pixivは2023年6月13日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴
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「犬だ…」
「誰が犬だ」
ぺちんと不敬なことを宣った口を塞ぐ。思ったことをすぐに口に出してしまうこの癖は長所になる時と短所になる時がある。今は間違いなく後者であった。
じとりと半目になった上司にどうにか言い訳をせねばと抑えた口を開放する。
「だって、耳が」
「髪だ」
そうだった。
あまりに犬の耳すぎて忘れていたが公爵は犬ではなく人間だ。違う、犬の獣人ではなく人間だ。もう一度口を塞いだ。
急な土砂降りの雨に降られてぺしょりと垂れた耳は…髪はまるで主人に怒られて落ち込んでいる犬のようで、思わず撫でくりまわしたい衝動に駆られる。
しかし私は優秀な看守。衝動に身を任せて滅亡への一歩を踏み出すほど愚かでは無いのだ。
「おい、コラ、タオルを持ってにじり寄るな」
「あれ」
あれ。おかしいな。全く気づかなかった。
まさか無意識に行動するくらいだとは。公爵の耳は恐ろしい魔性の魅力を秘めている。これはいけない。今すぐ隠さねば。
あっ、タオルを奪われた。
私から奪い取ったタオルで公爵はガシガシと乱暴に髪についた水滴を拭う。
「あぁ…」
「…あんたのツボがわからない」
びしょ濡れの犬をタオルで豪快に拭いてやるという特権を奪われた私に公爵はそう言った。
はて。ツボとはなんぞや。
首を捻った私に対して公爵は呆れてため息をついた。なぜため息をつかれたのかは分からないけれど呆れられたのは分かる。とても心外だ。
それはさておきボサボサになった髪がよりいっそう風呂上がりの犬を想起させる。
「公爵の耳、可愛いですね」
「髪だ」
「あっ」
あっと口を抑えるも時既に遅し、公爵は少し腹を立てた様子で乱暴にタオルを畳む。犬扱いされるのは気に食わないらしい。当たり前だ。私も猫扱いされたらブチ切れて手に噛み付く。
「公爵を犬だとは思ってませんよ」
「俺はあんたを猫だと思ってるよ」
「噛み付きますよ」
「そういうところだよ」
「ハッ」
公爵は頭を抱えてその場に蹲ってしまった。雨に降られたのが相当ショックだったらしい。慰めるフリをしながらぺしょりと垂れた耳を撫でつける。
「メロピデ要塞は雨が降りませんから大丈夫ですよ」
「どさくさに紛れても誤魔化されないぞ」
「手厳しい…」
顔を上げた公爵は少し疲れた表情をしていた。いつものことである。意外とこの人は感情を表に出す。綺麗に畳まれたタオルを受け取って二階をちらりと見やる。
「紅茶を入れましょうか」
「火傷するくらい熱いのを頼む」
「ほんとに火傷しないでくださいね」
とは言っても、公爵は私と違って猫舌でもなければ熱いものにも辛いものにも強いのでそんな心配は無用だろうけど。私が火傷するくらいの温度が公爵にとってはちょうどいいのだそう。同じ人間のはずなのにどうしてこうも違うのか。
何故だろうと首を傾げながら階段を上る私の後ろを着いてくる公爵が覚悟を決めたような顔をしているのを、私は欠片も知るよしもないのだった。
────────────────────
「最近公爵可愛くなりました?」
ブっ、と勢いよく紅茶を吹き出すのを見てあらあらとタオルを用意する。それを受け取りつつも公爵は私を睨んだ。
「藪から棒になんだって言うんだ、あんたは。看護師長になにか吹き込まれたか?」
「気のせいだったかな…」
汚れたテーブルとティーカップを拭く様子を見つめて私は首を傾げる。何が変わったのか、何も変わっていないのかも分からないけれどどうにも公爵が可愛く見えて仕方がない。本当に看護師長の影響を受けてしまったのかもしれない。
「大の男が可愛く見えるなんてことあるか?」
「何故かあるみたいなんですよ」
どこもかしこも可愛くないのにね、公爵。
「おい、口に出てるぞ」
「あっ」
じとりとした視線から逃れるように顔ごと目線を逸らした。机の上に置かれたウサギと目が合う。
あのウサギは公爵曰く看護師長に貰ったもので、自宅がなく置き場もないので執務室に置いているのだそう。私室ないのかな、公爵。プライベートがないんだ。可哀想。
しかしまぁ、公爵のようなゴツい男性が可愛いウサちゃんのぬいぐるみを持っているのは中々心にグッとくるものがある。人によったら多分気持ち悪いだけだろうけも。
「でも公爵は犬ですよね」
「まだ懲りないか」
「あっあっ、違います、ウサギの話です」
「何の話だ」
公爵は訝しげな顔をして私の視線を辿る。薄桃色のウサギに辿り着くと「あぁ」と納得したような声を上げた。
「何度も言うがあれは看護師長に貰ったものだ。俺の趣味じゃない」
「犬のぬいぐるみ並べていいですか」
「やめておいてくれ」
看守にそれぞれ与えられた私室。私の部屋にはいくつかのぬいぐるみが置いてある。が、犬や猫といったメジャー中のメジャーはいない。また後日買ってくることになる。
「可愛い子選びますから。公爵に似合わないやつ」
「やめておいてくれ」
「黒と白のやつにしますね」
「言っても聞かないやつだよな、あんたって」
「頭が痛い…」と言って背もたれによりかかって顔を覆ってしまった公爵にそっと暖かい紅茶を差し出した。死にかけの虫のような小さな声で「どうも」と返された。公爵はどうやら死にかけらしい。今なら毒を盛ってもバレない。いやバレるか。この人は犬並みの嗅覚をしているから。
しかしウサギの隣に犬を置くとして、そうするとウサギの左隣が寂しくなる。どうせ一匹も二匹も変わらないだろう。
「ついでに猫のぬいぐるみも置いていいですか」
「好きにしてくれ。いや、それ以上は増やさないでくれ」
「やった」
犬と猫は置いていいらしい。許可をもぎ取れた喜びでちょっとミルクを入れすぎた。一口含んでみるとミルクの味が口の中を支配する。これはもはやミルクティーじゃなくてミルク。
「なぁ」
「なんですか。ミルクはちょっと入れすぎただけですよ」
「いやミルクはどうでもいい。好きなだけ入れてくれ」
「太っ腹〜」
「違う、そうじゃない、話を逸らすな」
逸らしたつもりはないのに。しかし人に「お前と話してるといつの間にか論点がすり変わる」と文句を言われたことがある。ここは黙って話を聞くのが吉であろう。私は賢いのだ。
「あんた、なにか俺に言うことはないのか」
「…犬って言ってごめんなさい?」
「もうそれはいい。直す気もないだろ」
「バレてる…」
犬と思われたくないならその犬のような耳をどうにかしてから言ってほしい。そんな髪型をしていたら不可抗力だ。私は許されて然るべきだ。そう、私は悪くなんてない。
しかし、言うこと。何かやらかしたことはあっただろうか。
公爵の瞳を見つめ返しながらしばし悩む。思い当たることがありすぎてどれのことか分からない。
「どれですか?」
「こうして、自分だけお茶会に招かれてることに対して」
ふむ。
公爵は看護師長と私以外をお茶会に招くことはそうそうない。かの高名な旅人も招かれることがあるが、彼はそもそもメロピデ要塞に訪れることが少ないのでそれに比例して母数自体が少ない。よって比較対象には入らない。
看護師長なら理解できるが、何故か私も定期的にお茶会に呼ばれている。美味しいお菓子と美味しい紅茶。業務を抜けて一人だけ楽しめる至福の時間。それに対して、何か言うこと?
「……ラッキー?」
「あんたに聞いた俺が馬鹿だった」
どうやらお気に召す解答ではなかったらしい。
全身の力を抜いてだらりと背もたれに体を預けた公爵を見てはてと首を傾げた。公爵は「まだダメか」「何がダメなんだ?」「何が正解か分からない…」なんて人生の路頭に迷った人間のようなことを呟いている。
「お悩みですね、公爵」
「あんたのおかげでな」
「そんな貴方にコレ。パワーストーン」
「どこで買ってきたんだそんなもの」
「前に地上に出た時に露店で」
「二度と露店で物を買うな」
露店で物を買うことを禁止された。流石に私だってこれが詐欺なことくらいわかっている。こういう商売で金を稼ぐ人間がいることはこのメロピデ要塞で働いていれば嫌という程理解できるのだ。
「でも騙されるのも面白そうで」
「二度と、露店で、物を、買うな」
「はひ…」
結局圧に負けて今後一切露店で怪しい買い物をすることを禁止された。言っていないだけでこれまでも何度も怪しいものは購入しているのだが、まぁそれは報告しなくていいだろう。禍々しいオーラを放つ壺やいつの間にか後ろを向いているドールは変わらず自室に置いておくことにした。
公爵様は渡されたパワーストーンを光に透かすようにして眺めている。
「でもそれほんとに凄いんですよ」
「ほう。コレにどんな効果があるんだ?」
「これを持ってると何処からか視線を感じます」
ぐしゃり
「あっ」
深海のような色をしたパワーストーンが公爵の手の中で握り潰された。石を握り潰すってどういうことですか公爵。
「なんであんたはこう変なものばかり寄せ付けるんだ?」
「優しいからじゃないですかね…」
「優しすぎるのも考えものだな…」
互いに神妙な顔をして見つめあった。あまりに優しすぎて虚言癖の人間をよく寄せ付ける。いつも気づいたら他国へ引っ越しているので今のところ何の被害もない。多分私が持ってる呪いの人形シリーズのせいである。
「そんなお優しいあんたに頼みがある」
「ちょっと無理かもしれません」
「優しくないな。空になったから紅茶を入れてくれ」
「ティーポットに手が届きません公爵」
「腕の長さ30センチもない感じか?」
そんな軽口を叩きながら押し付けられたティーカップに紅茶を注ぐ。ついでに角砂糖にも手を伸ばす。
「砂糖も入れてくれるのか。悪いな。…おい待て、入れすぎだ、おい」
「あっ」
四つの角砂糖を入れてティーカップを返すと流れるような仕草で私のティーカップを奪われた。
既にただのミルクと化した紅茶に二つの角砂糖が投下される。白い悪魔だ。
「あぁぁ…糖尿病…」
「あんたも道連れだ」
返されたティーカップの中身を渋々回して砂糖を溶かす。しばらく二人で砂糖を溶かすだけの無言の空間が生まれた。
「あっっっま…」
「あんたが悪いだろ」
「ちょっと飲んでみてくださいよ、やばいですよこの甘さ。確実に太る」
「あっっっま…」
「看護師長から糖分制限食らっちゃう…いやだ…」
「これに懲りたら人の紅茶に砂糖を入れすぎないことだな」
「ひぃん…」
────────────────────
「公爵?」
休日。水の上。雑貨屋の前。上司と遭遇した。
紅茶の茶葉らしき袋を抱えた公爵はその声に振り向いて私を認識するなりギュッと眉根を寄せた。そんな嫌そうな反応をされるともっと話しかけたくなる。
袋を片手に駆け寄ると公爵はわざわざこちらに向き直った。
「買い物か?」
「はい。猫と犬を買いに」
「本当に買ったのか…」
公爵は有言実行した私にドン引きした様子だった。有言実行はいいことだろうに何故そこまで嫌がるのか。不思議なものである。
「公爵は」
「ストップ」
言葉と手で静止されて反射的に口を噤む。その様子を見て公爵は満足気に頷く。躾をされる犬の気分。
「ここではリオセスリで頼む。プライベートだからな」
「プライベートがあったんですか」
「あんたは俺をなんだと思ってるんだ」
「第二のヌヴィレット様…?」
「過剰すぎる評価だな」
実際にそれくらい自由の無い立場だとは思っている。最高審判官のヌヴィレット様もメロピデ要塞管理人の公爵様も、その立場故に許されないことが沢山ある。
似ているようで違う二人だが、違うようで似ている部分も多くある。その苦労も私のような末端の人間には計り知れない。
「何かあったら相談してくださいね…」
「突然何なんだ…」
怪訝そうな顔の公爵に手を合わせる。元気に過ごしてほしい。
「ところでリオセスリさんは何を買いに?やっぱり紅茶ですか?」
「あんたは俺と言えば紅茶だと思ってる節があるよな」
「!?違うんですか…!?」
「そこまで本気でショックを受けられるとは思わなかったな…」
「ショックでした…」
公爵と言えば三度の食事よりも紅茶というくらいの紅茶狂だと思っていた。どうやら認識を改めた方がいいらしい。
未だに新事実の衝撃に震えている私に公爵が声をかける。
「なぁ。この後時間はあるか」
「…えっ?時間?あぁはい、あります。どうしました?」
「良かったらカフェでもどうだい?」
「さっき行ってきたばっかりなんです、カフェ」
「……そうか」
「んふっ」
時間があると言った途端緩んだ頬がすんと無に帰る。その様子を見て思わず笑いが耐えきれずこぼれてしまった。
「ふっ…く、ふふっ、ふ…ふふ…」
「そこまで行くと耐える気ないだろあんた」
「ふ、ふふ……いや、すごい分かりやすいなと思って、つい」
「俺は笑われたことが悲しくて涙が出そうだ」
「ハンカチでも貸しましょうか」
「どこかの誰かさんが嘘を撤回してくれたら泣きやめるんだけどな」
「おかしいな、なんでバレてるんだろう…」
公爵は器用なことに真顔でポロポロと涙を零す。その涙をハンカチで拭いながら首を傾げた。
カフェに行ったというのは嘘だ。誘われるとつい断りたくなる悪い癖が出た。実際はカフェになど行っていないしお腹も空いている。
「こ…リオセスリさんの奢りですか?」
「レディに払わせるつもりは毛頭ないさ。安心して奢られてくれ」
「すごい安心感だ」
「じゃあお願いします」と言うとピタリと涙が止めて公爵は笑みを浮かべる。表情管理が完璧すぎてどうやっているのか教えてほしいところだ。
差し出された手に手を重ねる。と、くるりと半回転。指の隙間に指が差し込まれる。
おやこれは…?
「恋人繋ぎってやつですねコレ」
「その通りだ」
「はぐれにくいから楽ですよね」
ブンブンと手を振ってみせる私に公爵はニコと笑った。謎の圧を感じて大人しくすると、公爵は私を連れて街を歩き始めた。
「どこのカフェに行くんですか。美味しいところですか」
「俺が昔から通ってる店でね。人もそう多くないしスイーツも美味しい」
「聞くだけだと素晴らしいカフェですね」
「到着してもその感想が変わらないことを願うよ」
私はカフェ・ルツェルン以外には足を運んだことはない。行ってみようと思っては時間がない…お金がない…と理由をつけて結局いつもの場所に落ち着く。こうしてきっかけが生まれるのは私としても嬉しいことだ。
石造りの道を渡って、薄暗い路地裏に入ってからしばらく歩いて曲がったところ。
「ここだ」
「わぁ。綺麗」
「あんた、褒め言葉が下手だってよく言われないか?」
「不本意ながら」
赤いレンガ造りのカフェ。出入口には暖かなオレンジ色のランプが掛けられて、その下の看板には『ユバ・ディ・ヴォルケン』と書かれている。店先にはルミドゥースベルがいくつか飾られている。
歩き出した公爵の手に引かれて入店。カラコロとベルの軽快な音が鳴る。
「いらっしゃい。…おや。珍しいお客さんだ」
「久しぶり、マスター。ちょっと老けたか?」
「貴方は一段と男前になったようだね。カウンター席へどうぞ、お嬢さん。今日のおすすめはいちごタルトだ」
「おい、俺の役割を取らないでくれよ」
「私ではなくお嬢さんを楽しませなさい、若造」
「仲良しですね」
公爵が引いてくれた席に座り、二人の軽口を聞いて思わず感心した。公爵に友達がいたなんて。プライベートが存在するというのもあながち嘘ではないのかもしれない。
マスターはゆるりと優しく微笑んでメニュー表を差し出す。公爵はそれを雑に奪い取り、シッシッとマスターを追い払った。やれやれと肩を竦めて去っていくマスターが面白くて思わず笑ってしまう。
「あんたに限って無いとは思うが、あのマスターに惚れないでくれよ」
「確かにカッコいいですもんね」
「おいおい、勘弁してくれ」
公爵は嫌そうに顔を歪めて会話から意識を逸らすようにメニュー表を私に見せた。それを受け取りまじまじと眺める。馴染みのない名前がいくつかあるが、他国のお菓子も取り入れているようだ。スメールのパティサラプリンもある。
スメールでは紅茶よりもコーヒーの文化の方が強い。一緒に頼むならミルクティーではなくコーヒーだろう。あの国の油っこいものや味の濃い料理は紅茶には合わない。
しかしパティサラプリンならコーヒーでなくともミルクティーで妥協できるのでは…
「ハニートゥルンバとコーヒーでお願いします」
「かしこまりました」
「即決だったな」
ハッ。
「小さい頃に一度だけ食べたことがあるんです。それがすごく美味しくて、またいつか食べたいと思っていて」
思わず視界に入った瞬間に口にしてしまうくらいに食べたいと願っていたハニートゥルンバだ。
しかしあれはかなりカロリーが高い。この後に運動しないといけない。
「マスター、俺はいつものを」
「かしこましました。少々お待ちを」
マスターはその場から去ってしまい、店内には私と公爵の二人だけになった。他に客はいない。
「いつもの、って頼むのは全人類の憧れですよね」
「ならあんたもここの常連になるといい。マスターも可愛い子にはサービスをしてくれる」
「じゃあ私もサービス受けられますね」
「あんたの自信満々なところ、いっそ清々しいよな」
大人になった今でも周りに可愛い可愛いと褒めそやされる私は多分本当に可愛い。違ったら嘘をついた周りが悪いので私のせいじゃない。
「リオセスリさんはサービス受けられないんですか」
「受けられるように見えるか?」
「犬は可愛いですよ」
「喉くらいは鳴らせるな」
「……!?」
衝撃を受けたように口元を手で覆うと、ニコと微笑んだ公爵から何かの音が聞こえた。口は閉じているので何か喋っているわけではない。
じっと耳を澄ますと、微かにグルル…と犬が唸るような声が聞こえた。
「犬だ…」
「捨て犬なんだ。拾ってくれるか?」
「お世話出来ないタイプの人間です」
「だろうな、そんな雰囲気がある」
「なんて失礼な」
「自分で言ったんだろ?」
コツ、と上品な足音が聞こえた。「ご歓談中失礼」という言葉と共にマスターが現れ、コーヒーと紅茶、ハニートゥルンバと晶螺マドレーヌ。出来たてでそれぞれが湯気を立てている。
「どうぞごゆっくり」
「どうも。それじゃあ頂くとしよう」
十数年ぶりのハニートゥルンバ。アツアツのそれをシロップに浸し、冷めないうちにガブリと噛み付く。サクサクのハニートゥルンバを噛むと口の中でジュワと油が弾け、シロップがとろりと口の中で柔らかく溶けていく。
油の暴力である。口全体にシロップの味が広がり、何度もハニートゥルンバを咀嚼することでサクサクした食感とトロトロのシロップが混ざってなんて素晴らしいハーモニー。
少し甘みがしつこく感じたところでコーヒーを一口。シロップたちが喉奥へ流れていき、ほのかな甘みと苦味が混じり合う。美味しい…。
「おいひい…」
「本当に美味しそうだな。見てるだけで食べたくなってくる」
「リオセスリさんも食べますか?どうぞ」
「いいのか?」
皿を差し出す。口を大きく開く。数秒の間。
「あーん」
「あ。…ん、確かに美味いな。あんたが気に入るのも納得だ」
「そうでしょう?代わりにカロリーが洒落になりませんけど」
「後で一緒に散歩でも行くか?」
「行きます」
口の端から垂れたシロップを指で拭いながらされた提案に乗る。どうせ今日は丸一日暇なのだ。あとの時間を運動に費やしたって問題はない。
視界の端に指先でマドレーヌが映る。そちらを振り向きながらあ、と口を開けると一口サイズのマドレーヌが押し込まれる。人差し指が唇の縁に触れた。
「ん…なんか、他のとこと味が…?」
「そのマドレーヌには少しアレンジを加えていてね」
マスターがぽつりと静かに言葉を落とす。思わずへぇ、と感嘆の声が漏れた。
「すごい。他のメニューにもアレンジが?」
「いくつかね。また今度ここに来た時に確認してみるといい」
「そうします」
ニコニコとマスターと会話する私を見て、公爵は少し不服そうな顔をしていた。そちらに顔を向けるとその表情よりも不満そうな声で喋り出す。
「マスター、茶々を入れないでくれ」
「嫉妬深い男は嫌われるぞ。世間話くらい大目に見なさい」
「あんたが俺と話す時より笑うからいけないんだ」
「飛び火してきた」
「なんで俺と話す時だけ笑ってくれないんだ?他の奴と話す時はもっと笑ってるのに」
「マスター。さっきのマドレーヌって何入ってました?」
「ワインを少々」
「なんてことをしてくれたんだ…」
ニコニコと笑みを浮かべるマスターに比べて公爵の顔は不機嫌まっしぐら。心なしか体がこちらに寄ってきている。
「なぁ、あんたと話してたのは俺だろ。よそ見しないでくれ」
「でもマスター無視するわけにもいかないんですよ」
「無視でいいさそんな年寄り」
「なんて失礼なことを」
「お構いなく。バックヤードをお貸ししましょうか?」
「すみません、お願いします」
公爵はその立場故に恨みを買っていることが多い。特に逆恨み。そんな人が酒でヘロヘロになっている状況を狙われたら溜まったものじゃない。神の目は持っているけれど私は広範囲型だから店が吹き飛ぶ。
「どこいくんだ」
「バックヤードです」
本格的に酔いが回っているのか顔が真っ赤な公爵を引きずってバックヤードまで向かう。マスターはこの後も接客があるから席を外した。
ヘニャヘニャになった公爵をソファの上に転がす。鍛えていなかったらこの巨体を運ぶのは至難の業だった。
未だにぼんやりしている公爵にブランケットをかけようとすると暑いから嫌だと断られた。上半身を起こしてベストを脱ごうとして指先が上手く動かないのかもたついている。コートは既に投げ捨てられたので畳んでおいた。
あつい、とうわ言を吐きながら外れないボタンにじわりと涙が滲むのが見えた。
「公爵、私がやりましょうか」
「…ん」
子供みたい〜かわい〜。
それにしてもお菓子に混ざっている程度の少量のお酒で酔ってしまうなんて、公爵なのにそんな弱点があっていいのだろうか。体質は変えようがないけれど、こんな弱点人にバレたら大変だ。私にバレてるな?
「はい、外しましたよ。腕あげてください」
腕からベストを抜き取って畳み、コートの上に重ねておく。振り返ると普段から開けているシャツのボタンを更に外そうとしていたので思わずその手を抑えた。
「それはまずいです公爵」
「あつい」
「あついねぇ」
混乱と動揺のあまり口調がトチ狂った。どう宥めたものかと明らかに子供相手の思考へ移行していることに気づかない私の手を取り、公爵はそれに頬ずりする。何をなさるのか。
「つめたいな、あんた」
「冷え性なので…暑いならこうしてましょうか」
「ん」
かわい〜。顔が良くなきゃ許されない所業だ。
両手で公爵の頬を包みながらそっとその体を押すと容易くソファに転がせた。公爵は目を瞑って手の冷たさを感じていて、しばらく放置していれば勝手に寝そうな雰囲気だった。
もしかして今なら頭を撫でても何も文句を言われないのでは?
犬耳、と呟きながら頭を撫でる。すると公爵はそれにすり寄るように頭を動かした。かの公爵様がこんなにチョロくていいのか。
これは下手に今日のことを人に話せない。後で公爵と口裏合わせの話し合いをしようと決めて、公爵が眠りに落ちるまでを見守った。
これ運動出来ないな。確実に太る。
────────────────────
その後私は公爵につられて眠りに落ち、公爵とマスターに起こされて夢から覚めた。犬を撫でくりまわす夢を見た。
マスターに平謝りして「これからもご贔屓に」と言われたので今後もあのカフェに通う所存である。
外はすっかり暗くなっていて、公爵の手に引かれてメロピデ要塞まで戻った。道中で何度も謝罪の言葉を口にする公爵にそっと犬と猫のぬいぐるみを差し出せば、苦渋の顔で受け取って貰えた。次執務室に行った時にはウサギの周りに犬と猫が増えているはずである。ちなみに体重は増えた。
そして次のお茶会の機会を楽しみにしている私につい先程お茶会の誘いが届いた。ワクワクしながらチョコ菓子を片手に執務室まで向かっている。
「またお茶会?」
「そう。楽しみ」
「藪蛇はつつきたくないけど、アンタまだ気づかないの?」
「…え?何が?」
声をかけてきた同僚はダメだこれと首を横に振った。勝手に失望されたようで大変不服である。不服を表情全体に押し出した私は「さっさと行け」と手で追い払われてしまった。なんて酷いことを。
彼女いわく、私はなにかに気づいていないらしい。これでも看守を続けられているくらいには勘がいいつもりなのだが、彼女から見たらそうとも思えないのだろうか。
それは一大事だ。その調子で囚人からナメられるのもいただけない。公爵にでも聞いて早々に解決しなければいけない。
執務室への扉をノックする。「入れ」という声に扉を押し開ける。二階に顔をのぞかせると、机の上のウサギの両隣に犬と猫が見えた。
「置いてくれたんですね、ぬいぐるみ」
「おかげで他の看守にはとんでもない目で見られたよ」
「ご愁傷さまです」
「あんたのせいなんだけどな」
じっとりとした目で見られて目を逸らす。私は悪くない。
するとふと公爵の目が私の手の中にあるチョコ菓子に向いた。
「それは?」
「たまには私もお菓子を持ち寄ろうと思って。美味しいチョコです」
「へぇ、なるほどな。それじゃあありがたく並べさせてもらおう」
私の席にはすでにミルクティーが用意されている。席に座ると公爵も向かいの席に座った。クッキーやマドレーヌの焼き菓子の中にチョコレートが並ぶ。
チョコレートをひとつ指先でつまみ、公爵の目の前にずいと押し出す。公爵は一瞬口を開きそうになって、ぐっと口を結んだ。
「お嬢さん」
「はい」
「アルコール、入ってるな?」
「あれ、なんでバレた…?」
「匂いでわかる」と公爵は呆れた顔をした。また酔いに酔った公爵を見て見たかったが、実際素直に食べてくれるとは思っていなかった。食べられたらこの後の仕事でこっちが困るし。
残念だとため息をついてチョコレートを引っ込めて自分の口に運ぶ。
「匂いでわかるなんてやっぱり犬じゃないですか」
「食べないとは言ってないだろ」
「え」
今まさに口の中に入れようとしたチョコがくるりと進行方向を変えて公爵の口に吸い込まれていく。
「アルコール入ってますよ」
「知ってる。この程度じゃ酔わない」
「あんなに酔っておいて…?」
「演技に決まってるだろ」
「なんてこと…」
ぺろりと指先を舐められてぎくりと体が強ばる。思わず引こうとした腕はがっちりと拘束されている。
「なぁ。俺はいつまであんたの気づいてないフリに付き合えばいい?」
「…あ、れ……?」
「バレてたんですか」と尋ねると「当たり前だ」と返された。衝撃の事実。気づかないフリして恋人繋ぎだとかあーんだとかを楽しんでいたのがバレていた。
「あんたが俺を困らせて楽しんでるのは見てて可愛かったが、流石にそろそろ我慢の限界だ。こんな子供のお遊び程度の戯れじゃ満足出来ない」
待てが出来ない駄犬なもんでな、と目を細めた公爵から目を逸らす。さてここからどう逃げたものか。
逃走の計画を立てているのがバレたのか、掴まれた腕がぐっと引き寄せられる。テーブルの上の食器が音を立てるが、公爵はそれを気にした様子もなく私を熱く見つめている。
「もう充分付き合ってやっただろ。それともまだ遊び足りないのか?Kitty」
「あ、あと一年くらいは遊び足りないかもしれないです…」
さらっと年単位の時間を要求した私を公爵は訝しげに見つめる。その瞳から目を逸らさずに見つめ返せば、ありもしない熱意が伝わったのか大きなため息をついて手を離してもらえた。
「あんたに付き合えるのは俺くらいだな。拭くものが必要だから机からタオルを持ってきてくれ」
「わ、かりました」
何とか見逃してもらえた。あと一年でどうするか決めなきゃいけない。いや、別に逃げるつもりはないけれど、こちらの意図がバレてるのを知った上で今まで通り気づいていないフリができるかと言うと確実にできない。まさかバレてるとは思わなかった。顔に出した覚えはないのに。やはり公爵の称号を貰った男は伊達じゃない。
「せめて半年以内なら俺も許せたんだけどな」
後ろから伸びてきた腕が、カチャリと私の手首に手錠をかけた。
「えっ」
「これ以上の我儘は許せそうにない。心が狭い男で悪いね」
「いや広いとは思いますけど…」
「じゃあ許してくれるよな」
「あぁ口が滑った…!」
腹に回った腕が私の体を持ち上げる。ビチビチと魚のごとく暴れるがそれも容易に抑えられ、米俵のように横脇に抱えられる。
「お姫様抱っこを要求します」
「逃げやすいから却下」
「クソ…!」
汚い言葉を吐いて私室へ向かう公爵の腕から逃れようと暴れて手足をバタつかせる。
ガタッ
「あっ犬が!公爵!犬が!落ちた!」
「猫じゃなくて良かったよ」
「犬も大事にしてください!」
「俺は猫派だ」
「気が合いませんね私は犬派です」
「だから気が合うんだろ?」
ニコと笑う公爵。この笑みは反論すると痛い目を見るぞという警告である。
「うぅ…犬……犬がぁ……」
「はいはい逃げたいな。絶対逃がさないからな」
「ひえっ」
ド低音で脅されて腰が抜けた。逃げるための足腰が役に立たなくなった私は公爵のベッドに投げられて、今日の残りの時間と明日丸一日をこの場所で過ごすことになるんだ。なんて酷いことを。
「せめて優しくして」
「それはあんた次第だな」
公爵が可愛い看守夢主とそろそろ我慢できない公爵の話
※※
・キャラ崩壊あり
・ver.4.2の時点で書いてる
・矛盾捏造誤字脱字大量発生
※※
違う、違うんだ、可愛い物好きの夢主と好かれるために可愛こぶる公爵が書きたかったんだ。気づいたら全く別物になってた。だって可愛い公爵って何?可愛いけど露骨に可愛いことしないだろあの人。露骨に可愛いことしてくれ。でも頭の隅の正気な自分が「成人男性がこれやって可愛いか?」って囁いてくるんだ。殺せ。書くのに正気な自分は邪魔だ。狂気だけ残せ。
ところでフォロワーが500人を超えました。ありがとうございます。リクエストがあればコメント欄にどうぞ。絶対に書くとは言いません。努力はします。ネタがねぇんだ助けてくれ(本音)