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さて今回は池田大作氏が若い頃、営業部長として働いていた「大蔵商事」のこと、そしてそこで顧客として知り合うことになる松島氏という人物のことについて、簡単に書いてみたいと思います。
大蔵商事について、ご存じでない方は下記の記事を最初にご覧になった方がよいかもしれません。
「大蔵商事のこと」
https://watabeshinjun.hatenablog.com/entry/2018/10/18/000000
この記事にも書きましたが、大蔵商事はいわゆる金融業でして、創価学会員の中でもある程度お金を持っているものに出資を持ちかけ、出資させた金を資金として金融をしていました。この大蔵商事の設立者は戸田城聖であり、この大蔵商事にかかわっていたメンバーは和泉覚、池田大作、中西治雄、柏原ヤス、森重紀美子(戸田城聖の公認の愛人)、森重章(森重紀美子の甥)などです。
森重章氏の証言によれば、池田大作と中西治雄は、ある程度資金を持っていそうな創価学会員に目をつけ、「月三分(年利36%)の利息を払います」「どこに預けるよりも有利」「実は戸田城聖先生の事業です」等と説明し、融資を募っていました。事実、当時の聖教新聞には広告も載っていまして、上述の記事中にはその広告画像も載せてあります。
事実として、東京建設信用組合が営業停止処分になって、その後、「大蔵商事」を設立したのは、他ならぬ戸田城聖本人ですから、確かに「戸田城聖先生の事業です」という言い方は真実であったわけです。
ところで、この出資金集めに成功し、大蔵商事の社業は大きく上向きます。これには間違いなく営業部長としての池田大作氏の手腕が発揮され、多くの顧客を獲得したことが大きいと考えられます。
というのは、この大蔵商事に出資したことで、創価学会内で高い地位の役職を約束されたり、地方議員になることができたり、という事例が当時から多くあったことが知られているからです(亡き父からも聴いたことがあります)。ここで特筆しておきたいのは、埼玉県大宮市に当時住んでいた松島勇氏についてです。
松島勇氏は埼玉県大宮市の創価学会員で、当時自宅は創価学会の座談会の拠点でした。妻のふく氏とともに座談会では活況を呈していたことが知られています。
彼は旧・国鉄の大宮機関区に所属していたのですが、池田大作氏の勧誘に応じて大蔵商事に出資をしたばかりか、なんと彼は大宮機関区の同僚の職員たちにも働きかけ、他の人の出資、また退職金や共済金まで出資させることに成功します。このことは大蔵商事に莫大な収益をもたらしたようです。
そしてこの後、松島勇氏は創価学会内で支部長、理事、副理事長とまたたく間に上の役職になり、やがて埼玉県大宮市議会議員候補に推され、出馬・当選することになります。
この頃、池田大作氏、中西治雄氏は松島勇氏と昵懇の仲となって、二人は足しげく、松島勇氏の自宅に通うようになっていきます。この時、松島氏には二人の娘がいまして姉が松島郁子(後の藤原郁子)、妹が松島通子(後の渡部通子)という人物です。
いわゆる「月刊ペン事件」と呼ばれる裁判では、この際の松島通子と池田大作との男女関係が問われることになるのですが、ここではあえて書きません。ただ事実として松島家の令嬢・通子と池田大作とは関係が良好で、やがて優秀な彼女(早稲田大学卒)はその後、聖教新聞社記者、潮出版社編集局次長、取締を経て、衆議院議員まで出世することになります。
松島勇氏の自宅は、当時大宮市の創価学会の拠点であり、座談会や選挙対策が行われ、多くの会員が出入りしていました。池田大作もこのため足しげく松島家に通い、松島氏の子どもたちは創価学会内で高く優遇されていきます。ただ一人・長女の郁子のみ、東京都議会議員の藤原行正と結婚し、やがて夫婦ともに池田大作と離反することになります。
余談ですが、後年松島勇氏が亡くなった後、松島氏の妻であるふく氏は、大宮を離れて藤原行正・郁子夫妻のところに同居するようになります。松島勇氏も妻のふく氏も、藤原氏とともに後年は池田大作への批判をするようになっていました。松島勇氏が亡くなった時、池田大作は彼に「名誉本部長」号を贈ったようですが、妻のふくはそれを飾らずにしまいこんでしまったと言われています。
松島家の娘たちと池田大作氏との間で何があったのか、私には知るよしもありませんし、知ろうとも思いません。
ただ池田氏と関係が深かった通子は、その後、会内で出世し、渡部一郎と結婚して夫婦ともども議員になっていきます。ちなみに松島通子と渡部一郎の結婚を提案したのは戸田城聖本人だったと言われています。私の父は渡部一郎氏のことをよく知っていましたし、母も生前、よく渡部通子のことを思い出して話していたものです。
論点を整理しますが、当時池田氏が営業部長を務めていた大蔵商事に多くの出資金を出すことで、創価学会内で出世し、議員になるような事例があり、その代表的な一人が埼玉県大宮市の松島勇氏だったということです。
そして松島家の二人の娘のうち、池田大作と良好な関係を築いた松島通子は、創価学会内で重要な位置を占めるようになり、そしてそれ以降、松島勇氏と妻のふく氏は池田大作への不満を募らせるようになっていきます。