NHKの2023年後期連続テレビ小説:朝ドラ「ブギウギ」USK梅丸少女歌劇団の魅力なレビューのダンスの曲を紹介します。
NHKの2023年後期連続テレビ小説:朝ドラ「ブギウギ」USK梅丸少女歌劇団の魅力なレビューのダンスの曲を紹介します。
朝ドラ「ブギウギ」のオリジナルソングの「胡蝶の舞」や「四季の宴」の歌詞も併せて紹介します。
朝ドラ「ブギウギ」では、娘役トップスター大和礼子として出演されている蒼井優さんの動画へのリンクも併せて紹介します。
それでは、NHKの2023年後期連続テレビ小説:朝ドラ「ブギウギ」USK梅丸少女歌劇団の魅力なレビューのダンスの曲をみていきましょう!
ブギウギ主題歌ハッピー☆ブギは
↓↓
朝ドラ「ブギウギ」で放送されたダンスの曲は何?
朝ドラ「ブギウギ」で放送されたダンスの曲について紹介します。
朝ドラ「ブギウギ」第1回放送ダンスの曲は『東京ブギウギ』
第1回の放送されたダンスの曲は「東京ブギウギ」です。
- 「東京ブギウギ」は、1947年にリリースされた楽曲で、戦後の復興期において、都会の雰囲気やブギウギ(ジャズやダンスミュージック)の楽しさを歌った歌詞が特徴です。
- 「東京ブギウギ」は、戦後のエンターテインメント文化における象徴的な楽曲の一つとされ、多くの人々に親しまれています。
- 笠置シズ子の歌唱による「東京ブギウギ」は、日本のポピュラーソングの歴史において、重要な位置を占めている楽曲として覚えられています。
朝ドラ「ブギウギ」第5回放送ダンスの曲は『胡蝶の舞』蒼井優も出演
第5回の放送されたダンスの曲は「胡蝶の舞」です。
「胡蝶の舞」はブギウギのオリジナルの曲で、作詞:萩田浩一、作曲:甲斐正人です。
「胡蝶の舞」
春の光に ひらひらと
舞い踊るのは 胡蝶の夢
夢と知りせは儚くも
霞たなびく 春風色
ああ 春や春
夢に遊べや 春の蝶
萌えいずる 春の野原に
羽を広げて 羽を広げて
舞い 踊れ
朝ドラ「ブギウギ」第10回放送ダンスの曲は『四季の宴』蒼井優も出演
第10回の放送されたダンスの曲は「四季の宴」です。
鈴子が少女から女性に変わる様子をみることができます。
もちろん、幸子も和希もです。そして後輩の秋山も娘役で出演です。
四季の宴はブギウギオリジナルの曲で、作詞:萩田浩一、作曲:甲斐正人です。
「四季の宴~めぐりめぐる~」
めぐりめぐる 季節を風は
爽やかに吹き渡る
長くて短い 一年を
季節はめぐる めぐりめぐる
春は夏と隣り合わせ
秋は冬と背中合わせ
だけども秋は 春に出会えず
冬は夏と別れたまま
「四季の宴~とこしえに~」
めぐりめぐる 季節を風は
爽やかに吹き渡る
長くて短い 一年を
季節はめぐる めぐりめぐる
季節と季節を 虹が繋ぎ
心を結ぶ とこしえに
季節と季節を 虹が繋ぎ
心を結ぶ とこしえに とこしえに
朝ドラ「ブギウギ」第18回放送ダンスの曲は『四季の宴 ラインダンス』
第18回の放送されたダンスの曲は「四季の宴~ラインダンス~」です。
ラインダンスについては、【ラインダンス梅丸USK元はOSK日本歌劇団のレビュー!】をご覧ください。
>>>第18回放送 ラインダンス『四季の宴』フルバージョン動画
朝ドラ「ブギウギ」第23回放送ダンスの曲は『恋のステップ』
笠置シヅ子の世界 ~東京ブギウギ~ [楽天]
朝ドラ「ブギウギ」第23回放送ダンスの曲は『恋のステップ』です。
「恋のステップ」は、日本の歌手である笠置シズ子が歌った曲です。この曲の作詞は高橋掬太郎によって行われ、作曲と編曲は服部ヘンリーが担当しました。
作詞:高橋掬太郎について
高橋掬太郎は昭和期の作詞家で、1901年4月25日に北海道根室町で生まれ、1970年4月9日に亡くなりました。彼は函館日日新聞の記者として活躍しながらも、全国を風靡する空前の大ヒットとなった「酒は涙か溜息か」を作詞しました。
彼は根室商業学校を中退後、根室新聞社に入社し、この頃から「高橋春波」のペンネームで文筆活動を始めました1。その後、函館日日新聞に入社し、社会部長兼学芸部長として活躍するかたわら文芸同人誌に参加し、詩や小説、脚本などを手がけました。
1931年に『酒は涙か溜息か』で作詞家デビューしました。これは自身が日本コロムビア文芸部宛に当時新進作曲家として注目されはじめていた古賀政男を直接指名して投稿したもので、藤山一郎の歌唱で大ヒットしました。
彼はまた、1947年に日本音楽著作家組合、1950年に日本民謡協会、1960年に日本詩人連盟の結成に参加しました。彼の業績を称えて、1970年に従五位に叙され、勲四等旭日小綬章を授与されました。
作曲:服部ヘンリーについて
服部逸郎(はっとり いつろう、1907年12月3日 – 1973年8月5日)は、昭和期の日本の作曲家、歌手、作詞家、元アナウンサーでした。彼は別名をレイモンド服部、服部レイモンド、服部ヘンリーともいいました。
彼は神奈川県横浜市出身で、若い頃にキリスト教に入信したため、洗礼名をレイモンドとしました1。1931年に慶應義塾大学を卒業後に作曲家としての活動を開始しました。
その後、NHKのアナウンサーとして働きましたが、大阪に配属されることになった際に音楽活動ができないとしてNHKを退職し、同年日本コロムビアに入社しました。
彼はまた、自身でも東京交響吹奏楽団を組織しました。特に知られているのはTBSテレビ・ラジオのスポーツテーマ『コバルトの空』の作曲であり、その他にも多くの歌謡曲を手掛けました。1973年8月5日に亡くなりました
\恋のステップ収録/
朝ドラ「ブギウギ」第24回放送ダンスの曲は『四季の宴~カーテンコール~』と『秋の色種』
>>>第24回放送『四季の宴~カーテンコール~』フルバージョン動画
>>>第24回放送『秋の色種』フルバージョン動画
朝ドラ「ブギウギ」第25回放送ダンスの曲は『桜咲く国』近鉄バファローズの応援歌?
「桜咲く国」は、OSK日本歌劇団のレビュー「春のおどり」、松竹歌劇団(SKD)のレビュー「東京踊り」のテーマソングです。作詞は岸本水府、作曲は松本四良によるもので、1930年(昭和5年)から歌い継がれています。
この曲は、春季公演のテーマソングであったが再結成後のOSKでは季節を問わず使用されています。
また、「桜咲く国」のパフォーマンスでは、傘(桜パラソル)を回す「傘回し」という特徴的な動きがあります。
OSK日本歌劇団は、1971年から2003年まで近鉄グループの傘下であり、同じく近鉄傘下のプロ野球チーム近鉄バファローズの応援歌としても「桜咲く国」が用いられていました。
「桜咲く国」は、たくさんの上級生たちが心を込めて歌われており、いつの時代もどの季節でも、そして苦しかった時も負けずに明るい春を届けてきました。
朝ドラ「ブギウギ」東京編で放送されたダンスの曲は何?
朝ドラ「ブギウギ」東京編で放送されたダンスを紹介します。
朝ドラ「ブギウギ」第30回放送ダンスの曲は『スウィング・タイム』『ラッパと娘』
スウィング・タイムとは
ニッポン・スウィングタイム 戦前のジャズ音楽 vol.1 [ (V.A.) ]楽天
第二次世界大戦前の日本では、スウィング・タイムという音楽スタイルが一部の人々によって楽しまれていました。スウィング・タイムは、アメリカのジャズ音楽が起源で、特に1930年代から1940年代にかけてのビッグバンド時代に最盛期を迎えました。
しかし、日本でのスウィング・タイムの普及は、国内外の政治的な状況により制約されることがありました。特に、日本が第二次世界大戦への道を歩み始めた1930年代後半から1940年代初頭にかけては、西洋文化の影響を受けた音楽スタイルはしばしば検閲や規制の対象となりました。
それでも、都市部の若者たちの間では、スウィング・タイムのリズムとエネルギーが引き続き魅力的に感じられ、ダンスホールやカフェ、そしてプライベートなパーティーで楽しまれていました。これらの場所では、ビッグバンドの演奏が流れ、若者たちはジッターバグやリンディホップといったスウィングダンスを踊りました。
しかし、これらの活動はしばしば地下で行われ、一般の人々からは見えにくい存在でした。戦争が進むにつれて、スウィング・タイムはますます抑圧され、公の場での演奏はほとんど行われなくなりました。
結局、スウィング・タイムが日本で広く受け入れられるようになったのは、戦後のことでした。戦後、日本は西洋文化を再び受け入れるようになり、スウィング・タイムはその一部として再評価されました。それ以来、スウィング・タイムは日本の音楽シーンの一部として定着し、今日でも多くの人々に愛されています。
ラッパと娘とは
CD / 笠置シヅ子 / 笠置シヅ子の世界 ~東京ブギウギ~ (解説付/ライナーノーツ) / COCP-42055[楽天]
笠置シズ子の「ラッパと娘」は、戦前の日本で非常に人気のあった曲で、そのエネルギッシュなパフォーマンスとスウィング感溢れるリズムが特徴的です。この曲は、服部良一によって作詞・作曲されました。
「ラッパと娘」は、楽しくてエネルギッシュな歌詞とメロディが特徴で、当時の若者たちにとって新鮮で刺激的な音楽体験を提供しました。笠置シズ子のパワフルで情熱的な歌唱は、聴衆を引きつけ、ステージ上での彼女の存在感は圧倒的でした。
この曲は、笠置シズ子が「スイングの女王」と称され、彼女のパフォーマンスが観客を魅了した象徴的な曲の一つです。彼女のパフォーマンスは、音楽とダンス、そしてエンターテイメントが一体となったもので、それは当時の日本の音楽シーンに新たな風をもたらしました。
しかし、この曲と笠置シズ子のパフォーマンスは、戦前の日本の厳しい時代背景と相まって、一部の人々からは「下品だ」との批判も受けました。それでも、彼女の音楽とパフォーマンスは、多くの人々に感銘を与え、日本の音楽シーンに大きな影響を与えました。
現在でも、「ラッパと娘」はそのエネルギッシュなリズムと楽しさ、そして笠置シズ子の魅力を伝える曲として、多くの人々に愛されています。
朝ドラ「ブギウギ」第35、38回放送ダンスの曲は『センチメンタル・ダイナ』
『センチメンタル・ダイナ』を収録:ブギの女王(画像引用元:楽天市場)
笠置シズ子の『センチメンタル・ダイナ』は、日本の音楽史に名を刻んだ一曲です。作詞は野川香文、作曲は服部良一によるものです。
この曲は、淋しさと希望をテーマにした歌詞が特徴的で、淋しい瞳に微笑みが消え、涙さえ濡れる「ダイナ」の姿が描かれています。
しかし、その中でも「若い娘はいつもほがらかに希望に燃えて」というフレーズからは、前向きなエネルギーを感じることができます。
>>>『センチメンタル・ダイナ』フルバージョン オンステージ
ツヤの危篤でも大阪には帰らず舞台に集中するスズ子。
>>>『センチメンタル・ダイナ』11/22放送分
善一の心配そうな顔が印象的です。あらすじはこちら。
朝ドラ「ブギウギ」福来スズ子(花田鈴子)役:趣里
大阪の銭湯の看板娘として花田鈴子は育ちます。
幼い頃から歌ったり踊ったりするのが好きが講じて、道頓堀にある梅丸少女歌劇団(USK)に入団します。
歌の才能が出てきた花田鈴子は、母親のアイデアで福来スズ子という芸名にして、歌手という道を進んでいき、のちに戦後のスターとなります。
福来スズ子のモデルは笠置シヅ子です。
笠置シヅ子については
>>>福来スズ子のモデル笠置シヅ子の父母や夫や子供と経歴は?
をご覧ください。
朝ドラ「ブギウギ」物語は?
大正時代の末期、大阪の下町にある小さな銭湯の看板娘、花田鈴子は、歌って踊ることが大好きな明るく純真な女の子です。小学校を卒業した際、鈴子は、「歌と踊りで人々を笑顔にしたい」という思いを抱き、道頓堀に新しくできた歌劇団に入団しました。一生懸命に稽古に励んだ鈴子は、急速に成長し、抜群の歌唱力で才能を開花させていきます。
昭和13年、鈴子は上京します。そこで、人気のある作曲家と出会い、鈴子の運命が大きく変わります。鈴子は作曲家の指導を受けることによって、「スウィングの女王」として知られる人気歌手になっていきます。
しかし、戦争が勃発すると、鈴子の状況は一変します。鈴子の歌っていた曲が「敵性音楽」と見なされ、彼女の舞台での歌や踊りは厳しく制限されてしまいます。さらに、鈴子の弟は徴兵され、ちょうどその頃、鈴子の母も病気で亡くなってしまいます。
悲劇が重なり、悩む鈴子の前に、とある青年が登場します。ふたりは恋に落ちて、やがて結婚を誓い合います。しかし、青年の家族は強く反対し、結婚は中々、実現しませんでした。そののち戦争が終わり、鈴子は青年の子を授かります。しかし、青年は病に倒れてしまいます。会うことができず、結婚も果たせぬまま、別れることとなりました。数日後、鈴子はひとりで娘を出産します。
鈴子は娘を育てながら一人で舞台で歌い続けます。そんな中、生まれたのが「東京ブギウギ」という曲です。明るく飾らずに、全身で歌うことが鈴子の真骨頂でした。戦後の傷ついた日本に、彼女の歌声が響き渡ります。鈴子の歌声に合わせて笑顔で歌い踊る人々が全国に広がっていきました。鈴子は「ブギの女王」と称され、日本の大スター歌手への階段を駆け上がっていきます。
朝ドラ「ブギウギ」のキャストと相関図は?
朝ドラ「ブギウギ」の相関図は上のインスタをご覧ください。
また、キャストについては、
【ブギウギキャスト一覧相関図!モデルの笠置シヅ子を紹介!】
をご覧ください。
朝ドラ「ブギウギ」の吹き出しあらすじネタバレ紹介
当サイトでは、朝ドラ「ブギウギ」の吹き出しであらすじをネタバレ紹介しています。
【ブギウギ今後のあらすじを吹き出しで紹介!ネタバレ一覧!】
をご覧ください。
ブギウギダンスの曲は?NHKの蒼井優などの動画を紹介!まとめ
NHKの2023年後期連続テレビ小説:朝ドラ「ブギウギ」USK梅丸少女歌劇団の魅力なダンスの曲について動画へのリンクを紹介しました。
福来スズ子のモデルになった笠置シヅ子については
>>>福来スズ子のモデル笠置シヅ子の父母や夫や子供と経歴は?
をご覧ください。
最後までお読みいただき誠にありがとうございました。