需要に応えるつまらなさ
「みんなの考えを全部尊重するとしたら、ものを作る意味は無くなる。」
落合陽一さんと、糸井重里さんの対談で、糸井さんが仰られた言葉で。
この時はゲームの話題だったんですが、何事にも置き換えられると思います。
それこそ、僕がカフェラテ屋にしたのもそうで。
ハンドドリップが売りなのに、エスプレッソマシンも置いてあるというのが、どうしても気持ち悪く。
どっちを売りたいの?と。
僕はどっちを頼めばいいの?と。
全てのお客さんの需要を満たす必要がない市場では、それをやらなくていいのになと思ってます。
自分が好きなやつだけを提供しようぜと。
(まあドリップもエスプレッソも好きだから提供してるんだろうけど)
うちにディカフェだったり、オーツミルクがないのもそうで。
来てくれたお客さん全員の需要を満たすには置かなきゃいけないけど、そこに価値があるとは思えないからやってない訳で。
僕は東京牛乳を使ったカフェラテを飲んでほしいんです。
なぜならそれが美味しいと思ってるから。
それに合わせたコーヒー豆を使ってるからディカフェにも興味が無く。
紙ストローなんて以ての外、全てが台無しになる。
こんな事を大手企業が言おうもんなら炎上必至ですが、まあうちはそうではないので。
その考えがあるのは知ってるけど、それはそれと割り切れる。
このへん、僕は冷たい。
全ての需要を満たす事に、楽しさを見いだせないのです。
やはり出発点が大切だと思っていて。
僕はこのカフェラテが好きやねん。
(なんで関西弁やねん)
それに賛同してくれて、お客さんが通ってくれるのが嬉しくて。
あれがほしいから用意して。これがほしいから用意して。
それで来てくれても、そりゃ来るだろって話で。
それで来なかったら、何で来ないんだよ。
と、暴言すら吐きかねない。
好きなものを売って、それでお客さんが来なかったら自分のせい。
これが、精神衛生上よいのです。
カフェなんてもう必要ないんだから、逆に好きな事をやりやすいと思うのに。
何でも網羅している所にあまり魅力を感じないのです。
それこそ、もうやらなくていいのにと思うのでした。
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