ボツ原稿供養:擬竜のヴェルシグネルセ

橘寝蕾花(きつねらいか)

第1話

★擬竜のヴェルシグネルセ ― 空に謳えば竜は踊るか ―


★あらすじ

 捨て子である自分を育ててくれた最愛の師・ランディールは数年前より患っていた病によって死んだ。青年ライネルは彼の死を看取り、神の御許へ見送る。

 そんなランディールは今際の際に『自分の出自を知りたくばシンカ村へ向かえ』と言い残し、長年己のルーツを知りたいと思っていたライネルは師匠が残した旅道具を受け取り、早速遺言通り旅に出る。


 共に老師を見送ったマキナータ(機械種族)の神官少女・ベルナと共にシンカ村へ訪れた彼らは、廃村となっていたそこで古びた遺跡を見つけ、そこで傭兵をしているという漆黒の半獣人系人狼族の男・ガレブと出会う。

 彼はこの遺跡を調べに来たらしく、事情を知ったガレブは共に遺跡の探索を提案してきた。


 共に遺跡を探索し、危険な幻獣らを討伐しながら奥へ進む一行。

 しかしそんな中外部から謎の一団がやって来る。彼らは自らをエクリプスと名乗り、遺跡に眠る力を求めているのだというが、既に捜索していたライネルたちを敵視し襲いかかり、攻撃を仕掛けてきた。

 ライネルたちは逃走する中で彼らの言う力――『竜の祝福(ブレス)』を手に入れることになり、それでエクリプスに立ち向かうことに。


 ブレスを巡る攻防、ライネルの出自を探る旅。それは王国で起こりつつある異変にも関わり、大きなうねりとなって彼らを飲み込んでいく。

 剣と魔法の王道異世界で繰り広げられる、ファンタジー・アクション・アドベンチャー、ここに開幕——!



★本編



第1話 帰路の襲撃と、出会いと



 死の目前にあって、師匠は泰然としていた。それが己の迎えるべき終着であると理解し、受け入れていた。

 弟子である己が狼狽えるべきではないと思っていたが、気づけば鎮痛剤を求めて馬を走らせていた。


×


 最寄りのエール村から、ライネルは快馬かいばゾイロスという角の生えた馬のような幻獣に乗って帰路についていた。ヘルガと名付けた三歳の牝馬は、主人の青年と彼が手に入れた薬をくくりつけ、何一つ文句を言うでもなくゆったりと歩いていた。

 時刻は夕刻。急いで帰らねば、夜になる。空を見れば、夕陽が揺蕩っている——なんとか一時間は陽はもつだろう。

 ここから家までは四十分ほどであるから、余裕は一応ある。

 急ぎたいと思っても、馬を走らせたりはしない。当たり前だが馬は常に走ることはできない。人と同じだ。常足なみあしで歩行させた方が移動には適している。走るのは、いざという時であった。


 ライネルは青紫色の髪を風になびかせた。青い目が、真っ直ぐ前に見据えられている。

 時折周囲を気にするそぶりを見せるのは、何かやましいことがあるからではなく、危険な害意を持った敵性幻獣が現れないかどうかを探っているからだ。


 整備された街道沿いとはいえ、決して安全とは限らない。幻獣の掃討は騎士団や猟胞団りょうほうだんなどの手で定期的に行われるが、何事にも不確定要素はついてまわる。

 ライネルはそれについて、この数年痛いほど学んでいた。

 鉄塊で頭を思い切りぶん殴っても死なないだろうと思っていた老師・ランディールが癌になったのは、四年前のことだった。


 発見された当時でだいぶ癌の毒牙は体をめぐっており、医者からも高位の神官からももって二年と宣告されたが、ランディールは四年も耐えていた。しかしできることはわずかだ。神官たちが持つ、星䨩神せいれいしんステラミラの秘術である治療術とて、癌は治せない。せいぜい進行を遅らせたり、痛みを和らげるのが限度だ。

 ライネルが村で手に入れた薬も痛み止めである。万病に効く霊薬であれば、どれほど良かったか。それに己の稼ぎでは、いい医者に見せることも、高額なお布施も出せない。苦し紛れに、民間療法や冒険者向けの痛み止めを買い与えるのが限度であった。


 ——「大馬鹿者。未来に死を確約された老いぼれに、また金をはたいたのか」


 ランディール師にそう言われることは目に見えている。それに対しライネルが「うるせえクソジジイ」と返すのもまた既定路線であった。

 わかりきった日常会話。だが、早くそんなものが終わって昔みたいにくだらないことで笑い合いたい。

 しかしそう生意気を言えるのも、恐らく今日で——。


「ブルルル……」


 ヘルガが息遣い荒く、鼻を鳴らした。

 敵性幻獣だ。ライネルはここで無理に引けば村や家に害が及ぶと判断し、静かに馬から降りて腰の剣を抜く。幅の広いブロードソードだ。数打ちの安物だが、それでもライネルの稼ぎでは半年貯金して買えたものであった。

「行け」と胴を軽く叩いてヘルガに先を急がせた。ライネルは、気配がする西の茂みに足元の石を拾い上げて、投擲する。

 がつ、と石が何かに当たった。


「グギャウッ」


 甲高い悲鳴をあげて飛び出してきたのは一体のヴァルガオウガである。

 下卑鬼げびきとも言われるこの幻獣は、危険度等級レートの低い敵性幻獣だ。


 首周り、手首、腰の毛皮が豊かな小鬼という外見をしており、上背はライネルとほぼ同じ、一七〇から一八〇センチほど。重さは七〇キロはあろうかというほどだ。

 灰色の皮膚に、明度の低い黄色をした毛皮。やや前傾姿勢で、猫っぽい耳と尻尾が生えており、眉の上には小ぶりな角が一対ある。

 一体だけならば、そのレートは最低等級の五等級。しかし、五等級であっても戦う術を持たない者からすれば総じて生命に危機をもたらす恐るべき怪物だ。

 人は、種族の別なく普通の猪の突進でさえ死んでしまうほどに脆弱なのだから、そこに明確な害意と恐るべき能力を兼ね備えた幻獣が相手ともなれば、何をか言わんやである。


 ライネルは魔力を丹田で練り上げた。

 丹田——臍の下にあると仮定される、架空の臓器。そこに魔力を練り、全身に巡らせる。基礎的な魔術の一つである身体強化術を付与し、ライネルは息を吐いた。


「ふぅー……」


 右手に握っていた剣が微かに軽くなる感覚。

 四肢が拡張され、体が思い通りに動く爽快感。今なら戦い抜けるという自信。それでも感じる、根源的な恐怖——それらがブレンドされ、研ぎ澄まされた戦意として出力され、

 ヴァルガオウガが動いた。


 鋭い爪をしゃっきり伸ばして、確実にこちらの首を刈り取らんと振るった。

 ライネルは素早く受け太刀を作って攻撃を防ぎ、鍔迫り合いつつ追撃を喰らわぬうちに押し返し、右の足裏全体で蹴り付けるように前蹴りを放つ。

 ヴァルガオウガの脇腹に食い込んだ蹴り足がズン、と押し込まれ、相手が「ゲェッ」と呻いた。

 ライネルは「シッ」と短く呼気を刻み、踏み込みと同時に袈裟に切り下ろした。


 刃が首周りの毛皮に食い込む。しかし、獣の毛皮は存外に頑丈である。当然だ。それらはライバルや天敵の爪牙から身を守る鎧である。ヤワなものではないのは道理だ。

 剣が毛の繊維で表面を滑り、刃は皮膚を薄く切り裂いて逸れていった。ライネルは遠心力を利用しつつ左回転し、薙ぎ払い気味に回転切りを放つ。

 ヴァルガオウガは爪で防ぎつつ、後ろに下がった。しかしパキンと音をたて、相手の左腕の爪が二本折れる。


「まだだ、来い。終わってないぞ」


 ライネルは相手を威嚇すると言うよりは己を鼓舞するように言った。ヴァルガオウガ如き畜生に人語が届くわけないのは百も承知だ。ならばこそ敢えて言葉にする。言っても言わなくても相手にとって同じであれば、言葉にした際己にメリットがあるかどうかを基準にする。

 それに発声は、横隔膜を刺激し体を自由に操る武術的な意味合いも然り、相手を圧する形なき攻撃ともなる。老練な剣士であり、魔術師でもあるランディールの教えだ。


「ガァウゥッ!」


 それは下卑鬼もまた同じか、怒号で応えたヴァルガオウガは低姿勢から右の鉤爪を振るった。

 下段から迫るそれを、ライネルは左に転がって回避。起き上がりざま、起き攻めのように振るわれる左の腕を剣で弾く。鋭い角度で閃いた刃が指を三本落とした。四本指のヴァルガオウガはこれにはたまらず悲鳴をあげる。

 ライネルは好機と見て攻め込んだ。

 剣をしっかり両手で保持し、大上段から頭部を断ち割らんとする。

 しかし、


「ぐぁっ」


 次の瞬間、横合いからの不意打ちに視界が傾いだ。そう思った次の瞬間には天地がひっくり返って、自分が吹っ飛ばされたのだと自覚する。

 二転三転した視界がようやく水平を取り戻し、ライネルは砂利と胃液が入り混じる口をモゴモゴさせ、「ぶっ、ぶっ」と中身を吐き出す。

 ふらつく視線の先、そこには二体目のヴァルガオウガがいた。


「くそ……」


 一対一ならばまだしも、数で不利を取った。これはまずい。

 一対多数の場合、相手を一撃で倒せる手段がないとなかなか状況を打開できず、ジリ貧に陥って負ける。ライネルは己の状況把握能力の無さに呆れ、瞬時に自罰から打開案の模索のために脳のリソースを回した。


(まずは手負いから崩す)


 ライネルの判断、そして相手の動き。

 ヴァルガオウガがそれぞれ左右に分かれた。


「!」


 狩りに来ている。当然か。野生生物に『勝負』の概念などない。彼らは常に生きるか死ぬかの『狩猟』の世界で生きているのだ。手段や手法などにこだわらず、確実に相手の首を奪る方法を選ぶ。

 ライネルは己から見て右、手負いの個体にターゲットを絞った。

 唯一無事な右の鉤爪を振り上げるそいつの、無力化した左腕側に回る。

 低く腰を引き、体重とバネを利用して渾身の刺突を放った。


「オラァッ!」


 剣先は心臓を狙っていた。しかし微かに逸れ、切先が左肩の付け根を深く抉る。そのとき、剣の根元がきしりを上げる嫌な音がした。


「っ!」

「ギャァアアアオオオオッ!」


 ヴァルガオウガが絶叫した。激しく体を揺さぶらせ、抵抗する。右腕を出鱈目に振るい、それがライネルの左頬を切り裂いた。


「がぁっ」


 鋭い、痛みというよりは熱が走った。怯んだライネルを薙ぎ払い、ライネルは剣を手放して転がる。

 まずい、と思って咄嗟に腰の鉈を抜いた。藪を払ったり肉を捌いたりするのに使う刃物だが、ないよりはマシだ。

 しかしそこへ二体目が突進してきた。仲間を傷つけられた怒りか、興奮気味である。


 ライネルめがけ爪を振るった。瞬時に鉈でそれを凌ぐが、押される。

 まずい事態に陥ったと思った、その時である。


「伏せてください!」


 凛とした、わずかに金属質の響きを伴った女の声がした。

 ライネルは瞬時にその場に伏せる。

 直後、頭上を暴風が薙いでいった。何かにぶん殴られたように吹っ飛んだヴァルガオウガがくびられた犬のような悲鳴をあげて吹っ飛んでいく。一体何が——と思いこそすれ、状況は忘れない。

 すかさずライネルは起き上がり、苦しむヴァルガオウガに鉈を振るった。まともな思考ができない手負いのそいつは真正面から刃を浴び、首筋を切り裂かれる。

 すぐに刺さった剣を引き抜き、今度は過たず心臓を刺し貫いた。


「ガッ——ゴァ……」

「大人しく、くたばれ」


 ライネルは冷淡に吐き捨て、剣を引き抜いた。

 べっとりと血糊がついた鉈と剣を拭いつつ、声の主を見る。

 そこにいたのは機械種マキナータの女だった。

 白と黒の有機金属のボディを持ち、大きな赤いツイン・アイには人間らしい感情がないが、それでもなんとなくその表情はわかる不思議な印象を抱かせる。


 人間度合いでいえば体の骨格だけで、それ以外はほぼ機巧からくり。ただ、銀色の髪の毛を模したヘッドパーツや、豊かな胸元など人間らしい特徴もあった。

 服装は青色の修道服とエメラルドグリーンの軽鎧を合わせた武装神官のそれ。手にした弓で幻獣を仕留めたのだろう、それを背負って五芒星を切っている。どうやら敬虔な聖五芒星教信者らしい。格好からしても、本職の聖職者だろう。


 マキナータ——数ある種族の中でも一際異質な種族である。

 それでもこの世界に息づく命として受け入れられ、当たり前のように暮らしていた。一見すればまさに金属でできたカラクリだが、ああ見えて生身の種族と子を成すこともできる。


「助かったよ……。俺はライネル・グレンデル。ライネルでいい」

「グレンデル……?」

「どうかしたか……?」

「ああ、いえ。すみません。通りがけでしたので。ベルナ・スカイハートといいます。好きなように呼んでください、ライネル様」


 様、という敬称にむず痒さを感じる。


「礼をしたいのは山々だけど、今急ぎでさ。……そうだ、通りがけついでってわけじゃないが、もう一つ頼まれてくれていいかな」

「なんでしょう?」

「俺の師匠を、一緒に看取ってほしい」


 ライネルはある意味では己に言い聞かせるようにそう言った。ベルナは一瞬目を見開いたものの、すぐに事情を察して頷いた。


「わかりました」

「助かる」


 ここまで素直な子も珍しい。それと同時に、危ういなと思った。


「俺がいうのもアレだが、もうちょい人を疑った方がいいんじゃないか?」

「ライネル様は嘘をつけるほど器用には見えませんでしたから」

「……褒められている、と受け取っておこうかな」

「そうしてください。これでも神官ですからね。人を見る目は養っているつもりですよ」


 そりゃあそうか、と思った。それにライネルが嘘をつけるほど器用じゃないことは事実である。昔から隠し事が下手くそで、家のお菓子のつまみ食いとかイタズラとか、全部師匠に証拠を見抜かれるよりも前に、自分の行動や言動、顔色でバレたりしていた。

 ライネルは肩をすくめつつ、剣を見た。


「ち」


 やはり、芯が曲がっている。表面の焼き入れ鋼も欠けており、やはり一般素材の武具は幻獣素材の武具には敵わないと思った。対人戦では十分な威力は出せても、強靭な幻獣を倒すにはイマイチ足りない。

 ライネルはちらとベルナの弓を見た。するとそれは法力による身体強化を前提とした、幻獣素材の頑丈な弦と弓柄の大弓であった。ライネルはなんとなく格の違いを見せつけられたようで、ため息をつきたくなったが我慢する。それはあまりにも情けないし、惨めだ。

 それはともかくとして、ライネルは指笛を鳴らした。すると先んじて隠れていたヘルガが現れる。


「無事か? よし。どうどう、こっちは神官だ。お前の嫌いな医者じゃない。薬を守ってくれたんだな」

「ぶるる」

「さすがだ。早いところ戻ろう」

「ぶるるっ」


 ライネルと愛馬の幻獣のやり取りを前に、ヘルガは己の目に自信を持ち直した。

 やはりこの青年は心根のまっすぐなものだ。でなければ、扱いの難しい快馬をここまで手懐けることはできない。

 と、ぽつぽつと雨が降り始めた。

 ライネルは鼻を引くつかせた。湿度が高い、濃い雨の匂いだ。経験でわかる。これは本降りになる雨だろう。


「悪い、日も暮れるし急ごう。せめて神のしもべに看取ってほしいんだ」

「ええ、わかりました。神官として、見送らせていただきます」



第2話



「ジジイ、帰ったぞ」


 ライネルは森の麓にある家に入り、傲岸不遜にそう言った。外はすっかり本降りの雨である。

 その家は一階建てのこぢんまりとした木造家屋で、それでも意外なほどしっかりした作りをしている。

 玄関のすぐそばに水瓶とキッチンがあり、石灰岩のかまどがある。その奥に居間があるのだが、そこには一本の魔導ろうそくが灯っていた。

 青白い炎に照らされて、一人の老人が何かを描いている。

 老人は、ヒューマン族であるライネルとは違う種族だった。獣人種セリオン犬人族けんじんぞくの老爺だ。焦茶色の犬耳と尻尾を持つが、その毛並みは老いと寿命による乱れが目立つ。


「遅いぞ小僧。危うくぽっくり逝くところだった」

「冗談でも、やめろ。薬買ってきた。飯を食って——」

「小僧、冗談を止めるのはお前の方だ。儂の先が見えていることは自分がようわかっとる。だからこその準備だ。そっちのマキナータの神官のお嬢さんだって……お前だってわかっているんじゃないのか?」

「それは……でも、だからってそんなこと」


 ベルナは間に入れない居づらさを感じていたが、顔には出さなかった。人死にに近い仕事だ。こういう現場は何度も経験している。


「すまん。だが、儂には最期に一仕事残されておるのだ。ライネル、お前とて無関係ではない」


 ランディールその人である宿老は、手にした札を床に押し付け、「星空の玉座におわす我ら天なる女神ステラミラよ、その御霊の星にて道を照しませ」と呪文を唱える。

 魔術というよりは法術に近いそれを行使すると、床板がボコボコと起き上がって、地下室への階段が出来上がった。


「小僧、お前は己のルーツを知りたいと言っていたな」

「ああ」


 ライネルははっきりと頷いた。

 遺児であったライネルは当時各地を放浪していたランディールに拾われ、今日この日まで育てられ、共に暮らしてきた。ライネルは独り立ちの準備として彼から剣技を中心とした技術を学び、師と仰いできたのだ。

 けれどその日々の中で、ライネルは都度自分の生まれ故郷を知りたい、出生を知りたいと口にしていた。

 きっとランディールも困っただろう。そんなことわかっていれば教えている、と突っぱねたかったに違いない。それをしなかったのは、無邪気に親よ師匠よと慕うライネルを、それこそ息子のように愛していたからに違いない。


「地下に、旅道具を用意しておいた。シンカ村へ行け」

「シンカ村……? ベルナ、知ってるか?」

「ええ……はい。近年地盤沈下があり、そこに遺跡が見つかったとされる村ですよね。王立書士隊の調査では、損壊のひどい遺品と壁画を確認したのみで、史跡としての価値は低い、と」


 機巧特有の、金属質な響きのある声で返した。

 ベルナの高くもなく低くもない声は、不思議と落ち着きをもたらす。


「博識なお嬢さんだ。その通り。儂がライネル、お前を拾ったときも近くに同じように評価された遺跡があるのを覚えていてな。よもや関連があるのではないかと疑ったのだ。行ってみる価値は、あると思う」


 ランディールは確信に満ちた目で、そう言った。ライネルもここまで力強く言われては否定のしようがないと思っていたし、なにより有力な手がかりが現状これだけなので、頷くよりほかなかった。

 師匠は喘鳴を漏らしてその場に手をついた。ライネルとベルナが駆け寄って大人しく寝かせ、ベルナはすぐに法術を発動する。薄緑色に発光する両手を、呼吸を助けるように肺の辺りに持っていく。


「儂の人生は過ちの連続……さもそれを補填するように子供を拾った……生意気ばかり言う小僧だったが……まあ、最後の二十年は……楽しい方だった。お嬢さん、老人の戯言と思って頼まれてくれ。あいつの旅を、少し、支えてほしい」

「お任せを。神官としての役目を果たします」


 ランディールの目が泳ぎ、焦点が定まっていないことがわかった。ややあって、如何なる超常の力かはっきりとライネルを見据える。

 彼は今際の際で、最愛の息子をはっきりと見つめたのだ。


「生きろ、懸命に。……ライネル、我が息子よ。先に、空の少し上に……いっているぞ……」


 目をゆっくり閉ざし、ランディールはそれっきり喋ることも呼吸をすることも、身じろぐこともなかった。

 治療術を解いたベルナが、「旅立たれました」と言った。

 ライネルは目をぎゅっとつぶり、言葉にならない声を漏らして、それから少し天を仰いで大きな震える息を吐いた。

 色々な感情が胸に去来し、上手く言葉にできないものが渦巻いている。けれど師匠がああ言ってくれた手前、無様に泣き喚くことはすまいと思っていた。

 しばし感情を整理しようとその場で立ち上がって、家の中をぐるぐるぐるぐる歩き回って、水瓶から冷えた水を汲んで飲み込み、それから深呼吸をしてようやく少し落ち着いた。


「先に地下室を見よう。その後穴を掘って、葬る。ベルナ、悪い。こんなことにまで付き合わせて」

「いえ。神官の勤めですから」


 ベルナは嫌な顔ひとつせずそう言った。ライネルはその心意気とプロ意識に有難く思いながら、ランディールが封印していた地下への入り口の前に立つ。

 下に伸びる階段に足をかけると、土埃が舞った。口元を巻いていたマフラーで覆って前に進む。光がささぬ射干玉ぬばたまの闇の中、ライネルは暗闇に目を慣らして夜目を効かせて進んでいく。

 後ろからベルナが法術で発光球を生み出し、照してくれた。「ありがとう」と感謝して、前に進む。


 人が一人、ある程度の余裕を持って歩ける通路の広さだ。人が二人並ぶと、通行は難しくなるだろう。

 ライネルたちが最奥部に行き着いた。そこには小部屋があり、チェストがひとつ置いてある。


「魔道具ですね。恐らく、中身の保存状態を保つ箱かと」

「開けてみよう」


 ライネルはチェストの蓋に指をかけ、オープンした。

 その中にはリュックサックが一つと、剣が一振り、そして保存食の類が入っていた。


「旅道具……ですね。どれも使い込まれています。お師匠様のものでしょうか」

「……これが俺への最後の贈り物なんだな。有難くもらっていこう」


 ライネルは保存食やら細々としたサバイバル用品をリュックに詰め、ウエストポーチを巻いてリュックを背負った。それから一振り置いてある剣を掴む。

 それは一般素材武具ではなく、幻獣素材武具だった。

 竜鉱石ドラグライトとヴァルガオウガの毛皮、爪を使用した剣である。ドラグライトの刃だけでなく、爪を加工した鋸状の刃が特徴的だった。刀身はやや内反りで、力で切りつけて引き切るという使い方をするようだ。


「そういえばこれ、俺が今まで持ち帰ってた素材だ……師匠は村に行って、加工してもらってたのかな」

「きっとそうです。いつか弟子であるライネル様に贈るつもりだったんですよ」

「……もっと早く言ってくれれば、こいつで活躍するところを見せられたのにな。……いや、女神様のところで見ててくれるか」


 ライネルは鞘を腰に差し、そこに剣を収めた。スリット状に刃の部分が開けてあり、鋸状の爪が引っかからないようになっていた。

 机の上の地図を丸めてリュックに入れ、寝袋をリュックに括り付ける。それから宝箱の奥にあった水袋を取り出した。


「上に戻ろう」

「ええ、そうしましょう」


 ライネルたちは上に戻った。それから水瓶の水を水袋に入れ、リュックに結びつける。家の酒を別の水袋に入れ、それを腰に結んだ。

 家に帰ることは、きっと当分あるまい。師匠に五芒星を切ってから食料をろうを塗って油染みをなくした紙に包み、麻袋に入れていく。それをベルナに頼んで愛馬ヘルガに積んでもらい、ライネルはシャベルを掴んで庭に穴を掘り始めた。

 掘り返されぬように毒花のそばに深い穴を掘り、汗を拭ってシャベルを置いた。

 ライネルは家に戻り、師匠の前に立った。つい昨日までかくしゃくとしていた老師も、今朝方容態が急変した。咳が止まらず、派手に喀血かっけつしたのである。ライネルは付け焼き刃、無駄なこととわかっていたがそれでも己の感情を止められず薬を買い求めた。

 そんなことをしている暇があれば、もっと色々話せただろうに。


 ライネルは首を振ってランディールを抱き抱え、庭に出た。掘り起こした穴に師父を入れ、土を被せる。涙が出そうになったが必死に堪え、土を被せ続けた。

 立派な墓標は、今は用意してやれない。しかしこの家自体が墓標として、ライネルは心に刻んだ。

 そして芯が曲がってしまった剣を最後に土へ突き刺し、スコップを傍に置く。

 見守っていたライネルが爬虫類の目をその剣に向け、やはり静かに五芒星を切るのだった。


 ライネルはことを終えると、「いきなりこんなことを言われても困るだろうが、今日は家で休んでいってくれ」と言った。

 ベルナは神官とて女だ。男とひとつ屋根の下というのは抵抗があるだろう。それでも彼女はライネルが悪さをする男ではないと信じ、「お言葉に甘えます」と頷いた。


 それからライネルは手早く食べられるものをと思って、日持ちしないベーコンとキノコを刻んだ麦粥を作り、ベルナに振る舞った。


「ベルナ、さっきの話なんだけど」

「なんでしょう」

「俺の旅についてきてくれるっていうのは、どうしてだ?」

「そうですね……ある程度利己的な話をした方が、信頼されやすいですか。私は巡礼の途中ですので、旅自体に反対はないんです。むしろ危険な幻獣との戦いにおける戦力や、旅の助けが増えてありがたいとすら思っておりますし」

「なるほどな、納得のいく答えだ」


 ある程度打算的な方が信頼できてしまう——というのは、人としてあまりにも冷たいのかもしれないが、それでもそれが現実だ。どうしようもない習性のようなものである。


 ややあって麦粥を食べ終わったライネルは、ベルナを居間に寝かせて自分はキッチンの方で寝袋にくるまった。

 そうして人の目がなくなった時、ライネルは一人、少しだけ啜り泣いた。



第3話



 翌朝、ライネルはランディールの墓の前でベルナと共に五芒星を切り、黙祷を捧げた。それから一言「言ってきます」とだけ口にして、それ以降は振り返らず愛馬のヘルガに跨る。

 ベルナがかちで側面を歩き、ライネルは森を出て街道に入る。昨日戦ったヴァルガオウガについては、あのあと素材をしっかり剥いで近くの森に埋めた。今頃は虫や小動物、あるいは狐なんかがその死肉を喰らっているだろう。

 朝日が東から登ってくる。正確には、東南東から。


「冒険日和ですね」

「そうだな。シンカ村は街道沿いに西へ行けばいいんだよな」

「ええ、そうです。西へ行けば一日足らずでつきます」


 ライネルはシンカ村がそんなに近くにあることを知らなかった。意外なほどに近隣に、遺跡がある村が存在するなど気にする余裕もなかったのだ。

 ただ、ライネルは自分が幻獣狩りや山賊退治に行っている間、ランディールが調べ物をしていることは知っていた。よもやそれがライネルが前々から言っていた自分探しに関することだとは思いもしなかったが。


「ランディール様は、どういった方なのですか?」


 ベルナがそう聞いてきた。有機金属に覆われた体が朝日を滑らせ、艶やかに煌めく。機巧人形と人の相子のような彼女は、純人種ヒューマンにも獣人種セリオンにも、精霊人種エルフにもない魅力を感じる。虫人種エントマとも、海人種マリンズにもない——まして竜人種ドラグオンにも感じられない、摩訶不思議な未知の世界を、運命を知っているような、そんな目をしていた。

 そんな目で質問されると、ライネルは不思議と自然に答えを口にしていた。


「育ての親で、師匠で、友だちだった。昔は王国騎士団の騎士だったらしい。剣だけじゃなくて魔術にも明るい爺さんで、でも詳しくは教えてもらってない」


 よくよく考えれば一国の騎士だ。世間体を考えろと結婚を迫られ、世帯を持っていてもおかしくない。

 ランディールは過去をあまり語らなかった。聞いても、それとなく誤魔化される。


「ライネル様は、ずっとここに?」

「うん。この辺で修行してた。本当はもう少し早く旅に出るつもりだったけど、師匠が体を悪くしたからな。面倒見てくれる人にあてもなかったし、俺も恩があったからそれを返したかった」

「そういうことだったのですね」

「ベルナは? 巡礼って聞いたけど」


 質問すると、ベルナはええ、と答えて、


「武装神官としての修行も兼ねています。各地を巡って様々な体験をせよと、教区司教からおおせつかったのです。本来供をつけるのですが、残念ながら過酷な旅についていけず、雇った傭兵は去っていきました」

「金の切れ目が縁の切れ目っていうし、傭兵なんてまさにそうだよな」

「ええ。ですが薄情者とは言えませんね。彼らも商売ですから」


 神官だから言葉を選ぶのか、それとも彼女が本来的に優しいからソフトな言葉選びなのか——恐らく、その両方だろう。ライネルは神職も大変だと思いながら、愛馬の首筋を撫でる。

 話をしながら比較的安全な街道を西へ数時間移動する。途中、塩漬けベーコンと堅焼きパンの昼食を摂って一時間ほど休憩を挟み、それからすぐに出発した。

 遠くから三時を告げる鐘の音が響いてくる頃、前方に廃れた村が見えてくる。


「あれがシンカ村……?」


 ライネルが呟くと、ベルナは「恐らく」と頷いた。


 森に半ば呑まれた村は、どこか神秘的な雰囲気を伴っていた。

 石材と木材と藁の家々が半壊し、崩れ、ツタに絡め取られている。幻獣の気配はなく、通常動物が散見された。野生化した家畜だろうか、牛や馬が草を食んでおり、リスなどの小動物が家屋の塀の上を走っている。

 ライネルは愛馬から降りて、ヘルガに待機を命じた。彼女はぶるる、と鳴いて了解の意を示す。


 遺跡を探さねば——ライネルはそう思ってベルナと共に周囲を探った。すると誰のものかわからない、旅装備を備えたもう一頭のゾイロスがいた。

 穏やかな目でこちらを見つめ、敵意を見せてくることはない。我関せずというか、泰然自若とした快馬だった。

 いずれにしても先客がいるのだと気付かされ、ライネルは息を呑む。遺跡に来るものといえば大抵は考古学者なのだろうが、盗掘者という線もありうる。

 ライネルはゾイロスの周辺を探って足跡を探した。うっすらと、それらしきものがある。昨日降った雨で地面がぬかるんでおり、靴底が残っていた。

 足のサイズは大きく、ぬかるみの沈み込みも深い。体重の重い、装備を着込んだ男か、そうでなければ相当に大柄な女だ。


「ベルナ、警戒してくれ。盗掘者かもしれない。一応交渉はするが、襲いかかってきたら……」

「自衛ですね。迷える魂には速やかな救済というのが、ステラミラ様の教えです」


 ライネルはこくりと頷き、足跡を追った。

 すると目の前に地層の断層が露わになる。地盤沈下——ここら一帯が沈んだ側だったのだろうか。蔦と苔に覆われ、汚損と破損が目立つ石造りの建造物がそこにある。

 地下遺跡だろう。天井は十メートル、横幅も十メートルあるかなり巨大な通路がぽっかり口を開けていた。

 その入り口に、漆黒の鎧を着込んだ男が立っている。金色の差し色がアクセントになったその鎧を着込んでいるのは、獣人種セリオン——それも半獣人種セレマと呼ばれる獣の血が強い、黒毛の狼人族ろうじんぞくであった。


「こんなところに客とはな。史跡探索か? 関心関心」


 男は野太い声でそう言って、にこやかに口角を持ち上げた。狼特有の、野生味ある笑みだ。獰猛というよりは不思議な愛嬌のある笑顔である。

 一見して悪人ではないことは知れた。しかし、警戒は解かない。


「……あんたは?」

「名を聞くのなら自分から名乗るのが礼儀だぞ青年。そちらの機械種マキナータのお嬢さんは神官かな」

「ライネル・グレンデル。旅人だ」

「ベルナ・スカイハート。武装神官です」


 男は言葉を耳に入れ、咀嚼するように頷いてから、


「俺はガレブ・ハルナ。ハンターだ」

「てことは、猟胞団りょうほうだんの依頼でここに来たのか?」

「いや、個人的な用事だ。四半世紀ほど前からこういうよくわからん遺跡が各地に飛び出ていてな。親父が王立書士隊というのもあり興味が湧いたんだ。休暇を使って実際に見に来た。お前らは?」


 ベルナは「怪しい方ではありませんね」と呟き、ライネルもそれには同意だったので小さく頷き、


「実は……」


 ライネルはそれまでのあらましを説明した。体感にして十分ほど、少々早口に説明した。ライネルは早く遺跡を見て、自分のルーツについて知りたかったのだ。

 ガレブと名乗った黒狼の半獣人は太い腕を組んで、「なるほどな」と頷く。


「大人として放置するのも間違っているだろう。どうだ、よかったら一緒に遺跡探索をしないか? ここに危険な幻獣が住み着いていないとも限らんし、場合によっては機巧兵ミカニオンに襲われる危険性もある」


 ミカニオンとは古代人が生み出した機巧からくり仕掛けの自動人形だ。余談だが、そのミカニオンが魔力によってヒト化したものが機械種マキナータという機械系人種である。

 マキナータは確かにその全身を金属で覆っているが、それらは人体の生身の細胞に似た構造を持ち、分裂と成長を繰り返す有機金属である。心を持ち、男女で精巣と卵巣を持ち、生殖ができる。物も食べるし、排泄もするのだ。


「そうだな、一緒に行動した方がいいかも知れない。ガレブさん、よろしくお願いします」

「敬称はいらん、ライネル。お前たち、実戦経験は」

「俺は本格的に幻獣と戦い始めて一年ちょい。猟胞団のハンターズランクでいえば、せいぜいⅡくらいだよ」

「私は三年ほど」

「ほぼほぼ初心者と駆け出しってところか。安心しろ、俺はこの道二十年のベテランだ」


 それは心強い。

 ガレブは背負った両手剣を見せ、男臭く笑って見せた。


「さあ行こうか。って、俺が仕切るってのもあれだな」

「いや、大丈夫。ガレブに先導してもらえると嬉しい」

「私は後方の警戒を担当しますね」


 ライネルの提案に、ガレブはこくりと頷いた。


「よし、遭遇戦に備えて、予め強化術をかけておこう」


 その提案に、ライネルたちは魔力を丹田に練り、強化術を発動した。

 さてもいよいよ遺跡探索である。

 ここに何か手掛かりがあると信じ、ライネルはまなじりを決した。

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ボツ原稿供養:擬竜のヴェルシグネルセ 橘寝蕾花(きつねらいか) @RaikaRRRR89

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