アルゼンチン大統領選挙が決着
アルゼンチン大統領選挙の決選投票で、「アルゼンチンのトランプ」とも呼ばれるハビエル・ミレイ下院議員が勝利を収めた。
アルゼンチンでは、年率100%を優に超えるとてつもない物価高騰の中、貧困線以下で暮らす人が全人口の40%以上に達している。こうした状況で、治安は極度に悪化。貧困から来る同時多発的な集団略奪事件が度々起こり、略奪者が店に近寄らないよう店主らが威嚇射撃を行って自衛するようになっている。
こうした生活苦によって、アルゼンチン社会は機能不全に陥っており、これに対する不満が、過激な主張を唱えるハビエル・ミレイ下院議員を大統領に押し上げた。
では、過激と評されるミレイ氏はどのような考えを持っているのだろうか。
ミレイ氏は元々、オーストリア学派に属する経済学者だ。オーストリア学派というのは、政府による経済への介入を大変嫌う。ミレイ氏は、政府支出は非効率で、自分たちの自由を阻害することになるから、大胆に削減すべきだと考えている。
アルゼンチン経済を理解するためのキーワードとして、「ペロン主義」というものがある。これはグローバリズムに反対し、弱者を救済することを大切にする考え方だ。1946年に大統領に就任したペロン氏の考えに共鳴する考えなので、「ペロン主義」と呼ばれる。
ペロン氏は労働組合の保護、賃上げの実施、外国企業の国有化、貿易の国家統制などを行い、労働者層からの圧倒的な支持を集めた。まさに弱者救済、反グローバリズムの考えだ。
このペロン氏の考えはアルゼンチン国内に深く根付き、貧しい人たちを救うために、補助金によって公共料金や生活必需品などをなるべく低価格で維持する政策が行われてきた。
国家財政の4割以上が社会保障に、1割以上が補助金などの民間企業への支出に費やされている。国民生活を支える支出が5割を超えているのである。ここまで国民生活を支える財政を組みながら、貧困線以下の生活をしている人たちが40%を超えているというのは、皮肉な現実だ。
先進国から発展途上国に転落した理由
アルゼンチンでは、何度もデフォルトを繰り返している今でも、公立病院であれば医療費は無料、公立学校であれば大学であっても授業料は無料だ。
このあり方は必然的に大きな政府を求めることになった。そしてそれは様々な利権を生み出し、腐敗を生み、経済効率性を引き下げた。
補助金頼みの企業が増え、企業の効率化もなかなか進んでいない。こうした中でアルゼンチンは世の中の進歩についていけなくなり、経済的にはどんどんと落ちぶれていった。
20世紀初頭には世界第5位と評価されたこともある経済大国で、第二次世界大戦が終わる頃までは先進国として知られていたアルゼンチンが、ペロン主義に染まってから、たちまち転落していったのだ。
ノーベル経済学賞を受賞したことでも知られる偉大な経済学者のサイモン・クズネッツ氏は、「世界には4種類の国がある。先進国と発展途上国、そして日本とアルゼンチンである」と述べている。
世界は先進国と発展途上国に固定的に2分されるが、戦後の焼け野原から奇跡的な復興を遂げて先進国入りした日本と、ペロン主義に染まって先進国から発展途上国に転落していったアルゼンチンは例外だということを述べたものだ。
クズネッツ氏は1985年に亡くなっていることから、おそらく1970年から1985年の間にこの発言をしているものと思われる。つまり、ペロン主義を採用して25年から40年の間に、かつてのアルゼンチンの豊かな姿はすっかり消え失せていたということになる。
「弱者を救え」という路線を優先し、経済効率性をないがしろにする動きが続くと、国力は徐々に毀損され、30年から40年で見るも無惨な姿になるということを、私たちは頭に入れておくべきだろう。
ペロン主義がもたらした経済の5重苦
経済が成長せず、税収も伸びない中で、アルゼンチン政府は政策運営に必要なお金を国内で賄うことができず、外国からドル建てで調達することを余儀なくされた。しかもそれすらも返済できなくなり、アルゼンチンはこれまでも度々デフォルトを起こしてきた。
今回は通貨防衛のために、デリバティブに手を出してアルゼンチン・ペソを買い支えるようなことまでやった。つまりアルゼンチン・ペソを買い支える手持ちの外貨が不足しているため、デリバティブで補おうというとんでもないことまで行ったのだ。
そしてこれが膨大な赤字を生み出しており、外貨準備はゼロどころか、実質的には大幅なマイナスになっていると見られる。
ペロン主義によって今や経済は5重苦に陥っている。すなわち、経済成長の停滞、激しいインフレ、国家財政の破綻、外貨準備の枯渇、アルゼンチン・ペソの暴落だ。
もはやアルゼンチン・ペソは全く信頼されておらず、アルゼンチ国内においても大口の取引になると、通貨価値が安定しているドルでの決済が当たり前になっている。
今の壊滅的な経済状況を救うためには
こうした経済的苦境を救うために、もはや中央銀行など廃止してしまえばいい、つまりアルゼンチン・ペソをなくして、通貨は全部米ドルにしてしまえばいい、という過激な主張をミレイ氏は行っている。
しかし、この主張には多くの批判がある。これを受け入れれば、アルゼンチンは国内の状況に合わせた金融政策ができなくなるからだ。
例えば、アメリカがインフレ抑制のために高金利で動いている時に、仮にアルゼンチンが深刻な不況であっても、不況をさらに深刻化する金融引き締めを受け入れざるをえないことになる。それは不合理だというわけだ。
さらに、アルゼンチン・ペソを廃止するには、国内のペソを買い取ってドルと交換しなければならなくなるため、ざっと400億ドル程度のドルが必要になるとの試算がある。ただし、アルゼンチン・ペソの最近の暴落ぶりからすると、400億ドルでは全く足りないかもしれない。
当然、そんな多額のドルはアルゼンチン政府にはないので、IMFなどから借りてくることが必要になる。それはそのままアルゼンチン経済を苦しませることになる。
中央銀行を廃止し、アルゼンチン・ペソを廃止することが、どれだけ経済的にマイナスになるのかについて、経済学者であるミレイ氏が理解できていないはずはない。ミレイ氏はしかし、それを理解した上でも、今の経済状況を救うためには、尋常ではない手段に出るしかないと考えているわけだ。
ミレイ氏が主張しているのは、中央銀行の廃止だけではない。大胆な民営化を推し進める方針で、例えば公立学校まで全て民営化すると主張している。
ギリシャ危機の教訓
では、これらのミレイ氏の過激な主張が、いま、現実的にアルゼンチンで実行できるかといえば、それは一筋縄ではいかないだろう。
というのは、アルゼンチン議会では新興勢力であるミレイ氏率いる「自由前進」は、上院で8議席、下院で38議席を占めるにすぎないからだ。上院で8/72、下院で38/257なのだ。議会はミレイ氏が求める予算や法律に承認を与えようとしないはずだ。
それでも、一旦はドラスティックな改革を行い、補助金などに安易に頼ることに慣れてしまっている国民意識を徹底的に変えていかないと、この経済的苦境から脱出できないのは間違いない。アルゼンチンがそこまで追い込まれているのは確かだ。
この点で参考になるのはギリシャだ。
ギリシャは痛みを伴う改革を受け入れ、一時はGDPの1/4を失うまでの苦しみを味わいながら、最終的には奇跡の復活を遂げた。ギリシャ危機があった時代が嘘のように、あのギリシャ国債が今では投資適格級として扱われるようになった。この経験からミレイ氏は学ぼうとしているのだろう。
アルゼンチン経済の歴史から学ぶべきこと
アルゼンチン経済が日本経済に与える影響は決して大きなものではないが、アルゼンチン経済が歩んできた流れから、私たちが教訓として学ぶべきことは大きい。
消費性向の高い弱者を保護すれば、有効需要が簡単に生み出され、これによって経済は勝手に活性化するという考えは、日本国内でもかなり広く見られる。だが、アルゼンチンの例を見れば、この考えは危険である。需要はもちろん重要だが、供給能力が改善され、生産性が高まることもまた重要なのだ。
規制によって既存業界を保護するよりも、厳しい競争に晒して、企業に合理性を真剣に追求させる状態にしたほうが、経済成長につながりやすい。このことをアルゼンチンの例からも、我々は学ぶべきではないか。
厳しい競争に晒せば、失業も生まれやすくなるが、これを吸収できるだけの投資を政府自ら行っていけばよいのではないか。バラマキではない積極財政のあり方を、日本政府には考えてもらいたいものだ。