苦手だけど好きなこと

こんにちは、ナカノです。

今日はタイトルの通り、自分の苦手なことについて書こうと思う。

自分はコミュニケーションが苦手だ。とくに目的のない雑談などに苦手を感じる。しかし、まったく人と喋れないわけではない。ごく普通に、それこそASDを抱えているなんて思わせないほど普通に人と話すことはできる。その裏には大きな困難を抱えたまま。きっとこの辛さは誰にもわからないだろうと思っている。いわゆる、できるけどめちゃくちゃ疲れるというやつだ。

人と話すのが苦痛とかはない。自分の知らないことを知り、他人の価値観に触れることができる唯一の機会だと考えているからだ。一緒に作業をしてなにか達成した喜びを共有するのもわりと好きだったりする。

僕にとってコミュニケーションは苦手だけど好きなこと。

このコミュニケーションにおける苦手さを解明するために、自分の経験を深ぼってみたことがある。それでわかったのは、自分は口頭でのコミュニケーションに苦手を感じるということ。もっというと同期的コミュニケーションが苦手だということがわかった。理由はとてもシンプルで人よりも考えるのに時間がかかるからだ。同期的コミュニケーションはテンポよく相手と自分の会話のラリーを行う。それぞれのもつリズムが合うことでお互いに気持ちよく感じるのであろう。しかし、自分の場合はそのリズムがものすごく遅い。なので、人に合わせるとすごく負荷がかかるし、逆に相手に合わせてもらっても相手側に負荷がかかるだろう。

解決方法はある。同期的コミュニケーションがだめなら非同期で行うのだ。これも、そんなに難しいことはない。返事が遅いことをあらかじめ共有できていればいいのだから。たとえば、SNSなどのテキストコミュニケーションは非同期コミュニケーションと言えるだろう。あるいは、これから仕事をするなら日報なども非同期コミュニケーションと言えるかもしれない。

読書だって、コミュニケーションの形の一つだ。時間をかけて自分の伝えたいことを言葉にし、一冊の本にまとめる。それが、自分が書いたときとは別の時間軸で読んだ人に伝わる。かならずしも双方向である必要はないと考える。

ASDについて調べるとよくコミュニケーションの障害について書かれているのを見る。ここでいうコミュニケーションってなんだろうか?会話を指すのであれば、障害と言えるかもしれない。しかし、これについて僕は、おそらくASDは定型発達の人に合わせたコミュニケーションが苦手なのであって、その人自身が持つ独自のコミュニケーション方法があると考えている。

このnoteだってコミュニケーションだ。僕が考えていることを言葉にして読む人に伝えることができるのだから。

コメントをつければ、双方向にもなる。しかし、時間軸は必ずしも一緒ではない。それが、僕のコミュニケーション方法だ。

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適応障害で休学中の情報系大学生です。 日常とか発達障害について日々考えていることについて投稿します。
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