化して下さった8人の皆様には心から御礼を申し挙げたい。
さて、この「53名」の真実について、詳しく見ていこう。
そもそも、この震災死亡者調査票がなぜ作られたか。簡単に説明したい。
①天皇からの御下賜金1千万円(現代では約244、4億円・大正時代の1円=2444円・復興記念館パネル参考)を被災者個人に分配する案が閣議決定された。そのための調査でもあった。
続く
(文責・鈴木)
北原糸子氏記者クラブ「生存者と死亡者」講演会資料より引用
投稿ありがとうございます。炙り出されてきましたね、当時の実情が。
子供の頃ミカンのトギジルで筆を使い半紙に文字を書き乾いた後にそれをろうそくの火で炙ると書いた文字が読める様に現れて来る遊びを思い出しました。忍者が使った隠れ文だったとか。
メディアが取り上げてくれれば良いのですが取り上げないでしょうね。