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悩んでいると、知り合いの警察官から「ハーレーのパトロール隊があっても面白いのでは」と提案された。松井さんはふたつ返事で引き受け、仲間6人も加わった。交通安全の旗をバイクの目立つところに立て、毎週のように道内を駆け巡った。08年の北海道洞爺湖サミットでは、会場周辺を走る「見せるパトロール」を通じて警備に協力した。
交通安全への意識を高めてもらうため小学生のメッセージ交換にも力を入れた。事故のあった5月は毎年、屯田小の子どもがつづった交通安全へのメッセージを道内各地の小学校にハーレーで届け、返信を持ち帰る。3日がかりで、函館市内との往復約600キロを走ったこともあった。
隊員は14年頃には全道で約60人に増えた。しかし、今はメンバーの多くは60代後半から70代と高齢化が進んだ。免許の返納を理由に隊を辞める人も出てきたことから、解散を決めた。
松井さんは「安全を誓った子どもたちは約束を守り、その後輩に伝えてくれる」と信じ、ハーレー隊の活動は終わっても、お手本となるライダーであり続けるつもりだ。
ハーレー隊発足当時の小学生、警察官に
16年前の事故の時、屯田小6年だった札幌北署交通1課の小林みな巡査部長(28)は、会場で感謝と決意を胸に解散式を見守った。
事故のことは今でもはっきり覚えている。授業中に「ドン」と衝撃音が聞こえ、窓からのぞくと、学校の前に人だかりができていた。巻き込まれた児童らは顔見知りで、「事故で悲しい思いをする人を減らしたい」という思いが警察官をめざす原点となったという。
その年の10月にはメッセージ交換でハーレー隊が来校。エンジン音を響かせ、大型バイクを乗りこなす姿も格好よく、「私たちのために『何かしたい』という優しさがうれしかった」と振り返る。
14年に警察官になり、昨年から札幌北署に配属されハーレー隊とも仕事をするようになった。隊はなくなったが、「彼らの思いを引き継ぎ、安全のために頑張っていく」と誓いを新たにしていた。
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