663年,朝鮮半島南西部の白村江((今のクム川)の河口(で行われた海戦(。唐(・新羅(に攻略(された百済(を救援(するため,日本は662〜663年に2万7000人あまりの兵(を送ったが,唐(・新羅連合軍(に大敗(。この結果(,4世紀以来(行われていた大和政権(の朝鮮(半島進出の足場はうしなわれた。「はくそんこうの戦(い」ともいう。
コーチ
このあと,
中大兄皇子((のちの
天智天皇()らは
唐(・
新羅(の
侵攻(をおそれて,北九州に
防人(をおき,
水城(をきずくなど,
海辺(の
防備(をはかった。