今日に至るまでの音楽、或いは芸術の話
上に2つ貼った作品群は習作集と言えるかもしれません。
なかでも、the world seen by a fake という曲では自分自身は偽物であると強調しました。
これには意図があります。
今後を見据えての布石とも言えます。
後になればわかるかもしれないし、それまでに力尽きる可能性も大いにあります。
途方に暮れて鑿を打ち込んでいたかのような、ある種の空虚を感じていました。
僕が作っている音楽をシューゲイザーと言われたときには、靴なんか見てねえよと思っていたし、オルタナティブロックと言われたときには、別になんの代替でもねえよと思っていました。
特にオルタナティブロックは今でも音楽のメジャーシーンで作られ続けているカテゴリーです。
しかし何の代替なのか、僕にはよく分からなかった。
証明された代替可能性のようにも思えました。
オルタナティブロックの発端となったアンダーグラウンドな側面、商業主義への反発はどこへやら。
当時のムーブメントや現象は評価されて然るべきと考えますが、それらをなぞるように商業的に成功していった人達がいることも事実です。
僕が言っていることは狭義のオルタナティブロックの解釈かもしれません。
ですが昨今においては確実に、当時アンチとして機能していた存在が、音像や表層で判断されているようにも思います。
シューゲイザーについても同じことが言えるでしょう。
ただ音像的に近しいというだけで、そのジャンルに分類されることがあります。
それは歴史や、文化や当時の現象に対してある種の冒涜のようにも感じられます。
表層を見るということの空虚さがここにあると思います。
だからこそ僕はこの空虚と戦わなくてはならない。
現代の音楽家、芸術家等はそれらと対峙しなければならない。
歴史から見てもそうであると言えましょう。
芸術はいつだって挑戦、野心を抜きにしては語れません。
例として印象派に触れます。
クロード・モネはサロンから独立した展覧会を開きましたが、当時の評価は芳しくなかった。
アカデミック絵画からの脱却も目論見の一つだったであるでしょう。
後から見ればその目論見も成功していると言えるでしょう。
そして印象派を語る上で外せないのがルイ・ルロワの存在です。
彼は印象派を批評し、風刺し、そして印象派の名付け親になりました。
後に印象派は大衆からの支持も得て、今日に至るまで絶大な人気を誇っています。
話を音楽に戻すと、シューゲイザーも同様の命名がありました。
歌詞を覚えられないボーカルが床に歌詞を貼ってそれを見ながら演奏しているさまが靴を眺めているようだと、揶揄のようなニュアンスで記事に書かれました。
僕が思うに現代においても名付けというのは重要なものであるということ。
肯定的でなくてもいい。
ただ今起きていることを形容し、カテゴライズすればいいだけのことであるように思います。
そうあれば、僕が感じている空虚も少しはましになるでしょう。
所謂インストゥルメンタルがBGMなんて言われるほどになった昨今、何故歌が構成に欠かせない要素になっていて、それを大衆が認知しているかよく考えています。
言葉はリズムを持っているように思います。
それらが旋律になり、そうして音楽は生まれる。
これが今の僕の思想です。
例えば僕は北原白秋の詩を読んでいると独特の心地よいリズムを感じます。
よって詩は即ち旋律であると考えています。
日本には雅楽があります。
雅楽の曲は言語化されて歌として語り継がれていった(口伝)という歴史があって、世界各所で同様の体系が存在し、それらが繰り返されて今日の音楽があるように思います。
絵画は鑑賞するのに時間的に個人差があるように思います。
一方で音楽は定められた時間の中で創意、意図や工夫をこらします。
サブスクが普及した現代において、長いイントロは冗長であると言われたり、曲の時間も短くなってきていると言われています(要出典)
YOASOBIなんか特にその特徴があるように思います。
殆どの曲がイントロなしの歌いだしで始まることであったり、ファーストインプレッションに重きをおいている。
そんな印象を受けました。
僕の曲も比較的短いほうだと思います。
これは意図してそう作られています。
一人で作っている以上工数の問題もありますが、それ以上に僕ごときのアマチュアの音楽家の曲が鑑賞者の時間を無為に奪ってはいけないと考えているからであったりします。
僕は曲としてパッケージ化された商品としての曲は作りません。
技術はまだまだ未熟ですが、出来上がったコンセプトを少しでも早く提示することに価値があると思っています。
全く関係ない話になりますが、僕はSNSの殆どをやめました。
友人と言えるものをほぼ断ち切りました。
停滞しているコミュニティ、永遠に続くと錯覚する友情。
これらに嫌気が差したのもあります。(彼等のことが嫌いになったわけではありません)
僕には追求したいものがあります。
音楽然り、映像然り、最近では絵を毎日書いています。
なので上記のようなプロジェクトを始めました。
実験的なもので、独立した作品群を残しています。
今までやっていたアカウントではより洗練されたものを作ることを当面の目的とします。
今までtwitter等で見てくれていた方には申し訳ありませんが、上記の理由で僕はSNSをコミュニケーションの媒体として運用することはもうありません。
偶にこんなエッセイのようなものを書いたり、ただただ作品を作り続ける。
そういう姿勢で今後活動していくつもりです。
だらだらと愚昧な文章を書いてきましたが、これが僕の新たな一歩であり、今後の活動をするにあたって必要なことなので、書き記しました。
それでは失礼いたします。
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