わたしのお話

はじめまして 産まれてからずっと[普通]に憧れていた宗教2世育ちの人生ログです 面白い…

わたしのお話

はじめまして 産まれてからずっと[普通]に憧れていた宗教2世育ちの人生ログです 面白いかどうかわかりませんが生きてきた証として記しています 様々な人に対しての参考になると嬉しいです 現役の時に関わってくださった皆様ありがとうございました。

最近の記事

11月NHKをみて

自分の経験談を書きたいのですが… 経験をまとめる前にサタンBOX📺をみてしまった 2度も3度も見る勇気がなく 流し見しただけですが ハートネットTVさん NHKスペシャルさん 宗教二世の問題を題材にありがとうございました。 ここからは流し見した″わたし″個人の見解 そして 感想を含め過去にあった出来事を「記録」できたらいいな、と思ってます。 番組を見てから 頭の中でぐるぐるとしてました まず、ハートネットTV第2回目、宗教二世の報道を見て″違和感″を感じました。

    • エホバの証人

      ご無沙汰してます。 最近は仕事に報道に目まぐるしく… 自分の家庭や身の回りの事もあるので全然更新できてません。 こんな感じで「私の人生ログ」 ″わたしがわたしであった証″を書けるのか… いやはや、自分との戦いですね、文体化させるって。 (お察しの方もいると思いますが、語彙力・表現力が乏しいです) 表現って難しい… 最近特に考えさせられます。 自分が嫌だと思ったことを相手に「伝える」話し方、過去に嫌だった経験を神妙に伝える伝え方…言葉に「重さ」はどう出てくるのでしょ

      • 10月だからね

        箸休め投稿です。 なかなか、直近の「自分のこと」を書こうとすると指が進まず… 2023年も10月になりましたね。 今年もあと2ヶ月 早いですね。 よく言うところの「覚醒」してまだ半年のひよっこです。 最近まで本当に、エホバの証人の組織を愛し信じたかった人です。 そんな私の10月ですが 10月は世界的に教団より「奉仕の時間報告」義務?必要性が無くなったそうですね。 伝導者という地位?がなくなるのですかね。 私は今から約18~17年前の10月23日 千葉県にあるエホ

        • 妊娠、そして罪の意識

          両手放しでおめでとう、と喜んで貰えなかった私の妊娠。 当時まだ入籍もしておらず、特に祝福なんてされなかった懐妊。 それでも、私は「妊娠」出来たことに心を躍らせた。 「私も普通の人と同じく妊娠ができた!」 同時に様々なことを考え始めた。 この子には祖父がいない。 この子には誕生を喜んでもらえる祖母もいない。 など、そういうことから考え始め どうやって産むの? どうやって育てるの? 親の言うことを聞かない子供になったら? 世の人としてどうやって育てるの? と、頭の

          そして、再婚

          自分の人生に対し なんとでもなれ! と 振り切ってたからこそ いつ死んでもいいや、という勢いで毎日を笑顔で後悔のないような日々を毎日忙しく過ごしてた。 人生でいちばん嫌なことは「後悔する人生」だからだ 死にかけた時に「後悔」なんて絶対したくない。 絶対にだ。 寝てる時間以外は仕事をした。 仕事をこの時は3つやってた気がする。 3つの仕事を日々執り行うなんて学生時代に比べれば楽なもんだった。 寝て 起きて 化粧して 荷物を作り 玄関を出る 帰りは終電もなく「白タク」

          そして、再婚

          【箸休め】 吉原/五反田での思い出

          性風俗産業で働いて良かったことや知ったことを書いてみる。 吉原の大衆店に在籍していた。 ・吉原の朝は早い。 朝6:00~営業のお店もあるが大半は7:00~営業だ。 そして、朝は「朝割」があったりする。 そして、平日の朝から意外とお客様は多く並ぶことも多々あったり。 ・朝来る客層 基本的には酔っぱらい客お断りの店舗が多い。 でも、飲み明けに来る人もいる。 年金受給した時だけ、月1なのか、「ご褒美」に早朝来る方もいる。 大抵は奥様に先立たれているが、中には 退職後、妻に煙

          【箸休め】 吉原/五反田での思い出

          わたしの生き方

          ″わたし″の生き方 小学生の物心がつく頃に 教団内での性被害にあい 排斥後(奪回後)は忌避をされたため やりたくも無い今で言うパパ活をし 教団が懐かしく感じ 身の引き裂かれる思いで参加したオフ会では 乱交が目の前で繰り広げられ 私は無意識の中 性被害 と今ではいわれるような事件と密接に関わってきた気がする そして、1度目の結婚に失敗した今 生きる気力をなくした私は自らこの道を選ぶことになった。 人は、生きることを諦めた時、自傷行為に進むという。 私にとっての最大

          わたしの生き方

          南の島 3

          島流しにあってから3日でもうホームシックになった。 そりゃそうだと思う 歌舞伎町にいた女の子が人口5万人しかいない街にきて 繁華街ならば暇な時間に友達と会えたのに 島では友達がいなくて寂しくなった。 もう帰りたい。 場に馴染めなくて仲のいい友達もできなくて、もう寂しくて寂しくて帰りたかった。 寂しくて退屈でラインのタイムラインに つまらないし帰りたい と 書いたら ピコン!  ??? 「今沖縄いるの〜?俺もいるから合流しよう!」 「え、いくいく!!!」 少

          ご無沙汰しております

          人生で2度目に絶望を感じてました。 更新がほぼ全くできておらずすみません。 書きたい気持ちも多い中 自分と向き合い 命とは経験とは自分がなすべきことは、と探してました。 ようやく、気持ちの区切りもついたのでまた執筆ができそうです。 「南の島」とタイトル付けてますが、わたしは5日限定で南の島に戻ってました。 ではまた、少しずつ書き記していきたいと思いますので、お付き合いお願い致します。

          ご無沙汰しております

          南の島 2

          文字通りあれよあれよと南の島へ 成田空港で待ち合わせした先輩のお客様 ハンプティダンプティみたいな見た目の方で ハンプティダンプティがアロハシャツを着て登場した。 想像してみてもらいたい 小悪魔系可愛いの先輩のお客様が ハンプティダンプティでアロハシャツ着てる。 悪口ではない、ちょっとだけクスッと笑えてしまう事実だった。 成田空港でお会いして 飛行機の乗り方がわからない私に付き添ってくれる。 …売られるみたいだ。 ふと、実父に売られた記憶を思い出した。 ま、死

          南の島で

          Twitterでどんな話を書いたらいいのかアンケートを取ってみた、2023年。 有難いことに私の人生に興味を持ってくださる方がいるそうで、南の島との出会いを書いてみようと思う。 これは、私が24歳になろうとしていた頃の話だ。 この時の私は、どこをどう見ても依存性の傾向が強すぎて人間としてクズだった。 私は、やりたくないと思ってた水商売に身を置き、依存性を加速させるために働いてたようなもんだった。 買い物依存性 お酒依存性 sex依存性 全てにおいて、正当だ、私は依存

          貧乏生活とアダルトビデオのバイト

          資格を得てそれからは、あまり記憶にない きちんと、自分の名義でアパート借りた。 やっと家を出た。 初めて住んだそこは、築35年くらいの木造アパートでバストイレ別、○○荘って書いてあって、2LDKの間取りだった。 1年か、2年くらいしか住まなかったけど、自分の身の丈にあってるような気がしてとても気に入ってた。 JWの姉妹たちもこういう家に住んでたよなぁって懐かしさに浸りながら住んでいた。 パートナー生活をするのが私は憧れだった。 木造アパートだから、虫も出るし冬になればす

          貧乏生活とアダルトビデオのバイト

          心身共に大きな事故

          話が長くなるかもしれない。 20歳頃の時、エホバの証人での幼なじみと、成人記念も兼ねて幼少期を共にすごしたメンバーで集まった。 私を入れて女2人、男2人 小学生の時に、集会中にチックの症状が出て、フェードアウトした、女の子の二世 家族の一員がベテルに入って、女兄弟の中で過ごしてた男の子の二世 兄や姉は集会に行かなくなったけど、お母さんのために集会だけはいってた、男の子の二世 みんなそれぞれの理由でフェードアウトしてる。 元々幼なじみは全部で6人いた。 この日来なかったの

          心身共に大きな事故

          過去の傷を引きずる10代

          まだ私はエホバの証人であった過去を引きずっていた。 主体性をもてなかったり プライドだけ高かったり 意見がない。 ホステスの仕事の後に、ふと夜空を見上げると、なんとも言えない切なさを感じる。 なんで生きてるんだろう 女の子が憧れる高層ビル 最上階の夜景ディナーで食べても 「何も感じない」 夜景が綺麗とも 味が美味しいとも感じなかった ただ単に「お会計高いな…」だけだった 欲しいもの、ある?プレゼントしたい。 言われても 「何も感じない」 言ってくれた人のために、

          過去の傷を引きずる10代

          売られた経験

          ギョッ、とする人がいたらごめんなさい 質問です 親に売られたこと ありますか? 専門学生になった頃、 慣れない学校生活に息巻いて馴染む努力をしていたその頃。 父から1本の電話が来た。 (この時は、年1回程度で父に会っていた) 「春だな。専門学校に入れたか?おめでとう 5月○日18:00銀座に来れるか?」 そんな電話が私の元に来た。 父は相変わらず、仕事に接待に遊びに全力で忙しそうにしていた。 まだ再婚の知らせは聞かない。 勝手に結婚したらぶっ飛ばすと宣言してあ

          売られた経験

          進路

          そろそろ進学を考える時期になってきた。 ドエライお葬式を見てしまった私は、家のために何か尽くせないかと思って進路を悩み考えるようになる。 祖父と最期に話した内容も、「手に職をつけろ」という会話だった。 学校の先生に家業の話をしても当の本人も、先生も 我が家の家業がなんなのかわかってない。笑 そりゃあそうだ。 父は私にとって町工場の社長だと思っていたし 祖父はサッシ屋さんだったと聞いていた。 祖母はスナック経営が最後の仕事だったし、叔父は個人経営の個人塾をやっていた、と

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