こういった話は怪談として人々の間に残された。しかし、「タコ」と呼ばれた人々が働いていたのは近代であり、実際に彼らの姿を見た人や、同じ現場で働いていた人が当時たくさんいたのも事実であり、単なる幽霊話として片付けられるものではなかった。
事実、この幽霊たちの物語を裏付けるような事件が起きている。
壁から「人柱」の骨が見つかった
時は1970年(昭和45年)9月10日。1968年(昭和43年)に発生した十勝沖地震により常紋トンネルの内壁にひびが入り、その修復のための工事が行われていた。
その朝、トンネルの壁から落ちたと思われる足の骨が見つかり、さらに壁を覆うレンガの奥を探すと頭蓋骨が出てきた。これにより実際に常紋トンネルに人柱が埋められていたことが発覚した。
この事件はマスメディアによって報道され、人柱になった人々とともに働いていた人たちや、近隣に住む人が伝えたと思われる「トンネルの中の人柱」の伝承が事実として広く知られることになった。
そもそも人柱とは橋や堤、城や港などの大規模な建造物を作る際、神に生贄を捧げる目的で人間を生きたまま水や土に埋めることを言う。こうした伝説は日本各地に残り、実際に人骨が見つかって史実だと判明した例も多数ある。
常紋トンネルは近代になってできたにもかかわらず、人柱が立てられた。だがその目的は神へ捧げるためではなく、ただ死体の処理のためであり、見せしめのためだったと考えられる。