2021.09.30
# 労働問題
トンネルの壁から撲殺遺体が…「人柱」として埋められた、労働者たちの「無念」
この惨い犠牲を、忘れてはならない日本の近代化が進んだ明治時代、北海道を中心に「タコ」と呼ばれる労働者がいた。半ば騙すような形で勧誘され、「タコ部屋」という宿舎に詰め込まれて外部との接触を断たれた彼らの実態は、【前編】『殴る、蹴る、労働者を「生き埋め」に…明治の「タコ部屋」のヤバすぎる現実』で見た通りだ。悲惨な環境で過酷な重労働に従事する毎日だったというが、時にはさらに惨たらしい方法で死へと追い込まれていった。
地元に残されてきた「言い伝え」
「タコ」と呼ばれた人たちの幽霊。それは間近で彼らの姿を見てきた地元の人々によって伝承された。
例えば北海道の東部にある厚岸郡厚岸町には「タコがつくった人形」という言い伝えが残されている。それによれば、タコ部屋の凄惨な状況を見たひとりの労働者が、人形師であった経験を生かして死んだ同朋たちの霊を慰めるため、土で男女2体の人形を作った。
男の人形は当時、半纏を着せてツルハシを握った姿で厚岸町の薬屋の店頭に飾られていた。また女の人形は宝竜寺という寺院に寄贈された。女の人形は寺で彼岸やうら盆に化粧をするなどして供養されていたが、檀家の人々から「本堂の中で人形が幻のように出歩いていた」「参詣人の後を追ってきた」といった苦情が寄せられるようになった。
そのため、やむなく寺では1963年(昭和38年)に納棺して荼毘にふされたという。