推定少女 名興文庫のラノベ炎上芸について思ったこと2
さて、後半である。
前半では名興文庫(天宮さくら氏)のラノベコラムがいかに粗雑で、視野狭窄で、そして愛しいかを書いてきた。
後半では、実際に名興文庫の本を読んで思った「あれだけのことを書いておいて何一つ理想を実現できていない、しようともしていない」という憤りと作品の中に浮かび上がる天宮さくら氏の輪郭について触れていこうと思う。
名興文庫のローンチタイトルとして、『シロクマの背に乗る』というエセーがある。
これは天宮さくら氏の半生と、彼女(たぶん)が拾われたクラファン(セミ)同人出版社であるシロクマ書庫の内部抗争と崩壊を描くものである。
シロクマ書庫は実際にあったクラファン(セミ)同人出版社で、現在はレーベルが崩壊し電子出版されていた本は販売停止になっている。
この本を読むにあたって軽く調べてみたが、いろいろ断定するとすごくめんどくさいことになりそうなのでここではあまり触れたくない。
というか、はっきりとした確信の持てる資料が少なく、当事者が自己を正当化している抗争の記録だけがただ残っている。
この本で語られるシロクマ書庫の流れはこの通りだ。
天宮さくら氏がインターネット上に小説を上げる。
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自作を読んでほしいと思い、ハッシュタグで読み手を応募したところ、シロクマ書庫の代表(雑食ベアー氏)に読まれ、褒められる。
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天宮さくら氏、雑食ベアー氏にベタ惚れ。雑食ベアー氏がクラファン(セミ)同人レーベル「シロクマ書庫」を立ち上げようとする話を聞いて飛びつく。
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天宮さくら氏がシロクマ書庫用の作品を書いていたら、シロクマ書庫内で雑食ベアー氏を下ろす内部抗争が勃発。雑食ベアー氏が会社の資本金など会社運営をあまり知らないままに法人化しようとしていたことに気付く。
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雑食ベアー氏が精神をすり減らしていき、抗争激化の末シロクマ書庫崩壊。
……こんな感じに読みました。内容がはっきりいって読みにくいため、誤読している部分があるかもしれないが悪しからず。でもだいたいこんな感じだと思う。
この本の問題点はおおきくわけて、
・内容が主観的すぎる
・話題の脱線が多く、何を伝えたいのかわかりづらい
が挙げられる。
この本は、とにかく天宮さくら氏が「私と雑食ベアー氏は悪くない!」と主観的に文章を綴り、ひたすら言い訳をしているように見える。
まずシロクマ書庫の崩壊についての客観的事実の列挙がないままに話が始まるため、事情を知らない人間にとってはなにがなんだか理解できない。
なんとか様々な証言を手繰り寄せながら抗争を把握していくと、天宮さくら氏はいち書き手に過ぎないので確かにレーベル崩壊に巻き込まれたかわいそうなアマチュア作家と読めるかもしれないが、雑食ベアー氏については本を読む限りだと(最大限美化されているとはいえ)コミュニケーション能力やビジネス的な能力に明らかに致命的な問題があるように思えてくる。
作中では「熊語」として美化されているが、意思の伝達が上手くできずに関係者を振り回したり、クラファンと資本金について適当にやった結果レーベルを崩壊させていたりするのは普通に雑食ベアー氏に責があろう。
そのような過失があるにも関わらず、全体的に雑食ベアー氏擁護の論調で天宮さくら氏の筆は執られている。
天宮さくら氏は雑食ベアー氏について「共に本を世に問いたい」という思いがあったというが、その実は「本を読みたい・広めたいという思いだけが強かった、イノセントでコミュニケーション不全なところがかわいい悲劇の存在」として母性を見出し入れ込んでいただけなのかもしれないと思った。
じゃあ単純な読み物としてどうかと問われると、話題が頻繁に脱線し何を伝えたいのかかなりわかりづらい。
シロクマ書庫崩壊の話の途中でいきなり天宮さくら氏の半生や創作論が入り込んでくるのだ。
これではシロクマ書庫崩壊をやりたいのか、創作論をやりたいのか、半世記をやりたいのかわからないし、もし仮に全部やりたいのならあまりにも中途半端だ。
天宮さくら氏はもっぱら「行間を読め」と連呼してくるが、これははっきりいってクリエイターの甘えだ。
行間を仕込むのではなく、読者にもたれかかっているだけだ。
極論をいえば、手抜きだ。
というわけで、残念ながら『シロクマの背に乗る』は読み物としてのクオリティが高くない、と言わざるを得ない出来だ。
これが何も言わずに出されていれば「酷い本だったね」で終わるのだが、問題は名興文庫があれだけライトノベルに対する憤りを表明したコラムを出して、あれだけ「人生を豊かにする良質な物語を提供する」とのたまってこれを出したところだ。
本当にこの言い訳と悪罵と自分語りの話が、他人の人生を豊かにしうる良質な物語なのだろうか。
名興文庫が見下しているなろう小説よりも、優れているといえるのだろうか。
この本を読んで覚えた私の憤りはそこだけだ。
……散々本の悪口を書いてきてしまったが、興味深いところもいくつかあった。
それは名興文庫(天宮さくら氏)の輪郭がこの作品を読むことでかなり理解できるところだ。
天宮さくら氏の奥底には、「とにかくなんでもいいから有名になりたいが、社会とはできるだけコミットしたくない」という気持ちがある。
何者かになりたい、でも集団社会には属したくないからひたすら文章を書き、誰かに読んでもらおうとすることを彼女(たぶん)は選んだ。
奥底にあるこの気持ちこそが、雑食ベアー氏を異様に囲い、名興文庫を動かし、ライトノベルを雑語りするコラムを書き続ける、私がいとしく思っているものの正体なのだ。
他ではない何かになりたいという気持ちも、集団社会をうとう気持ちもよくわかる。それは人類全てが少なくとも一度は感じることだからだ。
だからそういうものを棄てろ、とはいえない。
むしろそういうところをさらけ出しているところはすがすがしいではないか。
ただ、作品を広く世に問う覚悟が本当にあるのならば、社会とはどこかでがっつりコミットしなければならない。
そのためには誰かにもたれかかるのではなく、自分で発信していかなければならないし、ラノベ炎上芸をやるリソースを別のこと(作品を書くとか実際に出版するとか)に回した方が今は良い段階だと思う。
特別になりたい、という気持ちは物事を進める燃料だ。
その燃料を、無駄に浪費してはいけない。
願わくば、天宮さくら氏が良き作品を世に叩きつけることを祈って筆をおく。
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