ジャニー喜多川氏「奇跡の5時間インタビュー」を全文公開する
彼はどう生き、何を考えたのかそんな事務所の転機は、意外なところからやってきた。'79年10月から始まったTBSのドラマ「3年B組金八先生」の生徒役として出演していたまったく無名のジャニーズジュニアの3人が、ドラマの進行に伴って人気に火が付いたのだ。
当初、悪がきトリオと呼ばれていた田原俊彦、近藤真彦、野村義男の3人は、事務所によってたのきんトリオとネーミングされ、歌手としても、それぞれのレコードデビューをずらすことで新人賞レースを勝ち抜いていく。さらに、CM、映画、コンサートと、メディアミックスにより彼らの人気は不動なものとなっていった。
一見画策されたかのような彼らのデビュー劇であるが、その裏には予想外の事実があった。
「オーディションの時点ではジャニーさんも、あの3人をたのきんトリオとして売り出すことは考えていなかったみたいです。他にもジュニアを連れてきていたから。その中から僕がたまたまあの3人を選んだんです」と、「3年B組金八先生」のプロデューサー柳井満はたのきんトリオ誕生の経緯を話す。当初、生徒役のオーディションにはジャニーズ事務所は参加しておらず、児童劇団の子役から30人が決められていた。
「ところが、ジャニーさんがうちの子も見てくれと言ってきまして。当時、ジャニーズ事務所はアイドル歌手の事務所だと思っていたから、なんでドラマなのかと思いましたよ。でも、会ってみると、明るくていいんです。しっかり目標を持っているから、どこかふっきれているんです」
急遽、柳井はジャニーズから3人を選び、すでに決まっていた30人から1人を落とし、最終的に32人を金八の生徒役として決めた。
「本当はもう1人、ジャニーズから選んだんです。僕はその子が良かったんですが、彼はすでに他の仕事を持っていたので、連続ドラマは入れられなかった。もし出演してたら、トリオでなく、カルテットになってたかもしれないですね」
柳井はその少年の名前を忘れてしまっていたが、たのきんトリオ誕生には、ある種偶然の作用が働いていたことが分かるエピソードだ。
「誰でもスターにしてあげられる」
たのきんトリオに続いて、1981年の「2年B組仙八先生」からも、ジャニーズ出身のシブがき隊がデビューし、一躍スターとなった。
「この時も同じですよ。ジャニーさんが連れてきた10人以上のジュニアの中から光っていた3人を選んだだけ。事務所からあの3人をプッシュされたわけでもないですし、こちらも3人と決めていたわけでもないです」
たのきんトリオの成功に乗じて、事務所の戦略によって生まれてきたかの印象を受けていたシブがき隊も、ドラマから自然発生的に誕生したスターなのである。