SS:絵師として異世界転移する冒頭のやつ
橘寝蕾花(きつねらいか)
本編
クロッキー帳の薄い紙に走らせていたボールペンが止まった。
ジェスドロ——ジェスチャードローイングで描いた棒人間にほんのり肉付けしたような骨格人形が、いくつも並んでいる。けれどどこかバランスが崩れている気がして、
築四十年のボロアパート。初めてここにきたときは、将来のトキワ荘だ——などと息巻いていた。あの超有名イラストレーターの下積み時代⁉︎ なんて特集が組まれる未来を無邪気に信じていた。
しかし実際は五年経ってもうだつの上がらない底辺絵師。SNSは積極的な広報や交流をしていないとはいえ、コンスタントにイラストをアップロードしてもフォロワーは百もいかない。
絵師が自分からフォローすべきではない、なんてプライドのせいもあるかもしれないが——。
「はぁ……諦めた方がいいのかな」
イオリはデスクに置いてあったエナジードリンクを呷った。嫌に甘い、炭酸の抜け切った生ぬるいそれが喉を滑っていく。
人体モデルをランダムで表示していたサイトをスクロールした。何気なく目を通していると、右脇に妙なバナーが出ていた。
それはクトゥルー神話のエルダーサインのようにも見える青い星のマークだ。何かの宗教だろうか? 普段なら一顧だにしないものだが、イオリは神にも縋りたくてそれをクリックした。
直後——、
「うわっ!」
爆発的な光がモニターから溢れ出し、イオリの視界を焼いた。
視界だけでなく、意識まで焼かれていく——そう思った直後、景色が黒くブラックアウトした。
×
小鳥の
イオリはハッとして目を開けた。
右を見る。左を見る。仰向けで眠っていた自分は今、白亜の神殿のような客間にいる。
屋根が半分取っ払われ、雲と同じ高さにあるのか空に浮かんでいるのか、とにかく幻想的な場所。VRチャットに接続した覚えはないし、それにしてはワールドの解像度がやけにリアルだ。
「おはようございます」
後ろから、耳たぶを優しく擦るような声がした。
「うわっ」
実際、その女性はイオリの耳元で囁いていた。美しい金髪の、天使と見紛う女性。白いローブの布を体に巻き付け、目の毒なほどに豊満な体を覆っている。
光輪と羽はないが、あればお迎えが来たのかと思ってしまうだろう。
「あなたは……?」
「
「せい、れい……? ……天使さんってこと?」
「まあ、表現として近いのはそれですね。無論、一般の天使よりは階級はずっと上ですが」
めんどくさい天使だと思ったが、顔には出さない。
「俺——僕はどうなったんですか?」
「異世界転移プログラムの抽選に当たったんです。押したでしょう、青い五芒星」
「……あ」
あれか! とイオリは大声で言いそうになり、口を覆った。
こういう神聖な場で、大声は禁物である。イラストレーターは同時にビジネスマンだ。お作法は守らねば、案件をもらえなくなる。
「ふふ……。現世に戻りたければ、戻して差し上げます。よその世界の女神と違い、我らがステラミラ様は非常に慈悲深いのです! そんなステラミラ様から叱られたいと思うのもまた——おほん」
「好きなんですね、神様のこと」
「当たり前です。それで、戻られますか?」
——お前に画家なんて無理だ。大学に行け。才能なんてない。
——お母さんだって世間体ってもんがあんのよ。いい歳してなにフリーターなんてしてんの!
両親の言葉が甦る。最も全うで、反論の余地などない正論。それゆえに噛みついて反抗し、ほとんど意地で上京した。
イオリはそれまでの人生で、何度か認められる場面はあった。絵が評価されたこともある。小学校で金賞を取ったこともある。
それでもやはり、大人になるにつれ馬鹿にされることが増えた。
努力が結実しない、時間の無駄ではないか——そんな焦燥と未来への恐怖がどんどん募る。
「異世界には、画家という職業はありますか」
「あります。もっぱら、絵師と呼ばれますね」
イオリは考えた。現世で努力を続ければいつか本当にイラストレーターになれるかもしれない。
しかしその現実的な確率は天文学的に遠いものだ。文字通り星を掴むような話である。
新天地でやり直すか——イオリはその後もたっぷり三十分ほど考えあぐねた。天使はじっと待っている。
やがて、イオリは決断した。
「異世界に行きます」
「わかりました。最終確認ですが、現世に戻れないとしてもですか?」
「構いません」
「なかなか男気のある方ですね。それに思い切りもいい。でしたら少しサービスしてあげてもいいでしょう」
天使が右手を振った。すると、現世にもあるタブレット端末の、エレパッドのようなものが出てくる。イオリが普段使いしている十二・九インチよりも気持ち大きいくらいのものだ。
「マジックタブレットとでも呼んでください。インストールされているアプリは現在一つ。イラスト描画アプリのみです」
「マジックタブレット……」
「異世界といえば魔法——ステラミラ様の世界では魔導術と呼ばれていますが、魔力を帯びた道具を魔道具といいます。これもその一種」
「絵が魔導術になる……?」
「飲み込みが早いですね。その通り。あなたのこれまでの経験を抽出し、作り上げた魔道具です。神具とすら言えるでしょう。大切になさい」
天使がマジックタブレットを手渡してくる。それを受け取ると、ずっしり重い。しっかりとペンも付属している。
「ありがとうございます」
「いいえ。よその世界から人を招くときは慎重になるものですが、過度な力は自滅を招きます。努力と経験を抽出するくらいの力がちょうどいいのです。つまりそれは、今までのあなたの頑張りなのですよ」
思わぬ言葉に、イオリは言葉を詰まらせた。
何か言わねばと思うが、喉まで出かかった言葉は奥から伸びてくる腕に引きずり戻され、引っ込んでしまう。
「良いのです。あとは行動と結果で示しなさい。——転送を開始します」
天使がもう一度手を振った。するとイオリの体が光に包まれる。
「行きなさい。そして懸命に生きなさい。あなたが選んだ人生ですよ」
しかいがぼやける。イオリは最後に、口を開いた。
「ありがとうございます!」
それは、純粋な感謝だった。
これまでの努力を認めてくれたことに対する、ただただ純粋な——。
連載するかは未定です。需要があるかどうかのリサーチだと思ってください。
SS:絵師として異世界転移する冒頭のやつ 橘寝蕾花(きつねらいか) @RaikaRRRR89
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