BAND-MAID結成の経緯は小鳩が何度も話しています。
メイドをしていた小鳩は、可愛いメイドが好き、カッコいい音楽も好き、両方合わせたら素敵なものになるに違いないと思った。メイド服を着てロックをやりたい。けれど、一人では何もできないので、ネットでポコポコっと探したらギターの歌波を発見した。メールを送って誘うと乗ってきてくれた。ドラムもベースもいないと言ったら。歌波の知り合いの茜を紹介された。茜は知り合いのMISAを誘う。めでたく4人組バンドが出来上がった。しかし、ライブをやってみると小鳩の声が明るすぎるので、もっと重い声がほしい。それで同じ事務所にいた彩姫を誘うことに。メイド服のことを言うと拒否されると思ったので、ちょっと可愛い服を着るとだけ言って誘い、ライブ前日までメイド服のことを隠していた…
メイドをしていた小鳩は、可愛いメイドが好き、カッコいい音楽も好き、両方合わせたら素敵なものになるに違いないと思った。メイド服を着てロックをやりたい。けれど、一人では何もできないので、ネットでポコポコっと探したらギターの歌波を発見した。メールを送って誘うと乗ってきてくれた。ドラムもベースもいないと言ったら。歌波の知り合いの茜を紹介された。茜は知り合いのMISAを誘う。めでたく4人組バンドが出来上がった。しかし、ライブをやってみると小鳩の声が明るすぎるので、もっと重い声がほしい。それで同じ事務所にいた彩姫を誘うことに。メイド服のことを言うと拒否されると思ったので、ちょっと可愛い服を着るとだけ言って誘い、ライブ前日までメイド服のことを隠していた…
こんな風におもしろく話しています。
楽しいエピソードですが、多くの人は違和感も感じるでしょう。そんなに簡単にバンドが結成できるのか?そんなに簡単にデビューできるのか?練習は、曲はどうした?だいたい事務所というのが唐突ではないのか?いろんな疑問が湧くことでしょう。しかし、こういう場合、エピソードを面白くするため多少の脚色はするでしょう。細かいところを突っ込んで、ケチをつけるのは野暮というもんです。ファンなら素直に楽しめばいい。
しかし、こんなものがあります。
これは2013年5月29日にAudition & Debut というサイトに掲載された告知です。
プラチナムパスポートがBAND-MAIDのコンセプトを明らかにした上で、正式にメンバー募集をしています。この段階でBAND-MAIDのロゴも出来ています。これでは小鳩の話と整合性がとれせん。それも細部ではなく本質的に違います。全ては事務所のお膳立てによるもので、小鳩の話す誕生秘話も、事務所が用意したストーリーである、そう考えた方が分かりやすい。すなわちBAND-MAID誕生秘話シナリオ説である。
つまり、BAND-MAIDの正体は、芸能事務所が作りあげた変わり種アイドルバンドということになる。現在のハードロックバンドでの成功は、偶然ということです。
プラチナムパスポートがBAND-MAIDのコンセプトを明らかにした上で、正式にメンバー募集をしています。この段階でBAND-MAIDのロゴも出来ています。これでは小鳩の話と整合性がとれせん。それも細部ではなく本質的に違います。全ては事務所のお膳立てによるもので、小鳩の話す誕生秘話も、事務所が用意したストーリーである、そう考えた方が分かりやすい。すなわちBAND-MAID誕生秘話シナリオ説である。
つまり、BAND-MAIDの正体は、芸能事務所が作りあげた変わり種アイドルバンドということになる。現在のハードロックバンドでの成功は、偶然ということです。
音楽はその音そのもので評価されるべきで、その背景は重要ではありません。BAND-MAIDの音楽が最高ならば、それでいいわけです。BAND-MAIDが何者であれ、彼女たちが生み出すハードロックの価値は変わりません。
しかし、現実のBAND-MAIDのファンは、そんなに割り切って考えられないでしょう。このオーディション告知はどういうことなのか?真実が知りたいはずです。BAND-MAIDの大ファンである私も同じ気持ちです。そこで、私なりに調べてみました。
しかし、現実のBAND-MAIDのファンは、そんなに割り切って考えられないでしょう。このオーディション告知はどういうことなのか?真実が知りたいはずです。BAND-MAIDの大ファンである私も同じ気持ちです。そこで、私なりに調べてみました。
私は関係者ではありませんので、断片的な情報しか知りません。とりあえず分かっている事実に則して時系列で並べてみましょう。
まずは、小鳩がリル・クミンのアイドルだった頃から始めます。
小鳩はシュア・ショット・エンターテインメント所属のアイドルとして、約一年間リル・クミンの野口みかとして活動しました。典型的な地下アイドルで、ミュージシャンではありません。
2013年3月30日に突然リル・クミンの解散を発表します。そして、2週間後の4月13日に解散しました。事務所側はリル・クミンを続けるつもりだったでしょう。3月1日に3rdシングルも発売したし、至近のライブ予定も発表していました。この突然の解散はメンバー側からの強い要望だったと想像します。解散ライブができたのですから、とりあえず話しはついたと思われます。
シュア・ショット・エンタテイメント合同会社の社長はポニーキャニオン、Universal Music などで働いていたが、アイドル好きが昂じて自分でアイドルのプロデュースを始めたということです。おそらくリル・クミンが最初のタレントだと思う。プラチナムとの接点は発見できません。
2012-06-03 @亀戸サンストリート
オトメ☆コーポレーション シングル「事業計画」リリースイベント 第1部
オトメ☆コーポレーション シングル「事業計画」リリースイベント 第1部
小鳩はプラチナム・パスポートに履歴書を送ったそうです。
プラチナム・パスポートはプラチナム・プロダクションの子会社ですが、バンドなどの音楽事業が主体です。いわゆるタレントの個別マネージメントはしてない。小鳩はアイドルではなく歌手になりたかったと言っています。ミュージシャンになりたかったのでしょう。
めでたく面接に呼ばれました。どうやら社長と直接面談したようです。小鳩は東京事変が好き、カッコいい音楽をやりたい、メイドが好き、そんな話をしたようです。その中でBAND-MAIDのイメージが出てきたようです。最初から小鳩にBAND-MAIDの構想があって、売り込んだわけではないようです。そしてギャップ萌えのコンセプトが生まれたのでしょう。メイドとロックの組み合わせは、それまでもなかったわけではありません(SAKIがいたmixxなど)。しかし、BAND-MAIDには「ギャップ萌え」という核となるコンセプトがありました。この違いは大きいと思います。全てに一貫性と必然性が生まれます。存在が明確になりブレません。
小鳩は採用され、計画は社長に承認されました。こうしてBAND-MAIDの実現に向けて本格始動します。
担当マネージャーが決まれば即始動です。マネージャーは小鳩と相談しながら、イメージを固めていきます。そして今後のことを相談したでしょう。小鳩は核となるメンバーです。
BAND-MAIDをどのようにプロデュースしていくのか。
プラチナム・バスポート所属で人気があったPASSPO☆などは、ユニット結成時から様々なイベントにしていました。満を持してのデビューで、オリコン週間ランキング初登場1位になります。大成功しました。そんな成功体験があるのですから、アイドル小鳩を中心にしたメンバー集めをして、デビューさせる方法もあったはずです。しかし、そうはしなかった。小鳩自身がそれを望まず、本格ロックバンドを目指したのかもしれません。小鳩にもう一度アイドルをするつもりはなかったはずだからです。
プラチナム・パスポートは7月24日にPPBAND AUDITIONというオーディションを開催し、優勝者をマネージメントする予定でした。アイドルではない、本格的なバンドで何かしようという機運が高まっていた時期ではあるでしょう。
立ち上げは迅速でした。わずか3ヶ月で始動してます。
4月13日 リル・クミン解散
7月24日 初ライブ PPBAND AUDITIONのオープニングアクト
マネージャーはただちにメンバー集めをしました。普通ならメンバー選びは慎重に時間をかけてやりたいはずです。しかし、現実はそうではありませんでした。できるだけ早くメンバーを集めて、それも即戦力のバンドにしたかったのでしょう。そのために出来る事はなんでもします。その結果が先のメンバーオーディションの告知となるわけです。もちろん小鳩自身もメンバー探しをしていたようです。
4月13日 リル・クミン解散
7月24日 初ライブ PPBAND AUDITIONのオープニングアクト
マネージャーはただちにメンバー集めをしました。普通ならメンバー選びは慎重に時間をかけてやりたいはずです。しかし、現実はそうではありませんでした。できるだけ早くメンバーを集めて、それも即戦力のバンドにしたかったのでしょう。そのために出来る事はなんでもします。その結果が先のメンバーオーディションの告知となるわけです。もちろん小鳩自身もメンバー探しをしていたようです。
やがてネットで歌波を見つけます。
歌波はホンワカしたお嬢様という感じですが、実際はずっとしっかりした努力家です。小さい頃から音楽に親しんでいました。高校生の頃にギターに目覚め、ミュージシャンになりたいという強い意志を持ちました。高校生の頃は軽音部で L'Arc-en-Ciel などのコピーバンドをしていたようです。音楽学校に行きたかったそうですが、親の強い希望で神奈川の中堅私立大学へ進学します。学生のうちになんとかしたいと頑張っていたようです。
歌波はホンワカしたお嬢様という感じですが、実際はずっとしっかりした努力家です。小さい頃から音楽に親しんでいました。高校生の頃にギターに目覚め、ミュージシャンになりたいという強い意志を持ちました。高校生の頃は軽音部で L'Arc-en-Ciel などのコピーバンドをしていたようです。音楽学校に行きたかったそうですが、親の強い希望で神奈川の中堅私立大学へ進学します。学生のうちになんとかしたいと頑張っていたようです。
大学時代はミュージシャンへの道を模索して、精力的に活動していたようです。とにかく色々とやっています。バンド活動(makeshift、K&Liberty)、シンガーソングライター、コンテストやオーディションへの参加、レコード会社等への売り込み、バンドのメンバー募集、ニコ動やYouTubeでの弾いてみた動画公開、ギターでのサポート演奏など色々やっています。自己紹介では作曲していると書きます。当初から作曲家指向が強かったようです。SNSで、コミュニティで、ブログで、いくつものIDを駆使してコミュニケーションしています。しかし、今は何も残ってません。その痕跡がわずかに残っているだけです。
LoVendoЯのオーディションにも参加した形跡があります。ギタリストとしてのオーディションでしょう。だとするならライバルは魚住有希や宮澤茉凜と言うことになります。手強いですね。
画質が悪いですが、右上のショートカットの女性が歌波のようです。
makeshiftはどんな音楽をやってたのでしょう?何も分かりません。
12月にはK&Libertyというバンドでギターを弾いているようです。
ギター雑誌PlayerのMoveOn12というコンテストに応募しています。2012年03月04日までの到着分として掲載されています。残念ながら音源はすでにありません。
コンテストに出るときは基本的にバンド形式だったそうです。レコード会社にもバンド形式でデモを送っていたとのことです。かなりの才能と人脈、そして情熱がなければ、ここまで出来ません。茜がドラムで参加することもあったようです。
次はニコニコミュニティの歌波のページです。
動画が5本ほどアップされてたようです。オリジナルで「キエタ」という曲があります。大切な人が突然いなくなった時に作った悲しい曲だそうです。残念ながら今は聞けません。これらはYouTubeでも公開されていました。
5月17日渋谷RICKでライブと記載されてます。天下一音楽会 東京ブロックF 第2回戦のようです。KANAMI はシンガーソングライターとして参加し、3位で通過しました。上位4組が3回戦進出です。ただし、3回戦には出場していません。その日は6月13日だったので、すでにBAND-MAIDの一員となっています。それにあまり評判の良いイベントではありませんでした。このイベントは観客の投票で順位が決まるので、結局は動員合戦になってたようです。その当時の歌波にも動員力があったのかもしれません。
2013年06月20日付けで弾いてみた動画がアップされている。こちらも音源はすでにありません。
これは歌波が自発的に載せたものではなく、ギターレーダー側が載せたものかもしれません。この時はすでにBAND-MAID入りが決まっていますし、コンテンツがちょっと古いです。ただ、写真をよく見ると絶対領域があります。歌波の趣味がうかがわれる画像なのでとりあげました。つまり、BAND-MAIDでの衣装は、歌波本人の趣味と言うことです。
マネージャーが弾いてみた動画で歌波を発見し、小鳩と相談のうえ、コンタクトしたということです。歌波も当初はとても怪しんでいたということです。
歌波は事務所に出向きます。おそらく2013年5月28日のことだと思います。詳しい話を聞いて、やりたいと即断したようです。デモ曲がかっこよくて気に入ったそうです。メイド服は嫌いではなかった。高校時代のバンドではメイド服も着ていたそうですから、なんの問題もありません。シンガーソングライターをしていましたが、ギターに専念したい気持ちがあったとのこと。どうしてもプロになりたい歌波に断る理由はありません。この当時の歌波は大学4年生だと思う。つまりBAND-MAIDの最初の半年くらいは学校に通いながらということになる。
歌波のシンガーソングライターとしての最後の対バンライブが2013年7月8日の新宿SACT!でありました。
こんな出で立ちもしてたようです。髪はウィッグだそうです。
歌波は事務所を後にすると、すぐに茜に電話をして話を持ちかけます。茜とは対バンなどを通じてすでに知り合いでした。当初、茜は乗り気ではなかった。ガールズバンドにいい印象がなかったようです。ガールズバンドはすぐに脱退・解散すると感じていたようです。メイド服にも抵抗があった。しかしデモ曲がとても気に入りました。すると気持ちが一気に前向きになり、見かけとやることが違う、いわゆるギャップ萌えが面白いと思ったようです。
その頃の茜はサポートミュージシャンをしており、バンドがなかなか組めない苦しい時期だったようです。思うようにいかず、ドラムが嫌になりかけていたともいう。アニメを演奏するバンドとか、趣味的なものはあったようです。
茜がかつて在籍していた 2012-01-28 解散
Live Style Bar -freecs- ウェイトレス兼ラウンジバンドのメンバーでした。
4年ほど勤めていたようです。最初からドラムを叩いていたわけではありません。
レパートリー600曲とか。2015年に閉店しました。
https://www.youtube.com/watch?v=tpl_Fg2_qdY
https://www.youtube.com/watch?v=tpl_Fg2_qdY
茜はMISAに電話をかけて誘います。東京スクールオブミュージック専門学校(2012年3月卒業)の同窓生です。ベッキーのサポートミュージシャンとして一緒に出演したこともあります。MISAもメイド服に抵抗があったようです。しかし、一晩考えてやる気になります。高2年の時から5年半続けていたバンドPROTOTYPE(2009~2013年)が解散するタイミングでした。その翌日、二日酔い状態で面接に行ったらしいです。デモ曲を気に入り、そうなると茜と同じようにギャップ萌えの面白さを感じたようです。TSM出身のガールズバンドHurtist(2012年10月解散)にも在籍していたようです。
7月3日にPROTOTYPEの解散ライブが下北沢ERAで行われました。
2013-06-07 PROTOTYPE LOVE EXPERIENCE 2 @渋谷RUBYROOM
楽器隊の3人が揃いましたが、オーディションのようなことをしてます。
2013-06-05 リハーサル終了
この画像の茜によるキャプションはリハーサル終了とあります。
この日は演奏力を確かめるプラチナムのオーディションがあったはずです。そのためのリハーサルなのでしょう。歌波の面接から8日後です。オーディションを前に余裕のようです。すぐに正式な採用決定が出たものと思われます。ただし、歌波は先に内定がでていたかもしれません。この重大な局面で、MISAはまたしても二日酔い状態だったようです。大物です。歌波とMISAが一緒に演奏するのも初めてだったようです。
今のBAND-MAIDは世界最高のハードロックバンドですが、その当時の彼女たちに今の姿が想像できるはずもありません。理想と違ったデビューになるので、思うところはあったようです。
これで4人が揃いました。
おつぽん@車系YouTuber(早乙女本子)が、BAND-MAIDに誘われたことがあるとツイートしています。
https://twitter.com/otupon1/status/1069671643855777792
ベースギタリストでもあり、弾いてみた動画などは昔から公開しています。本人の発言ですので尊重いたしますが、勘違いの可能性もあります。歌波とは以前から知り合いのようで、2012年の11月頃に、歌波がバンドへの加入を誘っています。これはBAND-MAID以前のことで関係ありません。しかし、BAND-MAIDのデビューが8ヶ月後ですから、おっぽんにすれば、それがBAND-MAIDへの勧誘だったと考えても無理はないでしょう。
余談ですが、彼女は2017年のYOSHIKI Lady's Xプロジェクトのオーディションに参加してました。
https://twitter.com/otupon1/status/1069671643855777792
ベースギタリストでもあり、弾いてみた動画などは昔から公開しています。本人の発言ですので尊重いたしますが、勘違いの可能性もあります。歌波とは以前から知り合いのようで、2012年の11月頃に、歌波がバンドへの加入を誘っています。これはBAND-MAID以前のことで関係ありません。しかし、BAND-MAIDのデビューが8ヶ月後ですから、おっぽんにすれば、それがBAND-MAIDへの勧誘だったと考えても無理はないでしょう。
余談ですが、彼女は2017年のYOSHIKI Lady's Xプロジェクトのオーディションに参加してました。
スケジュールを確認してみましょう。
4月13日 リル・クミン解散
4月13日 リル・クミン解散
5月中旬 小鳩が採用される。諸条件から推測しておそらくこの頃。直接的な証拠はありません
5月28日 歌波の面接
5月29日 BAND-MAIDのメンバー募集告知
6月05日 歌波、茜、MISAのオーディション
7月01日 PASSPO☆のライブで、BAND-MAIDがオープニングアクトとして出場すると告知
7月24日 初ライブ PPBAND AUDITIONのオープニングアクト
5月29日 BAND-MAIDのメンバー募集告知
6月05日 歌波、茜、MISAのオーディション
7月01日 PASSPO☆のライブで、BAND-MAIDがオープニングアクトとして出場すると告知
7月24日 初ライブ PPBAND AUDITIONのオープニングアクト
こうしてみると、メンバー募集の告知にはほとんど意味がなかったことになりますが、それは結果論でしょう。特別なプロジェクトではない、普通にバンドを作って売り出したいという事だったのでしょう。小鳩を中心にして、楽器の弾ける即戦力のメンバーが欲しかった。意外にも歌波から芋づる式にメンバーが集まったので、それでOKということです。
それにしても、バンドの立ち上げが順調に進みました。
プラチナムに新グループの立ち上げ構想はもともとあったのでしょう。そもそも、芸能プロダクションならば、新しい企画を常に考えているはずです。デビュー曲もストックしてあった曲から選んだとのこと。小鳩からの履歴書が来て、アイディアが具体化したのではないでしょうか。漠然とした企画が、小鳩を触媒にして、BAND-MAIDというハッキリした形になるわけです。立ち上げには小鳩の存在が決定的だったと思います。ですから、当初からプラチナムにBAND-MAID構想があり、それで小鳩をリクルートしたということはないはずです。ここらへんは微妙なものがあるかもしれません。
プラチナムに新グループの立ち上げ構想はもともとあったのでしょう。そもそも、芸能プロダクションならば、新しい企画を常に考えているはずです。デビュー曲もストックしてあった曲から選んだとのこと。小鳩からの履歴書が来て、アイディアが具体化したのではないでしょうか。漠然とした企画が、小鳩を触媒にして、BAND-MAIDというハッキリした形になるわけです。立ち上げには小鳩の存在が決定的だったと思います。ですから、当初からプラチナムにBAND-MAID構想があり、それで小鳩をリクルートしたということはないはずです。ここらへんは微妙なものがあるかもしれません。
タイミングが良かったのでしょう。小鳩は絶好のタイミングで履歴書を送ったのです。あとは奇跡が起こったと言うしかありません。奇跡なんて言葉をを使うのは反則ですが、なにせあの五人が集まったのですから、そう言いたくなる。
7月24日 PPBAND AUDITIONが大塚Deepaで行われ、そこで初お給仕となります。
PPBAND AUDITIONの正式名称は「 Platinum Passport BAND Audition 」です。プラチナムパスポート主催のオーディションです。優勝賞金10万円、専属契約というご褒美です。参加者募集は5月22日から始めています。このオープニングアクトとしてBAND-MAIDが出演しました。キャパ250の大塚Deepaで水曜の6時30分からの演奏ということになる。大々的なオーディションかと思ったら、そうでも無いようです。出演者はIV STORY、GrandStand、鳴ル銅鑼の3組以外わかりません。ドリンク代は必要だが入場無料です。第二回も開催すると告知されていましたが、開催されていないようです。現在活動しているのは鳴ル銅鑼だけです(2020-06現在)。
PPBAND AUDITIONの正式名称は「 Platinum Passport BAND Audition 」です。プラチナムパスポート主催のオーディションです。優勝賞金10万円、専属契約というご褒美です。参加者募集は5月22日から始めています。このオープニングアクトとしてBAND-MAIDが出演しました。キャパ250の大塚Deepaで水曜の6時30分からの演奏ということになる。大々的なオーディションかと思ったら、そうでも無いようです。出演者はIV STORY、GrandStand、鳴ル銅鑼の3組以外わかりません。ドリンク代は必要だが入場無料です。第二回も開催すると告知されていましたが、開催されていないようです。現在活動しているのは鳴ル銅鑼だけです(2020-06現在)。
小鳩は歌が好きだし、歌手としてトレーニングも積んできたと思います。自信もあったでしょう。しかし、これからのし上がってやるという、野心剥きだしのバンドの全力演奏を聞いて、思うところはあったはずです。実際の話、ライブハウスでドラムがガンガン叩き出すと、小鳩の歌では合わない部分があったと想像します。小鳩は3ヶ月前までリル・クミンのアイドルだったのです。目指すのは本物のロックバンドです。強力なボーカルの必要性を感じたと思う。
その後、8月13日と16日の2回、対バンで演奏しています。
その後、8月13日と16日の2回、対バンで演奏しています。
新たにボーカルを加えることになる。おそらく、マネージャーサイドから、ツインボーカルという形の提案があったのだと思います。マネージャーや阿久津健太郎(音楽プロデューサー的立場だったはず)の判断なのでしょう。5人体制の最初から小鳩がギターを下げていました。小鳩はギターが弾けません。軽い気持ちでギターを持ったということですが、その意味が分からない小鳩ではないでしょう。サイドボーカルになる覚悟はあったと思います。しかし、ひょっとすると、あこがれの椎名林檎を思い出し、あんなふうになりたいと単純に思った可能性もあります。ミントグリーンのデュセンバーグを提げて歌う姿は印象的でした。
プラチナムのグループ企業は一つのフロアに同居していたようです。プラチナム本体はたくさんのタレントを抱えていました。メンバーたちが練習場をこっそり覗くようなこともあったという。
新ボーカルを求めて社内オーディションをしたようです。阿久津健太郎によれば、オーディションをしたものの諦めかけてたそうです。最後の1人が彩姫だった。覇気のない感じで現れて、かっこよく歌って帰っていったと言うことです。彼女はヤル気がないと誤解されやすいようです。
彩姫はいろんなことをしていました。いわゆるタレントですね。お芝居、ミュージカル、ダンスチーム、本人は歌手をやりたかったようです。もっとも仕事はなんでも欲しいという状況ではあったようです。デモ曲も気に入ったようです。
社長、阿久津健太郎、マネージャーとの面談で正式に決まりました。彩姫もカッコいい曲を歌わせて貰えると言うことで、喜んでいたようです。これだけの声質を持った逸材が近くにいたことは僥倖です。なにしろBAND-MAIDのボーカルになるのですから。
新ボーカルを求めて社内オーディションをしたようです。阿久津健太郎によれば、オーディションをしたものの諦めかけてたそうです。最後の1人が彩姫だった。覇気のない感じで現れて、かっこよく歌って帰っていったと言うことです。彼女はヤル気がないと誤解されやすいようです。
彩姫はいろんなことをしていました。いわゆるタレントですね。お芝居、ミュージカル、ダンスチーム、本人は歌手をやりたかったようです。もっとも仕事はなんでも欲しいという状況ではあったようです。デモ曲も気に入ったようです。
社長、阿久津健太郎、マネージャーとの面談で正式に決まりました。彩姫もカッコいい曲を歌わせて貰えると言うことで、喜んでいたようです。これだけの声質を持った逸材が近くにいたことは僥倖です。なにしろBAND-MAIDのボーカルになるのですから。
その頃の彩姫は舞台があったので、そちらにかかり切りだったでしょう。彩姫も自分の加入時のエピソードをおもしろく語っています。当初、メイド服を着ることは知らされておらず、不信感だけだったという。たぶん盛って話してると思います。
2013年8月22日、P祭でついに5人体勢のBAND-MAIDがデビューしました。
BAND-MAIDの始動である。
BAND-MAIDの始動である。
これがBAND-MAIDの結成までです。
私が数少ない情報から想像したストーリーなので、話半分に読んでください。書かれた事柄は事実だと思いますが、その解釈は私独自の仮説ということです。本人談でも発言に揺れがあるので解釈が難しいです。
私が数少ない情報から想像したストーリーなので、話半分に読んでください。書かれた事柄は事実だと思いますが、その解釈は私独自の仮説ということです。本人談でも発言に揺れがあるので解釈が難しいです。
さて、最後に当初の目的である、小鳩の語る「BAND-MAID誕生秘話」の真偽について判断しなければなりません。
ここまで読んで、小鳩の話は事実とずいぶん違うと感じているでしょう。けれど、口上をよく思い出してください。主語や主体が曖昧になってるところはありますが、嘘ではありません。小鳩が営業トークとして、都合良く話しているのだと思います。語る内容は、その時によって多少の揺れはありますが、嘘ではありません。簡潔にまとめた自己紹介ですから、それでいいんじゃないでしょうか。「BAND-MAID誕生秘話」が事務所のシナリオということはないでしょう。
ここまで読んで、小鳩の話は事実とずいぶん違うと感じているでしょう。けれど、口上をよく思い出してください。主語や主体が曖昧になってるところはありますが、嘘ではありません。小鳩が営業トークとして、都合良く話しているのだと思います。語る内容は、その時によって多少の揺れはありますが、嘘ではありません。簡潔にまとめた自己紹介ですから、それでいいんじゃないでしょうか。「BAND-MAID誕生秘話」が事務所のシナリオということはないでしょう。
ありそうでなかったメイドのROCK、ギャップ萌え
コンセプト優先のバンドは空中分解するものです。事務所が望んでも続きません。
実力派ロックメイドバンドというコンセプトはあったものの、ビジュアルだけです。肝心の音楽は曖昧のままだったでしょう。暗中模索の時代が続きます。
今はハードロックバンドとしての意思統一があると思いますが、もともとの音楽性は5人ともかなり違うはずです。それぞれの音楽性でバンドを追求していたら、崩壊は必至だったでしょう。明確なビジョンを持って強烈に引っ張るメンバーもいなかったはずです。メイドとか、ギャップ萌えとか、音楽性とは別次元の縛りだからバンドをつづけられた。それは当面の妥協となりえたのでしょう。そのコンセプトは小鳩が内部から頑強に推し進めていました。事務所からの強制ではありません。だから続いたのだと思います。それも、考えてみれば危うい路線でした。ひとつ間違えれば、斥力となった可能性もあります。
実際に解散の危機があったそうです。やりたいことが定まらず、Thrill がダメだったら終わりにしようぐらいの雰囲気だったらしい。Thrill はもともと「愛と情熱のマタドール」のカップリング曲だったのですが、メンバーたちは演奏してとても気に入ったそうです。そのためMVも Thrill で作りました。YouTubeで公開し半年ほどすると、Jrock Radioで紹介されのをきっかけに海外からのアクセスが激増します。それがメンバーたちの励みになったということです。当時の彼女たちは知らなかったようですが、プラチナムもThrillで解散させる腹づもりだったようです。Thrillがヒットして良かったです。日本だって盛り上がってたと思います。私も Thrill でBAND-MAIDを知り、好きになりました。重要なのはThrill を選択したのは彼女たちの意思だったということです。愛と情熱のマタドールでMVを作ってたら結果は違ってたかもしれません。BAND-MAIDの方向性は彼女たち自身で決めたのです。
そしてReal Existenceが世に出てきます。ハードロック路線が軌道に乗ってきます。
「BAND-MAID誕生秘話」は神話として機能するエピソードかもしれません。いわゆる国造りの神話と同じことです。史実かどうかは重要ではないのです。それは理想として語られるべきものです。「BAND-MAID誕生秘話」はBAND-MAIDの存在を、今なお規定する、小鳩のお呪いかもしれません。
《あとがき》
BAND-MAIDのファンになった頃、いろいろと情報収集してました。2ちゃんねるも重要な情報源のひとつです。いろんな情報も得られますが、ヒドイことも山ほど書いてあります。それに反応して怒るほど私は子供ではありません。しかし、そこで定期的にでてくるのが、このメンバー募集の事実です。当然のこと、嘲笑うネタとして使われてました。これは事実なのです。そうなると無視するわけにはいかない。私なりに結論を出したいと、調べ始めたのがきっかけです。第3版を出したばかりですが、tsさんに興味深い情報をいただいたので、思い切って再改訂しました。年譜などを作ってる頃は猛烈に検索していたのですが、今はおっくうになっており、全てがおざなりでした。久しぶりに刺激を受けて頑張りました。あらためてtsさんに感謝します。
なにか情報がありましたら、ぜひお寄せください。どんな情報でも参考になります。私が知っていることはわずかです。
BAND-MAIDのファンになった頃、いろいろと情報収集してました。2ちゃんねるも重要な情報源のひとつです。いろんな情報も得られますが、ヒドイことも山ほど書いてあります。それに反応して怒るほど私は子供ではありません。しかし、そこで定期的にでてくるのが、このメンバー募集の事実です。当然のこと、嘲笑うネタとして使われてました。これは事実なのです。そうなると無視するわけにはいかない。私なりに結論を出したいと、調べ始めたのがきっかけです。第3版を出したばかりですが、tsさんに興味深い情報をいただいたので、思い切って再改訂しました。年譜などを作ってる頃は猛烈に検索していたのですが、今はおっくうになっており、全てがおざなりでした。久しぶりに刺激を受けて頑張りました。あらためてtsさんに感謝します。
なにか情報がありましたら、ぜひお寄せください。どんな情報でも参考になります。私が知っていることはわずかです。
繰り返しますが、これは私なりの解釈です。事実とは思わないでください。
現在の小鳩は、BAND-MAID結成の事実を分かりやすく話しており、脚色した話はしていません。
2017-09-02 TREASURE05X 2017 -MARCH OF TIME
この記事へのコメント
ts
jazz70
おめでとうございます。そして、ありがとうございます。
ts
ts
ts
SRIトリム
BAND-MAIDの結成時期は、どんなに早くても3人の演奏オーディションがあった6月5日以降でしょう。オーディション日は当時の茜のブログ(既にクローズ)からの推測です。歌波の面接日は、歌波本人の発言は消えていますが、リツイートは残っているので、そこからの推測です。
したがって、Playerの記事は小鳩の勘違いだと思ってます。あるいは「結成」の意味が違うのかもしれません。
なにしろ本人の発言なので、尊重したいところですが、発言に揺れがあるのも事実です。私なりに勝手に判断させてもらってます。
これからもよろしくお願いします。
ts
小鳩がリル・クミン末期に並行して BAND-MAID 立ち上げをしていたのかどうかが疑問として残っていましたが、ちゃんとリル・クミンが 2013 年 3 月に終わってから BAND-MAID を始めた、ということです。
SRIトリム
小鳩の語感としてはアリなのかもしれませんが、「結成」を「始動」と読み替えるのは、私にはかなり違和感があります。それに4月始動とすると、やはり色々と収まりがよくないです。ここらへんの具体的な経緯は、何も分かりません。
5810
ツイッターで「predia acoustic party kanami」で画像を検索してみて下さい
SRIトリム
さっそく検索してみました。これは、2014-05-24のpredia acoustic partyの画像で間違いないですね。このサボートがあった事実も初耳でした。年表の方にも追加させていただきます。適切ではないので、本文からは画像を取り下げます。
私も半信半疑で取り上げていたので、素性が分かってスッキリしました。今まで、間違った情報を書いていたことを皆さんにお詫びします。
ほんとうに助かりました。また何かあったらよろしくお願いします。
取り消した画像
https://band-maid.up.seesaa.net/image/Kanami2020SingerSong.jpg